第92話 封じ祠の奥に、守るものがあった
白狐さんは、小祠一の座り石で丸くなっていた。倒れているわけではない。けれど、いつもより体が小さく見えた。しっぽは足元に巻かれ、耳は少しだけ伏せている。
ミオは水甕のふたを開け、木の杯に水をくんだ。手元が少しだけずれる。水が杯のふちからこぼれ、指に冷たくかかった。
「白狐さん、水です」
「ありがとうございます」
「飲めますか」
「飲めます。ミオ、そんな顔をしなくてもだいじょうぶです」
「そんな顔、してますか」
「しています」
白狐さんは杯に口をつけ、少しずつ水を飲んだ。リタは少し離れた場所で、ベンを座らせている。ベンはまだ白狐さんのしっぽを見たそうだったが、リタに袖を引かれてがまんしていた。
ミオは透明板を膝の上に置いた。さっきの表示は、まだ記録に残っている。封じ祠、間接応答、守護者権限候補、照合対象、白狐。文字は短い。冷たい。けれど、胸の中は冷たいだけでは済まなかった。
[封じ祠・反応記録]
――――――――――
間接応答:発生
対象照合:白狐
守護者権限候補:検出
封印保護構造:稼働
――――――――――
「白狐さん、痛かったですか」
「痛い、とは少し違います」
「苦しい?」
「古い鈴を、耳の奥で鳴らされたような感じです」
「それ、わりと嫌では」
「かなり嫌です」
白狐さんが普通に嫌と言ったので、ミオは少しだけ息を吐いた。冗談を言えるなら、戻ってきている。たぶん。たぶんで済ませるのはよくない、とさっき思ったばかりだった。
ミオは透明板の端を指で押した。封じ祠の記録を、もう一段だけ開く。
[封印構造解析]
――――――――――
封印:弱体化処理ではない
保護対象:守護者権限候補
照合対象:白狐
解除条件:不足
――――――――――
「弱体化処理ではない……」
「ミオ?」
「白狐さんを弱くするためだけの封印じゃないみたいです」
「では、何ですか」
「守ってます。たぶん、白狐さんの奥にある権限を」
白狐さんは杯から顔を上げた。
「守るために、封じている」
「はい。変な言い方ですけど、閉じ込めて守っている感じです。触ると、白狐さんへ照合が走ります」
「それで、呼ばれたのですね」
「はい」
言ってから、ミオは透明板を見直した。照合が走る、という言い方で白狐さんに伝わったか少し怪しい。けれど、白狐さんは静かにうなずいた。村の人たちに言うなら、呼ばれる、の方が近いのかもしれない。
リタが水桶の横で、小さく聞いた。
「白狐様の力が、そこにあるのですか」
「力そのもの、というより……」
「ミオ、難しい顔です」
「はい。難しいです」
ミオは少し考えてから、透明板を持ち直した。
「白狐さんの名前を知っている古い箱があって、その箱が、白狐さん本人かどうかを確かめてきた感じです」
「箱」
「箱ではありませんが、箱です」
「ミオ様、少し分かりました」
「今ので分かるの、すごいですね」
白狐さんが、かすかに笑った。
「古い箱ですか」
「すみません。もっとちゃんとした言い方が」
「いえ。今は、そのくらいでよいです」
透明板の中で、封じ祠の周囲に細い線が出る。星見台から来た灯りの流れ。環祠へ戻る細い道。小祠群へ分かれる枝。昨日ミオがまっすぐ通した線は、封じ祠の手前で白狐さんの方へ引っぱられていた。
まっすぐ通すのが、よくなかった。
「白狐さん」
「はい」
「次は……まっすぐ行かせません」
「灯りを、ですか」
「はい。封じ祠の手前で、いったん区切ります。それで、少し戻して……こっちです。環祠の方へ曲げます」
「道を曲げるのですね」
「たぶん曲がります。曲がってください、という感じです」
「ミオ」
「はい。ちゃんと見ます」
ミオは指で線をなぞった。封じ祠には触れない。手前で区切る。そこで終わりにしない。別の祠へ流す。星見台、環祠、小祠群。順番を変えるだけで済むのかは分からない。
でも、何も分からないわけではなくなった。
[外縁祠群・再試験案]
――――――――――
星見台:入口
環祠:戻し線
小祠群:分散
封じ祠:直接接続禁止
――――――――――
「直接接続禁止、出ました」
「それは守ってください」
「守ります。さっき、ほんとに怖かったので」
「ミオが区切るのは早かったです」
「早かっただけです。分かって区切ったわけではないです」
「早く区切れたなら、よいのです」
白狐さんはそう言って、また水を飲んだ。
ベンが、ようやく小さく手を上げた。
「白狐さん、もう三つにならない?」
「なりません」
「ほんと?」
「ほんとです」
「二つ半も?」
「なりません」
「じゃあ、よかった」
ベンはほっとした顔をした。何を心配していたのかは分からないが、本気で心配していたらしい。白狐さんも、それ以上は訂正しなかった。
リタが座り石のそばに小さな布を敷いた。
「少し休んでから戻りましょう。村の人には、白狐様が疲れたとは言いません。祠の確認をしている、と言います」
「ありがとうございます」
「でも、休んでください」
「はい」
白狐さんが素直に返事をしたので、ミオはまた少し心配になった。いつもなら、確認です、とか、必要な休息です、とか言いそうなのに。
透明板の表示は、まだ硬いまま残っている。
[状態確認]
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白狐:照合反応後
危険反応:沈静
再接続:非推奨
観察:継続
――――――――――
非推奨。
ミオはその文字を見て、すぐ閉じた。今ここでその言葉に引っぱられると、何もできなくなる。触らない、ではない。白狐さんを巻き込まない順番を探す。
ミオは透明板を胸に抱えた。
「白狐さん」
「はい」
「今日は、ここで区切ります。でも、線だけは見ます」
「線だけ」
「はい。次に通す場所を決めたいです。白狐さんの方へ寄らない道を探します」
「それなら、よいです」
白狐さんは座り石の上で、少しだけ背を伸ばした。しっぽは一本に見える。一本でいい。今はそれでいい。
ミオは透明板を開き、封じ祠の手前の線だけを拡大した。
細い灯りの道が、草の下に眠っている。まっすぐ行けば、白狐さんを呼ぶ。けれど、線は一つではない。途中で区切って、環祠へ寄せれば、別の道が見えるかもしれない。
外縁小道の向こうで、湯場の湯気が白くのぼっていた。生活の線と、祈りの線。その二つが、同じ村の外にある。
ミオは封じ祠の手前に小さな印を置いた。
「……ここから曲げます」
「はい」
白狐さんは短く答えた。
封じ祠の奥には、守るものがある。白狐さんを傷つけるものだけではない。たぶん、大事なものだ。だから、雑に開けない。怖がって放っておくこともしない。
小祠一の灯りが、ぽう、と足元で揺れた。
ミオは透明板を閉じずに、その光を見ていた。
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