第93話 灯りは、まっすぐ行かなかった
小祠一の前に、朝の光がやわらかく落ちていた。湯場の方からは、うすい湯気がまだ上がっている。村の人たちは今日は少し離れた場所で見ていた。リタが水桶を持ち、ベンは両手を後ろに回している。白狐さんは座り石の上にいて、昨日よりは耳が起きていた。
ミオは透明板を抱えたまま、封じ祠の方を見た。遠くにあるその祠は、草に半分隠れている。見た目は小さな石祠だ。けれど、透明板越しには、その手前で細い線がいくつも絡んでいる。
「白狐さん、気分はどうですか」
「湯と水と芋で、かなり戻りました」
「芋が入りました」
「重要です」
「今日は、白狐さんの方へ線を寄せないようにします」
「はい。見ています」
ミオは透明板を開いた。昨日置いた小さな印が、封じ祠の手前に残っている。そこから環祠へ向かう細い線が、うっすら見えた。ちゃんと道がある。道というより、古い光の溝だ。
[外縁祠群・再試験]
――――――――――
星見台:入口
環祠:戻し線
小祠群:分散
封じ祠:直接接続禁止
出力:低
――――――――――
表示は短い。やさしくはない。ミオはそこが少し好きだった。村の人には「灯りの道」と言えばいい。透明板は「戻し線」と出す。その二つがずれるから、今どこを触っているのか分かる。
「星見台から入れます」
「はい」
「封じ祠の手前で区切って、環祠へ曲げます」
「ミオ」
「はい。まっすぐ行かせません」
ミオは指先で星見台の表示を押した。
ぽう。
遠くの星見台が灯った。昨日と同じ、淡い光だった。けれど、今日は少し細い。灯りは草の下をすうっと走り、環祠の方へ向かった。封じ祠へ伸びかけた線が、手前の印でふっと弱くなる。
ミオは息を止めた。
透明板の中で、線が少し戻った。まっすぐではない。ゆるく曲がり、環祠の石のふちへ寄る。環祠が、ぽう、と小さく応えた。
「曲がった」
「はい」
白狐さんの影は濃くならない。しっぽも一本のままだ。ミオは透明板を握る指をゆるめた。
小祠群の灯りが、次々に起きた。ぽう、ぽう、ぽう。昨日より少し遅い。だけど、その分、線が白狐さんの方へ寄らない。草の間の小さな石が、順番に淡く光る。
ベンが小さく跳ねた。
「小さい祠、いっぱい光った」
「ベン、静かに」
「静かに光った」
「あなたも静かにです」
リタがそう言いながらも、目は外縁の灯りを追っていた。村の外れに、淡い輪のかけらができている。まだ輪ではない。点と線が少しつながっただけだ。それでも、昨日よりずっと穏やかだった。
透明板の端で、警告は出ない。
[低出力確認]
――――――――――
星見台:通過
環祠:応答
小祠群:分散中
封じ祠:直接応答なし
白狐照合:発生なし
――――――――――
「白狐さん、来てません」
「はい。呼ばれていません」
「よかったです」
「とても、よいです」
ミオはもう一つだけ、小祠群の枝を開いた。封じ祠から遠い側だ。そこなら安全に見える。少しだけ灯りを増やして、分散先を確かめるつもりだった。
つもりだった。
透明板の中で、別の線がぱっと出た。小祠群の奥、草に埋もれた古い道標まで、淡い光が走る。
「えっ」
「ミオ」
「今のは、ちょっと広いです」
「ちょっと、ですか」
「……広いです」
道標が、ぽう、と灯った。
それを見た村人たちが、少しざわめいた。外縁小道のさらに先、今までただの古い石だと思われていた場所に、丸い灯りが浮かんでいる。小さな子どもが「あそこも道だった」と声を上げた。
リタが口元を押さえた。
「あそこまで、明るくなるのですか」
「予定では、今日はそこまでは」
「ミオ様」
「はい。予定より少し、外です」
白狐さんはミオを見た。責める目ではない。けれど、静かに見ている。
「ミオ」
「はい。広げすぎないようにします」
「道標は消しますか」
「いえ……消さなくても、低いままなら使えます。たぶん」
「たぶん」
「確認します」
ミオは透明板を操作した。道標の灯りは強くならない。ぽう、と低く、足元を照らすくらいで止まっている。封じ祠への線も動いていない。白狐さんへの照合もない。
[外縁道標]
――――――――――
状態:低出力点灯
接続元:小祠群
封じ祠干渉:なし
運用:仮
――――――――――
「仮です」
「仮なら、よいのですか」
「よくは……ええと、使える仮です」
「ミオ様、それは明るいです」
リタが言った。
「村の人が夕方に歩く時、助かります」
「そうですか」
「はい。あそこ、石につまずく人が多かったので」
ミオは道標を見た。たしかに、あのあたりは草が深い。夕方なら足元が見えにくい。灯りがあれば助かる。封じ祠にも触っていない。
ただ、予定より外まで光った。
「白狐さん」
「はい」
「これは、消すより、札……じゃなくて、目印を立てた方がいいかもしれません」
「札と言いかけましたね」
「言いかけました」
「今日は灯りです」
「はい。灯りです」
白狐さんの声に少しだけ笑いが戻った。ミオはほっとして、透明板に低出力固定の印を置いた。
道標の灯りが、少し落ち着いた。明るすぎない。けれど、夕方の足元には十分そうだった。
ベンが言った。
「ミオ様、あそこまで道になった」
「まだ仮です」
「仮の道」
「そうです」
「仮でも、明るい」
「それは、そうです」
村人たちの顔が、少し明るくなっている。ミオはそれを見て、透明板を胸に引き寄せた。やりすぎた。けれど、悪い形ではない。封じ祠には触れていない。白狐さんも呼ばれていない。外縁の道標が一つ、使えるかもしれない。
白狐さんが座り石から降りた。
「今日は、ここで区切りましょう」
「はい」
「灯りは、よく曲がりました」
「途中で、少し伸びました」
「ミオらしいです」
「褒めてますか」
「半分です」
「残り半分は」
「監督です」
ミオは小さく笑った。
透明板には、星見台、環祠、小祠群、そして外縁道標の淡い線が残っている。封じ祠の手前には、昨日置いた印がそのまま光っていた。
そこから先へは行っていない。
でも、道は曲がった。
白狐さんは呼ばれなかった。
小祠一の灯りが、足元でぽう、と揺れた。遠くの道標も、少し遅れてぽう、と応えた。
村の外れに、昨日より長い灯りの道ができていた。
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