第90話 湯けむりの道に、灯りがともった
朝から、小祠一へ向かう人が多かった。
水桶を持つリタ、浅いかごを抱えたトマ、小芋の袋を持つマル婆さん、丸い石を拾う気まんまんのベン。ミオは透明板を胸の前に持ち、白狐さんは支度場の横でしっぽを巻いていた。
「今日は芋、多いですね」
「昨日、足りなかったからねえ」
マル婆さんが言った。
「足りなかったんですか」
「白狐さんが確認した分もあるしね」
「確認です」
白狐さんはすぐ答えた。
「多めの確認でした」
「必要量です」
「白狐さん、食べ物の時だけ強い」
ベンが小芋の袋をのぞきこむ。
「湯の芋、いっぱい」
「いっぱいではありません。昨日より少し多いだけです」
「いっぱい」
「ベン基準ですね」
「ベン基準」
支度場で草分け棒を取り、水甕を確かめ、戻り石の袋を持つ。リタは木札を見ずに手を動かしていた。水は日陰、草分け棒は右、戻り石は低い段。迷わない。
外縁小道へ入ると、草の間に細い踏み跡ができていた。昨日よりはっきりしている。足元に残った朝露が、踏まれたところだけ薄い。
小祠一の休み場では、座り石の上に誰かが置いた小枝があった。水甕の覆い布は乾いている。干し台には、薄い布切れが一枚かけられていた。
「誰か、先に来てますね」
リタが言う。
「朝早く、水を見に来たんじゃないかね」
マル婆さんが座り石に腰を下ろした。
「湯があると、人は早くなるよ」
ミオは透明板を開いた。
――――――――――
[外縁小道・利用確認]
支度場:使用中
小祠一休止場:使用中
水甕:補充済
通行反応:増加
――――――――――
「水、入ってます」
「水係より早い」
ベンが目を丸くした。
「水係、負けた?」
「負けではないです」
「でも早い」
「早い人がいましたね」
ベンは少し悔しそうに、水甕の覆い布をまっすぐに直した。
小祠一に礼をして奥へ進むと、湯場はもう白い湯気を上げていた。
石の縁は昨日より少ししっかりしている。誰かが丸い石を足したらしい。蒸し台も枝が増えて、浅いかごを二つ置けるくらいになっていた。トマがそれを見て、腕を組む。
「俺が作る前に増えてる」
「村の誰かが足しましたね」
「誰だ」
「丸い石の置き方が雑です」
リタが言う。
「ベンじゃないの?」
「ベン、朝来てない」
「じゃあ、別の丸い石係ですね」
「石係、増えた」
ベンは少し複雑そうな顔をした。
芋は二つのかごに分けた。小さいものを上、大きいものを下。マル婆さんが葉をかぶせ、リタが小石で押さえる。湯気がかごのすきまから白く漏れた。
白狐さんは、蒸し台の横に座った。
「近いです」
「確認です」
「まだ蒸し始めです」
「初期状態の確認です」
「便利な言葉ですね」
「便利です」
ミオは湯場の奥を見た。
昨日、ぽう、と小さな光が浮いたあたり。今は何も見えない。湯気が流れ、草がしめっているだけだ。
透明板をかざす。
――――――――――
[外縁温熱系統]
湯浴み場:稼働
地熱排気:稼働
利用反応:増加
外縁補助線:待機
――――――――――
「待機……」
「昨日の光ですか」
リタが小声で聞く。
「たぶん。まだ動いてはいません」
「触りますか」
「触るより、今日は人が使うのを見ます」
リタはうなずいた。
畑帰りの男たちが、昼前に来た。女たちも何人か来た。子どもたちは湯気を追いかけ、ベンは「石係が増えたかもしれない」と言いながら足元の石を見ている。
湯に手を入れた男が、目を細めた。
「これ、帰りに寄ると足が違うな」
「また畑に戻れます?」
「戻りたくはない」
「正直ですね」
「でも、明日の朝は少し楽だと思う」
豆を運んできた女は、指先を湯に入れて笑った。
「ああ、手が戻る」
「手が戻る?」
「冷えてこわばってたのが、戻る感じ」
「それ、分かります」
リタが自分の指を見た。
「針仕事の前にもよさそうです」
マル婆さんは座り石で、芋の匂いを待っていた。
「芋は?」
「まだです」
「まだかい」
「マル婆さんも近いです」
「年寄りには確認がいるんだよ」
「白狐さんみたいなこと言い始めた」
「よい傾向です」
白狐さんが言った。
「よいんですか」
「確認は大事です」
葉のふちから、甘い匂いが出た。
ベンが立ち上がる。
「来た」
「また早い」
「湯の芋の匂い」
「完全に覚えましたね」
葉を開くと、湯気がぶわっと広がった。芋の皮にはしわが寄り、中は黄色くやわらかい。湯に入った人も、手だけ温めた人も、座り石で待っていた人も、ひとつずつ芋を受け取った。
「熱い」
「うまい」
「これ、畑のあとにだめだな」
「だめ?」
「座ったら立てなくなる」
「立ってください」
リタが笑いながら言った。
白狐さんは小さな芋を受け取り、静かに食べた。
「昨日より、さらによいです」
「待ち時間ですか」
「かごです」
「進化してる」
「湯気の通りがよいです」
「白狐さん、食べ物の解析だけ妙に細かいですね」
「神獣です」
「それで全部通す」
午後、小祠一の周りには、人の声がずっとあった。
水甕の前で子どもが水を飲む。座り石でマル婆さんが膝を伸ばす。干し台に濡れた布がかかる。湯場では畑帰りの男が肩に湯をかける。蒸し台では、二回目の芋がゆっくり温まっている。
小祠一の道が、祠だけの道ではなくなっていた。
ミオは湯場から少し離れ、外縁小道の方を見た。村から来る人、村へ戻る人。空のかごを持つ人。濡れた布を持つ人。芋の皮を手にしたベン。足を温めたあと、歩き方が少し軽くなったマル婆さん。
透明板の中で、細い線がゆっくり明るくなった。
――――――――――
[外縁小道・利用連結]
支度場:使用中
休止場:使用中
湯浴み場:使用中
蒸し台:使用中
通行量:基準到達
外縁補助線:起動準備
――――――――――
「起動準備……」
「ミオ様?」
リタが隣に来た。
「小祠一の奥の線が、通った人の動きに反応しています」
「人の動きに」
「はい。使われて、起きてきた感じです」
「では、いい反応ですか」
「いい反応だと思います。無理に起こした感じではないです」
白狐さんが湯場から顔を上げた。
「道は、歩かれると道になります」
「白狐さん、今日も神獣ですね」
「常に神獣です」
「芋を食べてる時も?」
「特に神獣です」
「特に」
その時、小祠一の前にある小さな石が、ぽう、と光った。
誰かが声を止めた。
光はすぐ消えなかった。石の内側から、淡い金色がにじむ。次に、支度場の方で同じ光がひとつ。水甕の横の石も、遅れてぽう、と光る。
ベンが芋を持ったまま固まった。
「石、光った」
「光りましたね」
「石係、知らない」
「これは、別の石かもしれません」
ミオは透明板を開いた。
――――――――――
[外縁補助線]
小祠一:応答
支度場:応答
休止場:応答
湯浴み場:応答
状態:低出力連結
――――――――――
「低出力連結……つながりました」
「何がつながったんですか」
リタが聞く。
「村から小祠一までの支度場、休み場、湯場。外縁の補助線が、低い力でつながっています」
「それは、道が使われたからですか」
「たぶん。水を置いて、人が休んで、湯に入って、芋を蒸して、何度も通ったから」
神官が小祠一へ礼をした。
「祠が、村の足を覚えたのでしょう」
「はい」
ミオは透明板を下ろした。
「たぶん、そういう言い方が合います」
小祠一の前の光は、強くはない。けれど、消えずに灯っている。夕方が近づき、草の影が伸びる中で、その灯りは道の端をやわらかく照らした。
リタが小さく息を吐いた。
「帰り道、少し明るいです」
「はい」
「これなら、夕方でも支度場まで見えます」
「見えますね」
マル婆さんは座り石から立ち上がり、灯った石をじっと見た。
「昔は、こうだったのかねえ」
「分かりません」
「でも、いいねえ」
「はい」
「湯もあって、芋もあって、帰りの石が光る。ぜいたくだよ」
トマが笑った。
「ぜいたくだな」
「芋がもう少しあれば」
「そこ?」
「そこ」
白狐さんは灯りのそばへ行き、しっぽで触れない距離で座った。
「白狐さん、確認ですか」
「灯りは食べません」
「食べ物じゃない時は落ち着いてますね」
「食べ物でも落ち着いています」
「そうかな」
「そうです」
ベンが灯った石の前にしゃがむ。
「石係、これ見る」
「触らないでね」
「見るだけ」
「本当に?」
「少しだけ触る」
「触らない」
「見るだけ」
ベンは両手を膝に置いて、がまんした。
夕方、村へ戻る道に、淡い灯りが続いた。
強い光ではない。足元の草と石のふちが、少し見えるくらい。けれど、暗くなりかけた外縁小道では、それだけで十分だった。水桶を持つ人がつまずかずに歩く。マル婆さんの杖が石を避ける。リタのかごの中で、残った芋がころんと鳴る。
ベンは何度も振り返った。
「光ってる」
「光ってますね」
「石係、忙しい」
「光る石係も増えましたね」
「増えた」
支度場まで戻ると、入口祠の横の石も、ぽう、と灯っていた。
村の中から来た子どもたちが、それを見て声を上げる。井戸端の女たちも手を止めた。トマは空のかごを下ろし、神官は静かに入口祠へ礼をした。
ミオは灯りの前にしゃがんだ。
透明板には、短い表示が出ている。
――――――――――
[外縁生活線]
支度場:接続
休止場:接続
湯浴み場:接続
地熱排気:接続
状態:低出力安定
――――――――――
「外縁生活線……」
「生活線、ですか」
リタが聞く。
「村の人が使う線、ということだと思います」
「水を持って、休んで、お湯に入って、芋を蒸して、帰ってくる線」
「はい」
リタは灯りを見て、少し笑った。
「それ、村ですね」
「村ですね」
白狐さんが、ゆっくりうなずいた。
「祈りだけではありません。人が水を持ち、足を休め、湯に入り、食べ物を分けて帰る。それも、村の道です」
「白狐さん、今日の締めを取らないでください」
「締め?」
「いえ、なんでもないです」
「変なミオです」
「今のは、わたしが悪いです」
ミオは小さく咳をした。
灯りは、ぽう、と揺れていた。
水甕がある。座り石がある。干し台がある。湯場がある。蒸し台がある。そこへ行く道に、灯りがともった。
村人はまだ、灯りの名前を決めていない。けれど、もう誰かが明日の水桶を支度場へ置き、誰かが小芋を探し、誰かが湯に入る順番を話している。
ミオは透明板を閉じた。
次に外へ伸びる線が、湯気の向こうに少しだけ見えた。急がない。今は、この道が使われている。
白狐さんが隣で、灯りを見上げている。
「ミオ」
「はい」
「明日は、油揚げを蒸す件について」
「蒸しません」
「まだ何も言っていません」
「言う前に分かります」
「強くなりましたね」
「白狐さんのおかげです」
白狐さんは少し満足そうにした。
ベンが灯りの石を見つめながら、小さく言った。
「湯の道、光った」
ミオはうなずいた。
「うん。光ったね」
外縁小道の薄い灯りが、村の入口まで続いていた。
「続きが読みたい」と思ったら下の評価とブックマーク登録をどうぞ。




