第88話 湯けむりで、芋を蒸した
小祠一の奥では、朝から湯気が上がっていた。
石で囲った湯船の表面が、ちゃぷん、と小さく揺れる。白い湯気は風に押され、草の低いところをふわふわ流れていく。昨日よりも村人の足跡が増えていて、湯場までの草は少し寝ていた。
ベンは湯船の横で、丸い石を数えている。
「一、二、三、四、五」
「昨日も数えてませんでした?」
「今日も丸い」
「丸い石は減らないと思います」
「増える」
「増えてるの?」
「ベンが置いた」
ミオは湯気の流れる先を見た。
湯場の外れに、草が少しだけ濡れている場所がある。湯が流れているわけではない。水たまりでもない。ただ、地面の小さなくぼみから、白い湯気がすうっと出ていた。
白狐さんが、鼻をひくひくさせた。
「匂いが違います」
「湯の匂いですか」
「湯より、土です」
「土」
「温まった土の匂いです」
リタが木桶を置き、くぼみをのぞきこんだ。
「ここも温かいんですか」
「たぶん」
ミオは指先を近づけた。熱すぎない。けれど、しっかり温かい。湯船とは別に、地面の下から湯気だけが抜けている。
透明板をかざす。
――――――――――
[地熱排気確認]
位置:湯場外縁
温度:中
水分:高
用途候補:保温/蒸し
注意:湯路閉塞不可
――――――――――
「蒸し……?」
「蒸し、ですか」
リタが首をかしげた。
「湯気で温めるやつです。たぶん」
「食べ物もできますか」
「できます。たぶん。現代だと、温泉まんじゅうとか、温泉卵とか」
「おんせんまんじゅう」
「今の村には材料がないですね」
「卵も少ないです」
「芋なら?」
トマが後ろから言った。
「小さい芋ならあるぞ」
マル婆さんが座り石で、すぐ顔を上げた。
「蒸し芋かい」
「できると思います?」
「湯気が強ければね。葉で包んで、かごに入れて、ふたをしておけばいい」
「やってみましょう」
白狐さんの耳が少し動いた。
「油揚げは」
「蒸しません」
「そうですか」
「残念そうですね」
「確認です」
「はい」
トマが村へ戻り、小さな芋をいくつか持ってきた。大きさはばらばらで、土もついている。リタが水甕の水を少し使って洗い、マル婆さんが葉で包む。ベンは芋をのぞきこみ、ひとつ選んで胸を張った。
「これ、ベンの芋」
「まだ蒸してないです」
「蒸したら、ベンの芋」
「名前が早い」
ミオは湯気のくぼみの上に、石を三つ置いた。そこへ小さな枝を渡し、上に浅いかごを乗せる。かごの中に葉包みの芋を並べ、上からもう一枚、厚い葉をかぶせた。
「これでいいですか」
「ふたが軽いね」
マル婆さんが言う。
「石をひとつ置きな」
「はい」
ベンが小石をひとつ乗せた。少し小さすぎる。
「飛びますか」
「飛ぶ」
「じゃあ、もう少し大きい石で」
「大人の石?」
「これは子どもの石で大丈夫です」
「子どもの石」
ベンは満足そうに、少し大きい石を持ってきた。
湯気はかごの下から入り、葉のふちから白く漏れた。芋はまだ何も変わらない。けれど、葉の青い匂いと、土の匂いと、湯気の匂いが混ざって、あたりが少しだけ台所みたいになった。
リタがそわそわしている。
「どれくらい待ちますか」
「分かりません」
「ミオ様でも」
「蒸し時間は、芋に聞きたいです」
「芋は答えません」
「ですよね」
白狐さんがかごを見つめた。
「食べ物の気配がします」
「まだ芋です」
「芋も食べ物です」
「そうでした」
ミオは透明板をかざした。
――――――――――
[湯けむり蒸し試験]
対象:小芋
加熱:進行
水分:保持
状態:試験中
――――――――――
「進んでます」
「食べられますか」
「まだです」
「まだ」
白狐さんは静かに言った。
「まだ、ですか」
「白狐さん、ちょっと近いです」
「確認です」
待つ間、村人たちは湯場の石を直した。トマが外側の石を二つ積み直し、リタが昨日干していた布を畳む。マル婆さんは座り石で膝をさすりながら、蒸しかごをじっと見ている。
「マル婆さんも近いです」
「芋だからねえ」
「みんな芋に弱い」
「温かい芋は、もっと弱いよ」
ベンはかごの前で座りこんだ。
「まだ?」
「まだ」
「まだ?」
「まだです」
「もう?」
「まだ」
「芋、遅い」
「芋には芋の都合があります」
白狐さんがうなずいた。
「芋の都合です」
「白狐さんまで」
しばらくすると、葉のふちから出る湯気の匂いが変わった。
土の匂いよりも、甘い匂いが少し強くなる。リタが「あ」と声を出し、マル婆さんが笑った。
「来たね」
「来ました?」
「芋の匂いだよ」
トマが木の枝で葉を少し持ち上げた。
湯気が、ぶわっと上がる。
「熱い」
「手で触らないでください」
「分かってる」
中の芋は、皮に少ししわが寄っていた。ミオが小枝でひとつ押すと、ふに、と沈む。
「柔らかいです」
「開けよう」
ベンが立ち上がる。
「熱いので待ちます」
「待つ」
「少しです」
「少し」
葉ごと取り出し、座り石の上に置いた。湯気が細く上がっている。マル婆さんが芋をひとつ割ると、中はほくほくに黄色かった。
リタが息をのむ。
「できてます」
「できてるねえ」
「湯気で芋が」
「蒸し芋だよ」
ベンは自分の芋を両手で受け取り、ふうふう息を吹きかけた。
「あつい」
「ゆっくり」
「あついけど、いい匂い」
「食べてから言ってください」
ベンは小さくかじった。
目が丸くなる。
「うまい」
「よかった」
「湯の芋」
「湯の芋」
白狐さんが、じっと見ていた。
「白狐さんも食べます?」
「確認します」
「はい、確認ですね」
ミオが小さく割った芋を差し出すと、白狐さんは少しだけ食べた。
しばらく黙る。
「……供物としての可能性があります」
「出ました」
「油揚げとは別系統です」
「分類しなくていいです」
「重要です」
「やっぱり食べ物になると強いですね」
リタも芋を食べた。ふうふう冷まして、少しずつ口に入れる。目元がやわらかくなる。
「これ、畑仕事のあとに食べたいです」
「お風呂のあとに食べてもよさそうです」
「それは、かなりよさそうです」
「かなりよさそうですね」
ミオもひとつ受け取った。
熱い。皮を割ると、湯気がふわっと上がる。指先が少し熱くなり、口に入れると、やさしい甘さが広がった。油も塩もない。ただの芋なのに、湯気で温まっているだけで、ずいぶん違う。
「……おいしい」
「ミオ様も、顔がゆるんでます」
「温泉のあとに蒸し芋はずるいです」
「ずるい」
ベンがまねした。
「湯の芋、ずるい」
「それは合ってる」
湯場の横で、村人たちが芋を分け合った。大きなごちそうではない。数も少ない。けれど、湯気で温めた芋を、湯場のそばで食べている。そのことだけで、みんな少し笑っていた。
トマは蒸しかごの足元を見て、すぐ枝を足した。
「これ、もう少し大きいかごにできるな」
「大きすぎると湯気が逃げます」
「じゃあ、二段か」
「二段」
リタが反応した。
「上と下で蒸し具合が変わりそうです」
「試すか」
「今日は一段で」
「はい」
白狐さんが湯場の石に前足を置いた。
「湯場が食べ物を呼び始めました」
「人も呼んでます」
「湯と食べ物は強いです」
「白狐さん、実感こもってますね」
「油揚げで知っています」
「そこですか」
井戸端では、ベンがさっそく言いふらしていた。
「湯の芋、できた」
「湯の芋?」
「小祠一で、芋がほくほく」
「ほくほく」
「白狐さんも確認した」
「確認」
「食べた」
「それは確認なの?」
リタは横で苦笑しながら、蒸しかごに使った葉を洗っている。マル婆さんは芋の大きさをそろえる話を始め、トマは枝で二段かごの形を地面に描いていた。
ミオはその様子を見て、湯場のことを考えた。
昨日は温まる場所だった。今日は、温かいものを作る場所にもなった。湯気は体をほどくし、芋も柔らかくする。村人はそれをすぐに見つけて、使い道を増やしていく。
透明板を開く。
――――――――――
[地熱排気利用]
湯浴み場:稼働
蒸し台:仮設
対象:小芋
結果:可食
状態:継続可
――――――――――
「継続可、ですか」
「またできますか」
リタが聞く。
「はい。ただ、湯路をふさがないように、小さいかごで」
「分かりました」
「あと、白狐さんが近づきすぎないように」
「それは難しいです」
「聞こえています」
白狐さんが言った。
「近づきすぎていません」
「芋の時は近かったです」
「確認です」
「はい」
夕方、小祠一の奥には、湯気と甘い匂いが少し残っていた。
湯船の横に、小さな蒸し台が置かれている。枝を組んだだけの、頼りない台だ。けれど、葉をかぶせれば湯気を受ける。芋を置けば、時間をかけてやわらかくなる。
ベンは帰り道、残った小さな芋をひとつ抱えていた。
「明日も、湯の芋」
「明日は芋があるか分かりません」
「豆」
「豆はどうでしょう」
「豆も湯」
「試す気ですね」
白狐さんが静かに言った。
「油揚げは」
「蒸しません」
「確認です」
「まだ言ってる」
ミオは笑った。
湯場から上がる白い湯気の横で、蒸しかごがころんと揺れた。
小祠一の奥で、温泉は芋までほくほくにした。
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