表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖女は世界をハックする 〜見た目は魔法!?超古代技術で貧しい村を天空都市に育てます〜  作者: 七森ふれあ
外縁祠群と星見台の先

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
92/192

第87話 湯けむりのあと、村の手が早くなった

 朝、リュミナ村の井戸端は少し浮ついていた。


 水桶を並べる女たちも、豆を洗う子どもたちも、話しているのは小祠一の奥にできた湯場のことばかりだった。昨日、湯気を見た者は何度もそれを話し、まだ見ていない者は桶を持ったまま顔を寄せる。


「ほんとに湯気が出てたの?」

「出てたよ。白く、ふわっと」

「ミオ様、入ったんでしょう?」

「最高って言ってた」

「最高って」

「最高って言ってた」


 リタは井戸水を汲みながら、少し得意そうにうなずいた。


「本当に、最高って言ってました」

「リタが入ったみたいな顔してる」

「今日は入ります」

「いいなあ」

「順番です」


 ミオはその横で、顔を少し伏せた。昨日の自分の声が、村中に広まっている。


「最高、そんなに大きい声でしたか」

「湯気の中から、ちゃんと聞こえました」

「聞こえましたか」

「はい」


 白狐さんは井戸の縁に座り、しっぽをきっちり巻いていた。昨日のしっぽ入浴事件を、本人はまだ認めていない。


「白狐さんも、しっぽが」

「入っていません」

「まだ何も言ってません」

「言う前に分かります」

「強い」


 ベンが小桶を抱えて走ってきた。


「湯、行く」

「走ると水が揺れます」

「水じゃない。湯」

「湯でも走らない」

「湯は山の上」

「小祠一の奥です」

「小祠一の奥」


 言い直して、ベンは小桶を抱え直した。


 朝の支度が終わると、女たちが湯場へ向かった。リタ、ミオ、マル婆さん、井戸端の女たちが数人。トマたちは少し後から石を直しに行くと言い、ベンは当然のように混ざろうとして止められた。


「ベンはあと」

「あと」

「あとで子どもたちと見に行きましょう」

「ちゃぷん」

「ちゃぷんはあとです」


 外縁小道を歩くと、昨日までと同じ道なのに、足取りが少し違った。


 小祠一の支度場には草分け棒、水甕、座り石、干し台がある。その奥に湯場があると思うだけで、道が少しにぎやかに見えた。マル婆さんも杖をつきながら、いつもより早めに歩いている。


「マル婆さん、速いです」

「湯があるからねえ」

「膝、無理してません?」

「膝も湯を覚えたんだよ」

「膝が覚えた」

「覚えるんだよ、こういうのは」


 白狐さんが横から静かに言った。


「体は、楽な場所をよく覚えます」

「白狐さん、今日はちゃんと神獣ですね」

「常に神獣です」

「昨日、しっぽだけお風呂に入ってましたけど」

「入っていません」

「はい」


 小祠一に礼をして奥へ進むと、湯場から白い湯気が上がっていた。


 石で囲った湯船は、昨日より少し落ち着いて見えた。トマたちが朝のうちに石を直したのか、縁のぐらつきが減っている。湯は薄く白く、表面で小さく揺れていた。


 リタが息を吸った。


「本当に、今日も出ています」

「昨日だけじゃなかったですね」

「よかったです」


 ミオも胸の前で透明板を開いた。


――――――――――

[小祠一奥・湯浴み場]

地熱水脈:安定

湯量:低流量維持

石組み:補修済

温度:適温域

状態:稼働

――――――――――


「大丈夫そうです。温度も昨日と同じくらい」

「では」

 リタが湯を見た。

「入ります」

「はい。どうぞ」


 リタは湯に入ると、最初に小さく声を出した。


「……あっ」

「分かります」

「これ、分かります」

「ですよね」


 湯気の向こうで、リタの肩がすとんと落ちた。普段きちんとしているリタの背中が、少しだけゆるむ。


「ミオ様」

「はい」

「これは、仕事の前に入ったら、戻れなくなります」

「それは困りますね」

「でも、仕事の後なら」

「かなり効きます」

「効きます」


 マル婆さんは座り石に腰を下ろし、順番を待ちながら湯気を眺めてにやにやしていた。


「ほらね。若い子もほどける」

「ほどけるって、すごい言い方ですね」

「見れば分かるよ」

「分かります」


 井戸端の女たちも、ひとりずつ湯を確かめた。手を入れた者は笑い、足先をつけた者は黙り、肩まで沈んだ者はしばらく出てこなかった。


 ミオは湯のそばで、石の位置を見ていた。


 昨日より、湯の流れが見える。入ってくる細い線。出ていく小さな溝。石の内側にたまる湯。透明板で見れば旧設備の線だが、目で見ると、ただの手作りの湯船だった。


 村人が石を運んだ。リタが布を持ってきた。ベンが丸い石を探した。白狐さんが供物の方を見張った。ミオが線を読んだ。


 それで、湯気が上がっている。


「ミオ様」

 リタが湯から上がり、髪の端を押さえながら言った。

「これ、村の人、みんな来たがります」

「ですよね」

「畑仕事のあとに入りたいです」

「水を汚さないように、軽く流してからですね」

「はい」

「長居しすぎる人も出ます」

「マル婆さんですね」

「聞こえてるよ」


 マル婆さんが笑った。


 昼前、トマたちがやって来た。男衆は石の外側を直し、湯がこぼれたところに小さな溝を足した。ベンは子どもたちと一緒に石の外を回り、「ちゃぷん」を連呼している。


「入る」

「あとで」

「ちゃぷん」

「あとで」

「ちゃぷんだけ」

「言うのはいいです」


 白狐さんは湯場の縁から少し離れて座っていた。しっぽは昨日よりも遠い。


「白狐さん、今日は距離ありますね」

「事故を防いでいます」

「入ってないのに」

「事故です」

「はい」


 ミオは湯に手を入れた。


 昨日と同じ温かさだった。指先から腕へ、じんわり熱が上がってくる。昨日入ったばかりなのに、体が覚えている。


 リタが横から言った。


「ミオ様も、もう一度入りますか」

「……少しだけ」

「少しだけ」

「少しだけです」

「昨日、最高と言ってました」

「今日は静かに入ります」


 静かに入るつもりだった。


 けれど、湯に沈むと、やっぱり声が出た。


「……はあ」


 リタが外で笑った。


「静かではありませんでした」

「これは無理です」

「分かります」


 ミオは肩まで湯に浸かり、目を閉じた。湯気が顔にかかる。外で子どもたちが小さく騒いでいる。トマが石を置く音がする。マル婆さんが誰かに膝の話をしている。白狐さんが「油揚げは持ちこまないでください」と言っている。


 ごちゃごちゃしている。


 でも、それが村だった。


 ミオは湯の中で、そっと指を握る。


 昨日、思い出したレンの顔が、また湯気の向こうに浮かんだ。真面目に熱さを分析して、結局は少し気持ちよさそうにしていた顔。


「レン、たぶん文句言いながら入るんだろうな」


 小さく言うと、白狐さんの耳が動いた。


「その方は、湯を好むのですか」

「好きなのに、最初は理屈を言う人です」

「面倒ですね」

「少し」

「でも、思い出す顔なのですね」

「はい」


 白狐さんは、しばらく黙った。


「ならば、この湯場はよいものです」

「どうしてですか」

「遠い者を、少し近くします」

「……白狐さん」

「神獣です」

「はい」


 ミオは笑い、湯に口元まで沈みかけて、あわてて戻った。


「今、ちょっと沈みました」

「見ていました」

「言わないでください」

「言いました」


 リタがまた笑った。


 畑から戻った男が、井戸端で腰を押さえながら言った。


「小祠一の湯、腰にも効くかな」

 豆を洗っていた女が顔を上げる。

「手だけでも入れたいね」

 子どもたちは桶のそばで、まだ「ちゃぷん」と言っていた。神官は小祠一に礼をしてから使うよう短く言い、白狐さんは「供物を濡らさない」を三回言った。


 夕方、かまどの火の前で、リタがぽつりと言った。


「今日、畑のあとに湯へ行くと思うと、少しがんばれました」

「分かります」

「終わったあとに温まれる場所があるのは、違います」

「はい」


 ミオはうなずいた。


 湯場は、ただ気持ちいいだけではなかった。


 畑へ行く足を少し軽くする。重い水桶を運ぶ肩に、あとで温められると思わせる。膝の痛い人に、また小祠一まで行く理由を作る。子どもたちに、村の外の道を怖いだけの場所にしない。


 小祠一の奥から上がる湯気は、村の中まで届いていない。


 でも、村人の動きには届いていた。


 夜の前、ミオはもう一度だけ小祠一へ行った。湯場の石が冷えすぎていないか、流れが止まっていないかを見るためだ。白狐さんもついてきた。


 湯場には、まだ白い湯気があった。


 湯の表面が、夕方の薄い光を受けて揺れている。石の外には、ベンが拾った丸い石が二つ増えていた。リタが置いた小さな布も乾いている。


「明日、また人が来ますね」

「来ます」

 白狐さんが言った。

「湯は、人を呼びます」

「白狐さんも?」

「わたしは監督です」

「しっぽは?」

「乾いています」

「よかったです」


 ミオは湯に指を入れた。


 あたたかい。


 その熱が指先から上がってきて、胸の奥に残っていた記憶を少し揺らした。


 レンも、どこかであたたかいものに触れているといい。そう思ってから、ミオは透明板を閉じた。


 今日は、問いかけを遠くへ投げない。


 ここにある湯を、明日も使えるようにする。


 小祠一の奥で、手作りの露天風呂が静かに湯気を上げていた。

「続きが読みたい」と思ったら下の評価とブックマーク登録をどうぞ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ