第86話 小祠一の奥に、手作り露天風呂ができた
小祠一の休み場から少し奥へ入ったところで、ベンがしゃがみこんだ。
草の間に手を置き、首をかしげている。戻り石の袋は横に置かれ、水係の顔でも石係の顔でもなく、何かを見つけた時の顔になっていた。
「ここ、ぬくい」
「ぬくい?」
「土が、ぬくい」
ミオは近づいて、指先で地面に触れた。
ほんのり、あたたかい。日が当たった土の温かさとは違う。下から、じんわり上がってくる。草の根元には小さな水気があり、白い揺らぎが、ふわ、と立っていた。
白狐さんの耳が、ぴんと動いた。
「ミオ」
「はい。これ、何かあります」
ミオは透明板をかざした。
――――――――――
[地熱水脈確認]
地点:小祠一奥
温度:上昇反応
水脈:低流量
旧設備:湯浴み場補助線
状態:閉塞/漏出
――――――――――
「湯浴み場補助線……?」
「湯浴み場、ですか」
リタが目を丸くした。
「お湯に入る場所、だと思います」
「小祠一の奥に?」
「昔は、ここにあったのかもしれません。今は詰まって、少しだけ漏れてます」
トマがしゃがんで、土を少し掘った。指先に湿った土がつき、その下から小さな水がにじむ。
「ほんとだ。あったかい」
「熱くはないですね」
「集めたら、湯になるか」
「やってみます」
白狐さんが小祠一の方を見た。
「祠の前へ流してはいけません」
「分けます。供物とも水甕とも離します」
「よいです」
トマが村へ戻り、男たちを二人連れてきた。平たい石、丸い石、古い木板、麻ひも、桶。リタは湯浴み用の布も持ってきた。マル婆さんは休み場の座り石に座り、にこにこ見ている。
「露天風呂かい」
「まだ石の囲いです」
「湯が出るなら、もう半分お風呂だよ」
「半分」
「残り半分は、入ってから決まるねえ」
ミオはその言葉に、少しだけ笑った。
透明板を見ながら、湯のにじむ場所の周りに枝で線を引いた。大きすぎる浴槽にはしない。村人が石を運べる大きさで、座れば肩の下まで浸かれるくらい。湯の入口と流れ出る口を分け、祠側へこぼれないように低い溝を掘る。
――――――――――
[湯浴み場仮設手順]
取水:地熱水脈漏出点
囲い:石組み
排水:外縁側小溝
用途:湯浴み/身体加温
注意:祠域分離
――――――――――
「石で囲って、外縁側へ流します。お湯がたまるところと、出ていくところを分けます」
「石はこの大きさでいいか」
「はい。下に大きい石、内側に平たい石。肌に当たるところは丸い石で」
「肌に当たる」
ベンが反応した。
「痛い石はだめです」
「丸い石、探す」
「お願いします」
ベンが丸い石を抱えて戻ってきた。ひとつは大きすぎて、途中でよろける。
「丸い」
「丸いけど重いです」
「大人の丸い石」
「そうです。大人の丸い石は大人へ」
トマが受け取り、湯だまりの内側へ置いた。
石を積むと、土のくぼみが少しずつ湯船の形になった。トマが木板で底の泥を押さえ、リタが布で濁りをすくう。ミオは透明板越しに、詰まっている線を探した。
細い青白い線が、土の下で切れかけている。
「ここです」
「掘るか」
「少しだけ。深くやると、水がどばっと出るかもしれません」
「どばっとは困るな」
「はい。ちょろっとでお願いします」
トマが小さな木べらで土を削る。ミオは透明板で水の線を見る。白狐さんは祠の方を見張っている。ベンは丸い石を並べ、リタは濁りをすくった。
こぽ。
小さな音がした。
石の内側に、透明な水がひと筋増えた。水は湯気を少し立てながら、石の間を流れ、浅い湯船にたまっていく。
「出た」
リタが声を上げた。
「湯気、出てます」
「出てるねえ」
マル婆さんが笑った。
「これは、お風呂だよ」
湯は少しずつ増えた。石の内側で、ちゃぷん、ちゃぷんと音を立てる。最初は濁っていたが、流れが安定すると、薄い白さを残しながら澄んできた。
ミオは手を入れて、息を止めた。
「あったかい」
「熱すぎますか」
「ちょうどいいです。少しぬるめ。でも、入ったら絶対に気持ちいいです」
村人たちが顔を見合わせた。
「誰が先に入るんだ」
トマが言った。
「作った本人だろ」
「えっ」
ミオは自分を指さした。
「わたしですか」
「ミオ様が見つけて、ミオ様が動かしたんです」
リタが真面目な顔で言う。
「まずミオ様が確かめてください」
「管理者確認です」
白狐さんも、当然のように言った。
「白狐さんまで」
「湯の状態を確かめる必要があります」
「それ、入れって意味ですよね」
「はい」
マル婆さんが座り石で笑った。
「入りなさいな。いい顔して戻ってきたら、みんな安心して入れるよ」
「責任重大ですね」
「お風呂の責任は、いい責任だよ」
リタが目隠し布を一枚かけた。
それだけで、小祠一の奥は小さな露天風呂になった。
ミオは湯に入った。
足先が沈む。あたたかさが、足首からふくらはぎへ上がってくる。思ったより深い。底の丸い石が足裏に当たり、少しくすぐったい。ミオは片手で石の縁をつかみ、ゆっくり腰を下ろした。
ちゃぷん。
湯が体を包んだ。
「……あ」
声が出た。
肩の下まで湯に沈むと、背中に入っていた力がすっと抜けた。歩き回った足も、透明板を握っていた指も、ずっと考え続けていた頭も、湯の中で少しずつほどけていく。
湯気が顔の前を流れる。
草の匂い。濡れた石の匂い。少しだけ土の匂い。遠くで、リタが息をのむ気配がする。白狐さんのしっぽが、石の向こうで少し揺れた。
「ミオ様、どうですか」
リタの声がする。
ミオは湯の中で、深く息を吐いた。
「……最高です」
「最高」
「はい。これは、最高です」
外で待っていた村人たちが、少しざわめいた。
「最高だって」
「お湯、入れるんだ」
「入りたい」
「湯気、すごい」
「小祠一に風呂ができたぞ」
声が外で増えていく。ミオはそれを聞きながら、肩に湯をかけた。湯は少しぬるめなのに、体の奥へじわっと入ってくる。
その湯気の向こうで、別の湯気を思い出した。
木の湯桶。山の宿。夜の灯り。レンが、湯の熱さに真面目な顔で耐えていた。
「無理して入らなくていいのに」
そう言ったのは、ミオだった。
レンは、たぶん理屈を返した。温度に慣れるまでの時間がどうとか、血流がどうとか、そんなことを言った気がする。けれど、最後には肩まで沈んで、少しだけ口元をゆるめていた。
あの時も、湯気で顔がよく見えなかった。
ミオは湯を両手ですくい、そっと肩へかけた。
「レンも、どこかで温まれてるといいな」
声は小さく、湯気の中で消えた。
白狐さんが少しだけ黙った。
「ミオ」
「はい」
「その願いは、湯に溶かしておくとよいです」
「白狐さん、神獣っぽい」
「神獣です」
「はい」
ミオは笑った。
その時、白狐さんが少し近づきすぎた。ふさふさのしっぽの先が、湯の表面に触れる。
ぴちゃ。
「……濡れました」
「白狐さん」
「濡れました」
「入ります?」
「入りません。これは不意の事故です」
「しっぽだけ入浴しましたね」
「していません」
「しました」
「していません」
リタが笑いをこらえている。
ミオは湯の中で、もう一度息を吐いた。
手作りの露天風呂は、石が少し不揃いで、湯の温度も完璧ではない。けれど、空が見える。草が揺れる。湯気が上がる。村人の声が、少し離れたところでわくわくしている。
ミオは肩まで湯に沈んだ。
ここは、温泉だった。
しばらくして、ミオは湯から上がった。体が軽い。足も、肩も、指も、さっきより素直に動く。
「ミオ様、顔がゆるんでます」
「ゆるみます。これはゆるみます」
「そんなに」
「入れば分かります」
「入りたいです」
「入ってください。すごくいいです」
リタの顔がぱっと明るくなった。
村人たちは、もう使う気でいた。女たちが湯をのぞき、子どもたちは「ちゃぷん」と言いながら石の外を回り、トマは石をもう二つ運ぶと言い出した。マル婆さんは座り石で、湯気を見ながらにやにやしている。
神官が小祠一へ長めに礼をした。
「湯をいただく場として、村で大切に扱いましょう」
「はい」
ミオはうなずいた。
「ここは、大事にしたいです」
透明板を下ろすと、短い表示が出た。
――――――――――
[小祠一奥・湯浴み場]
地熱水脈:安定
石組み:成立
利用:湯浴み可能
状態:稼働
――――――――――
白狐さんは、濡れたしっぽの先を見ていた。
「白狐さん、拭きます?」
「自分でできます」
「怒ってます?」
「怒っていません」
「しっぽ、少し細くなってます」
「見ないでください」
「はい」
夕方、小祠一の奥に湯気が残った。
石で囲った湯船から、白い湯気がふわりと上がる。湯の表面がちゃぷんと鳴る。村人たちは帰り道でも、誰がいつ入るかを話していた。
ミオは少し後ろを歩きながら、湯で温まった指を握った。
まだ、体の奥に湯が残っている気がした。
レンと入った温泉の記憶も、消えずに残っている。痛いほどではない。あたたかいものの中に、小さく沈んでいる。
白狐さんが隣を歩く。
「ミオ」
「はい」
「明日は、油揚げを濡らさない位置を決めます」
「持ってくる気ですね」
「供物確認です」
「絶対食べる気ありますよね」
「確認です」
ミオは笑った。
小祠一の奥に、手作りの露天風呂ができた。
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