第85話 小祠一に、小さな干し台ができた
小祠一の休み場には、朝から水の音があった。
ベンが水甕に水を足している。木桶を両手で持ち、そろそろと傾けるたびに、ちゃぷん、ちゃぷんと音がした。リタは横で覆い布を押さえ、トマは石の台がずれないように片手を添えている。
「ゆっくり」
「ゆっくりしてる」
「今、少し速かった」
「水は早い」
「ベンが早いんです」
ミオがそう言うと、ベンはまじめな顔で木桶を止めた。
「水係、ゆっくり」
「はい。水係、上手です」
白狐さんは日よけ布の外に座り、しっぽで足元の草を少し払っていた。今日は何も言わない。水甕と小祠一の間に人が入りすぎないか、静かに見ている。
マル婆さんは座り石に腰を下ろして、昨日直した袋を持ってきていた。袋の口は、二針だけでしっかりしている。中には豆が少し入っていた。
「落ちないねえ」
「二針すごいですね」
「二針をほめられる日が来るとは思わなかったよ」
マル婆さんは笑って、袋から豆を少し取り出した。豆のまわりには、薄い殻や割れたかけらが混じっている。
リタがそれを見た。
「これ、捨てますか」
「畑の端に戻してもいいけど、乾かせば焚きつけにもなるよ」
「焚きつけ」
「火がつきやすいんだよ。少しだけね」
ミオは豆殻を手に取った。
軽くて、薄い。指で押すと、ぱき、と小さく割れる。湿っているものも少し混じっていた。
「乾かす場所、村まで戻らないとないですね」
「ここは風が通るよ」
マル婆さんは日よけ布の外を見た。
「小祠一の横は、洗濯物ほどじゃないけど、ちょっと干すにはいい」
白狐さんの耳が動いた。
「供物の上に干してはいけません」
「干しません」
「祠の前にも広げすぎてはいけません」
「広げません」
「豆殻が飛んで供物に混ざるのも困ります」
「白狐さん、かなり具体的です」
「具体的に困ります」
ミオはうなずき、透明板を小祠一の横へかざした。
――――――――――
[小祠一・風通し確認]
位置:休み場横
用途:小物乾燥
対象:布片/豆殻/紐
制限:供物域外/通路外/火気不可
――――――――――
「小物乾燥なら通りそうです。布片、豆殻、紐。火はだめ」
「火はだめです」
白狐さんがすぐ言った。
「はい。干すだけです」
トマが周りを見た。
「台なら、枝を組めば作れるぞ」
「地面に置くと湿りますよね」
「少し浮かせるか」
「風が下を通るようにしたいです」
トマは草分け棒を置き、近くの細い枝を三本拾った。リタが古い麻ひもを出す。ベンは小石を集め始めた。
「石係、土台」
「早い」
「石係だから」
枝を三角に組み、上に細い枝を渡す。立派な棚にはならない。けれど、布切れや豆殻を少し広げるには足りる。リタが麻ひもで結ぶと、台は少し傾いた。
「曲がってます」
「曲がってるな」
「でも倒れてない」
「倒れたら豆殻が飛びます」
「それは嫌だな」
ミオは台の足元に小石を入れた。ベンが横からもう一つ押し込む。ぐらぐらしていた台が、少し落ち着いた。
「干し台、立ちました」
「小さいねえ」
マル婆さんが笑う。
「豆殻には十分ですよ」
リタは布切れを一枚、台にそっとかけた。風が通ると、ふわっと端が持ち上がる。ベンが豆殻をぱらぱらと置こうとして、ミオに止められた。
「一気に置くと飛びます」
「少し」
「少しです」
ベンは真剣な顔で、豆殻を三つ置いた。
風が来た。
ひとつ飛んだ。
「あ」
「飛びました」
「豆殻、軽い」
「軽いですね」
白狐さんが、しっぽで飛んだ豆殻を止めた。
「供物の方へ行きました」
「すみません」
「囲いが必要です」
「ですね」
トマが細い枝をもう二本足し、リタが横に低い縁をつけた。豆殻を置くところだけ、浅い籠のようになる。ベンがもう一度、豆殻を置く。
今度は飛ばなかった。
「止まった」
「囲い、効いてます」
「豆殻係もいる」
「ベン、係が増えすぎです」
「豆殻は軽いから」
「理由は分かります」
マル婆さんは座り石に座ったまま、豆殻を少しずつ選り分けた。乾いているものは小袋へ。湿っているものは干し台へ。割れた豆は別の布へ。リタがそれを横で手伝う。
「これは?」
「湿ってるね。干す方」
「これは」
「それは虫が食ってるから畑へ戻す」
「これは」
「それは豆。食べる方」
「難しいです」
「慣れだよ」
ミオはその手元を見ていた。
大きな設備ではない。畑が増えたわけでもない。けれど、村の人はこうやって、少しでも使えるものを分けて残していく。豆殻は焚きつけに。布切れは繕いに。紐は結び直しに。
小祠一の休み場に、それを少し置ける台ができた。
白狐さんが、台と祠の間に座り直した。
「白狐さん、そこですか」
「ここなら、豆殻が飛んでも止められます」
「神獣の仕事が豆殻止めに」
「供物を守る仕事です」
「たしかに」
ミオは透明板をかざした。
――――――――――
[小祠一・小物乾燥]
干し台:仮設
対象:布片/豆殻/紐
囲い:簡易
供物域:分離維持
状態:使用可
――――――――――
「使えます」
「ミオ様、布も干していいですか」
「小さい布だけにしましょう。洗濯物を全部持ってくると、休み場が埋まります」
「それは困ります」
「白狐さんの耳も動きます」
「もう動いています」
「早い」
リタは笑って、小さな布切れを干し台の端にかけた。
風が通る。
布の端がふわりと動き、豆殻が浅い囲いの中でかさ、と鳴った。水甕からは、時々ちゃぷんと音がする。座り石ではマル婆さんが豆を選り、リタが布を畳み、ベンが飛びそうな豆殻を見張っている。
「飛ばない」
「見張りすぎです」
「飛んだら、白狐さんが止める」
「白狐さんも忙しいです」
「神獣です」
白狐さんが言った。
「便利な言葉ですね」
「便利です」
昼近くになると、干し台の布切れは少し乾いていた。湿っていた豆殻も、指でつまむと軽くなっている。
マル婆さんはそれを小袋へ入れた。
「これで、火を起こす時に少し助かるよ」
「そんなに使えます?」
「少しだよ。でも、少しがあると、朝の火がつきやすい」
「朝の火」
「かまどが早くつくと、朝の粥も早い」
「それは大事です」
リタが真剣にうなずいた。
ベンは小袋を見て、胸を張った。
「豆殻係、できた」
「今日だけです」
「明日も豆殻ある」
「ありそうですね」
「じゃあ明日も」
ミオはあきらめて笑った。
帰り道、リタは乾いた布切れを持ち、マル婆さんは豆殻の小袋を持った。トマは干し台を畳もうとしたが、白狐さんが止めた。
「置いてよいです。ただし、祠の前へ広げないように」
「じゃあ端に寄せておくか」
「はい」
「雨が来たら?」
「村へ戻します」
「分かった」
干し台は、小祠一の横の草の上に寄せられた。低い囲いの中には、まだ豆殻が三つ残っている。ベンがそれを見つけ、そっと小袋に入れた。
「忘れもの」
「よく見つけました」
「豆殻係だから」
夕方、村のかまどで、マル婆さんが小袋から豆殻を少し出した。
火口に近づけると、乾いた豆殻はぱち、と小さく鳴った。火が移り、細い煙が上がる。すぐ大きな火になるわけではない。けれど、火のつきはいつもより少し早かった。
「お」
トマが声を出した。
「ついた」
「豆殻、働いた」
ベンが言った。
「働いたね」
リタはかまどの前で、少しうれしそうに笑った。
「朝も、これがあると楽かもしれません」
「少しずつ干しましょう」
「小祠一で?」
「小さいものだけです」
白狐さんはかまどから少し離れたところで、鼻をひくひくさせた。
「煙の匂いです」
「嫌ですか」
「嫌ではありません。供物の油揚げとは違います」
「そこに戻ります?」
「油揚げは重要です」
「はい」
ミオは笑った。
小祠一の休み場に作った小さな干し台から、豆殻の小袋がひとつできた。その豆殻で、夕方の火が少し早くついた。
かまどの火が、ぱちぱちと鳴っていた。
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