第84話 小祠一で、布を繕った
小祠一の休み場に置いた水甕は、朝の光の中で静かに冷えていた。
覆い布の下で、水がちゃぷんと鳴る。座り石は三つ。日よけ布は少し斜めで、風が来るたびにぱたぱた揺れる。荷置き石の横には、昨日ベンが整えた小石の台があり、その上に水甕が乗っていた。
マル婆さんは、ほんとうに針を持ってきた。
「座るだけだと、手がひまでねえ」
「休み場ですよ」
「休みながら、布を見るんだよ」
「それなら、休みですかね」
「休みだね」
ミオは少し迷ってから、うなずいた。
リタは小さな裁縫箱を抱えている。針、糸、古い布切れ、ほつれた袋。畑仕事で破れた腰布も入っていた。ベンは水係を名乗り、甕の中をのぞいている。
「水、ある」
「ありますね」
「少し減ってる」
「飲んだからね」
「入れる」
「帰りにしましょう」
「帰りに入れる」
白狐さんは日よけ布の外に座り、水甕と小祠一の間を見ていた。
「白狐さん、今日も見張りですか」
「はい。水と供物が混ざると困ります」
「手仕事は」
「手仕事は、人の休みです」
「よかった。そこは許可が出ました」
マル婆さんは座り石に腰を下ろした。リタが木椀に水を少し入れて渡す。マル婆さんは一口飲んで、膝の上に布を広げた。
針が布を通る。
すう、と糸が引かれた。
風に日よけ布が鳴り、水甕の中で水が小さく揺れる。小祠一の前で、誰かが縫い物をする音は、村の中とは少し違って聞こえた。土の匂い、草の匂い、井戸水の冷たい匂いが混ざっている。
「ここ、目が楽だねえ」
「目、ですか」
「家の中より明るい。日よけもある。風もある」
「針仕事に向いてます?」
「長くやる場所じゃないけど、ほつれを見るにはいいよ」
ミオは透明板をそっとかざした。
――――――――――
[小祠一・休止設備確認]
座り石:使用中
飲水補助:使用中
日よけ布:有効
追加行為:軽作業確認
注意:供物域分離
――――――――――
「軽作業、入ってます」
「軽い作業ならよいのですね」
神官が言った。
「たぶん。休みながらできる範囲です」
「祠の前で大きな仕事を広げるのは控えましょう」
「はい。ここで布を全部洗ったりはしません」
「洗い物は水場です」
「白狐さんの耳が動きました」
「洗い物をここに持ってこられては困ります」
「持ってきません」
リタはほつれた袋をマル婆さんに渡した。
「ここ、直せますか」
「糸を二本通せば、しばらく使えるよ」
「お願いします」
「見て覚えな」
マル婆さんは針を動かした。早くはない。けれど、手つきは確かだった。リタが横からのぞきこみ、ベンも反対側からのぞく。
「ベン、近い」
「見たい」
「針は危ないよ」
「針、細い」
「刺さると痛い」
「痛いのはいや」
ベンは少し下がった。
白狐さんが、しっぽで土を払った。その先が水甕の台に当たり、ベンがすぐに直す。
「白狐さん、台がずれました」
「少しです」
「水係、見る」
「石係も忙しいですね」
「水係も石係もする」
「強い」
マル婆さんが笑い、針を布から抜いた。
「ほら、ここ」
ほつれた袋の口が、少しだけしまっていた。
「これで豆なら落ちにくい」
「すごい」
「すごいほどじゃないよ。二針だよ」
「二針で助かるなら、すごいです」
リタは袋を両手で持って、何度も見た。
トマが草分け棒を肩に担いで、小祠一の方へ来た。腰の布が破れている。
「ここで直るって聞いた」
「もう広まってる」
「水場の方で聞いた」
「早いですね」
マル婆さんはトマの腰布を見て、眉を寄せた。
「これは座って直すより、家で縫った方がいいね」
「だめか」
「だめじゃないよ。ここでは仮止めだけする」
「助かる」
ミオはそのやりとりを見て、透明板を下ろした。
ここで全部を直す場所にすると、きっと荷物が増える。布も糸も、誰かの作業も集まりすぎる。けれど、ほつれを止める、袋を直す、帰るまで破れを広げない。そのくらいなら、休み場の役に立つ。
「白狐さん」
「はい」
「ここは、ちょっと直す場所くらいがよさそうです」
「よいです。長く占める場所にすると、祠へ来る人が座れません」
「ですよね」
「水を飲み、足を休め、手元を少し整える。そのくらいです」
「白狐さん、まとめ方が上手い」
「神獣です」
「はい」
リタが小さな布包みを作った。針を一本、糸を少し、布切れを三枚。水甕の横には置かず、座り石の後ろにある小さな木箱へ入れる。
「ミオ様、ここならいいですか」
「はい。水とは離れています」
「白狐さん」
「よいです」
ベンが木箱をのぞいた。
「針係もいる」
「ベン、針は大人が見る」
「針係、大人」
「そうです」
「水係はベン」
「はい。水係はベン」
ベンは満足そうにうなずいた。
昼前、マル婆さんは二つ目の袋を直した。リタは糸の通し方を覚え、トマは仮止めした腰布を押さえながら村へ戻ることになった。水甕の中身は半分ほどになっている。ベンがそわそわし始めた。
「減った」
「帰りに井戸へ寄ります」
「今」
「今は木桶が空です」
「木桶、持つ」
「大人と一緒に」
「トマ」
「俺か」
「水係が呼んでます」
「はいはい」
帰り道、トマとベンは空の木桶を持って井戸へ向かった。リタは裁縫箱を抱え、マル婆さんは直した袋を大事そうに持っている。
「ここで少し縫えると、助かるねえ」
「また来ますか」
「来るよ。水があって、座れて、風がある」
「針もあります」
「針は、持ってくるよ。自分の針が手に合うからね」
白狐さんがゆっくり歩きながら言った。
「人の道具にも、相性があります」
「白狐さんにもあります?」
「わたしは神獣です」
「その答え、便利ですね」
「便利です」
夕方、小祠一の休み場には、小さな木箱がひとつ増えた。中には針ではなく、布切れと糸だけを少し入れてある。針は村へ戻した。水甕は洗われ、明日の朝に入れる水を待っている。
ミオは透明板を下ろした。
――――――――――
[小祠一・休止設備]
飲水補助:継続
座り石:使用中
軽作業箱:布材のみ
針管理:村内保管
状態:安定
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ログの下で、ベンが水甕の台をまっすぐに直した。
「明日、水」
「明日ですね」
「針は大人」
「そうです」
「ベンは水」
「はい」
マル婆さんは村の入り口で、直した袋をリタに渡した。
「ほら、豆を入れてごらん」
リタが袋を開き、豆を少し入れる。袋の口から、ひと粒も落ちなかった。
「落ちません」
「二針だからね」
「二針、すごいです」
白狐さんは何も言わず、少しだけ目を細めた。
小祠一の休み場で、布のほつれが止まった。
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