第3話 地下保存庫は、村より広い
大豊作は、うれしい。
とても、うれしい。
けれど、リュミナ村の小さな倉庫は、大豊作という言葉を受け止めるには、少しせまかった。
朝のうちに収穫された麦袋が、倉庫の入口にどんどん積まれていく。豆のかごも、かぼちゃも、干す前の薬草も、ぜんぶ置き場所を待っている。倉庫の中では、村長と男たちが汗をふきながら、古い麦袋を右へ動かし、空の木箱を左へ寄せ、それからまた右へ戻していた。
「入らん」
村長は、倉庫の入口に積まれた麦袋を見て、もう一度中を見て、それから首を横に振った。
ミオは倉庫の前で、かごに入った豆を抱えていた。豆はつやつやしている。昨日まで弱っていた畑から取れたものとは思えないくらい、丸くて、重い。
ただし、重いものは場所を取る。
かぼちゃはもっと場所を取る。
麦袋は、すでに山になっている。
「干せば少し減りますよね」
ミオが言うと、年上のシスターが首を横に振った。
「干す場所も足りないわ。教会の庭も、もう薬草でいっぱいなの」
「外に置くと?」
「夜露で湿るし、虫も来るわ。魔物も……食べ物のにおいにつられるかもしれない」
そこまで言って、シスターは口をつぐんだ。
村が水と食べ物で助かりかけたばかりなのに、その食べ物が腐ったり、食べられたりするかもしれない。
うれしいことが、そのまま次の困りごとになっている。
ミオは豆のかごを足元に置いた。
「保存場所、かあ」
足元で、白狐がとてもいやそうな顔をした。
「言いましたね」
「まだ何もしてない」
「あなたがそういう顔で言うと、たいてい何かが開きます」
「今日は倉庫を見るだけ」
「その、だけ、を信用しないと昨日決めました」
白狐は尾の先をぴんと立てた。昨日、少しだけ戻った光は、まだほんのり残っている。本人は気づかれたくなさそうにしているけれど、白い毛の先が、朝の光とは別に淡く光っていた。
村長が、倉庫の奥から顔を出す。
「ミオ。教会の地下に、昔の納屋か何かはなかったか」
「教会の地下ですか」
「古い石扉があっただろう。裏庭の奥の」
白狐が、ぴたりと止まった。
「今、石扉と言いましたか」
「言ったね」
「裏庭の奥とも言いましたか」
「言った」
「行かない方がいいです」
「でも、保存場所がない」
「ありませんが、行かない方がいいです」
「理由は?」
「記憶が、ふるふるしています」
ミオは少し考えた。
「ふるふる」
「はい。とてもよくないふるふるです」
よく分からないけれど、白狐がそう言う時は、だいたい何かある。
ただ、行かないわけにもいかなかった。
倉庫の前には、麦袋が積まれている。子どもたちは、かぼちゃの横で嬉しそうにしている。年寄りたちは、今年は冬を越せるかもしれないと、小さな声で話している。
このまま置いておけば、せっかくの食べ物がだめになる。
ミオは透明な石板を胸元から取り出した。
「見るだけ」
「また言いました」
「本当に、まず見るだけ」
白狐はため息をつきながら、ミオの後ろをついてきた。
教会の裏庭は、表の井戸端よりずっと静かだった。薬草がひもで吊るされ、風もないのに少しだけ揺れている。小さな畑の奥に、古い石扉があった。
石扉は、半分ほど土に埋もれている。村人たちは昔から、そこを納骨堂だと思っていた。開けてはいけない場所。神父も、子どもたちに近づかないよう言っていた。
扉の表面には、花にも蔓にも見える模様が彫られている。
村人には、古い祈りの印に見えるのだと思う。
ミオには、そう見えなかった。
模様の線が、少しずつ違う。花びらに見える部分は接続端子。蔓に見える部分は経路。中央の丸いくぼみは、たぶん認証用の古いパネルだ。
ミオは透明な石板をかざした。
石扉の上に、文字列が重なる。
[OLD STORAGE GATE]
――――――――――
状態:休眠中
用途:村落備蓄保存庫
認証:停止
内部温度制御:不明
防虫結界:停止
腐敗抑制:停止
――――――――――
ミオは目をぱちぱちした。
「納骨堂じゃない」
「では、何ですか」
「保存庫」
「ほぞんこ」
「食べ物をしまう場所」
「……本当に?」
「表示はそう言ってる」
白狐は石扉を見上げた。
「わたくしの記憶は、そこを開けるなと言っています」
「でも、表示は食べ物の保存庫だよ」
「古いものは、表示と中身が違うことがあります」
「それは現代でもある」
「何ですか、その悲しそうな納得は」
ミオは石扉の前にしゃがんだ。
扉の下には、細いすきまがある。そこから、少し冷たい空気が漏れていた。土のにおいではない。石と、古い木と、乾いた風のにおい。
保存庫としては、とてもよさそうだった。
ただし、石板の表示には赤い文字が増えている。
[ERROR]
――――――――――
認証経路:破損
開閉制御:停止
内部区画:一部ロック
推奨処理:入口認証の応急復旧
――――――――――
「入口認証だけ直せば、開くかも」
「だけ」
「入口だけ」
「昨日は井戸だけでした」
「今日は扉だけ」
「昨日より信用がありません」
ミオは透明な板越しに、扉の中央を見た。壊れているのは、思ったより浅いところだ。入口の認証経路が切れている。保存庫の深い部分には、まだ触らなくていい。
たぶん。
いや、たぶんはよくない。
ミオは一度、手を止めた。
「入口の応急復旧だけ。内部区画には触らない」
「声に出しましたね」
「自分への注意」
「とても大事です」
白狐は少しだけ安心したようだった。
ミオは石板の端に指を置き、扉の中央に重なっている赤い線をなぞった。
切れている認証経路を、仮の経路に置き換える。開閉制御だけを起こす。内部の温度や結界は、扉が開いてから確認する。
[AUTH_ROUTE]
――――――――――
仮経路:生成
対象:入口扉
内部区画:非操作
実行待機
――――――――――
「よし」
ミオは息を吸った。
石扉の前には、いつの間にか村人が集まっていた。村長も、神父も、年上のシスターもいる。子どもたちは大人の後ろからのぞいている。
「ミオ、それは本当に開けてよいものなのか」
神父が心配そうに言った。
ミオは少し迷った。
正直に「保存庫と表示されています」と言っても、たぶん通じない。
「たぶん、昔の食べ物置き場です」
「たぶん」
神父が不安そうにくり返す。
白狐も横で言った。
「たぶん」
ミオは、透明な石板を持ち直した。
「でも、このままだと作物がだめになります。入口だけ、開けます」
白狐が小さく言う。
「本当に入口だけですよ」
ミオはうなずいた。
「入口だけ」
そして、石板越しに扉の認証線を見据えた。
「開いて!」
石扉の奥で、かち、と音がした。
村人たちが息を止める。
次に、低い音が地面の下を通った。
ごごご、と古い石が動く。土に埋もれていた扉のふちから、ぱらぱらと乾いた土が落ちた。花のような模様に、うすい白い光が走る。
石扉が、ゆっくり奥へ下がった。
ひやり、とした空気が流れてきた。
夏の朝なのに、そこだけ冬の井戸みたいだった。冷たい。けれど嫌なにおいではない。乾いていて、きれいで、少しだけ甘い草のにおいがした。
村人たちが、ぽかんと口を開ける。
扉の奥には、階段があった。
地下へ下りていく、白い石の階段。壁には小さな光が、ぽつ、ぽつ、と順番に灯っていく。
「神の蔵だ……」
誰かがつぶやいた。
神父が膝をつきそうになったので、年上のシスターがあわてて支えた。
ミオは石板を見た。
[OLD STORAGE GATE]
――――――――――
入口認証:仮復旧
開閉制御:起動
温度制御:低出力起動
防虫結界:部分起動
腐敗抑制:部分起動
――――――――――
「いい感じ」
ミオは小さく言った。
白狐はまだ警戒している。
「中を見ます。触りません」
「分かってる」
ミオは階段を下りた。
白狐が足元についてくる。村長も来ようとしたが、ミオは手で止めた。
「先に確認します。崩れるかもしれないので」
「分かった。気をつけろ」
階段は思ったよりしっかりしていた。足を置くたびに、石がかすかに光る。壁には、古い蔓模様が続いている。村人なら神秘的な模様と思うのだろう。
ミオには、それが通路表示に見えていた。
左は通常保存区画。右は乾燥保存区画。奥は低温保存区画。さらに奥は、ロック中。
奥。
ミオは少しだけ足を止めた。
見ない。
今日は見ない。
「ミオ」
「分かってる。入口と保存区画だけ」
白狐は横目でミオを見た。
「言われる前に答えましたね」
「自分に言ってる」
階段を下りきると、広い部屋に出た。
ミオは思わず立ち止まった。
広い。
かなり広い。
村の倉庫どころではない。教会の礼拝堂よりもずっと広く、村長の家を三つ並べても、まだ余りそうだった。壁には棚が並び、床には古い木箱がきちんと積まれている。天井は高く、ところどころに丸い光が浮いていた。
空気はひんやりしている。虫の気配はない。湿った感じもない。
保存庫としては、すごくいい。
すごくいいのだけれど。
「村用にしては、大きすぎない?」
白狐は、なぜか目をそらした。
「昔の村は、大きかったのかもしれません」
「今の言い方、知ってることを隠してる」
「わたくしの記憶は封印中です」
「便利な封印だね」
「ええ。都合よく何も思い出せません」
ミオは透明な石板を持ち上げた。
[STORAGE AREA A]
――――――――――
通常保存区画:使用可能
推奨保存物:穀物/豆類/根菜
容量:現村落収穫予測の 620%
温度制御:安定
防虫結界:安定
――――――――――
「六百二十パーセント」
ミオはつぶやいた。
白狐がのぞき込む。
「また、ぱーせんとですか」
「今度はいい方。収穫物は入る」
「本当に?」
「かなり余る」
白狐は少しだけ安心したように息を吐いた。
「では、今回は珍しく、ちょうどよく済みましたね」
その瞬間、保存庫の奥で、かすかに音がした。
こおん。
深いところで、空洞が返事をしたような音。
白狐の耳が立った。
「今のは?」
「聞こえた」
「ちょうどよく済まない音です」
ミオは石板を奥へ向けた。
保存庫のさらに奥に、大きな扉があった。今いる場所とは違う。白い石ではなく、青みのある硬い材質。表面に、複雑な線が走っている。
透明な板に、赤い警告が出る。
[DEEP STORAGE BLOCK]
――――――――――
状態:ロック中
用途:非表示
必要権限:管理者 Lv.3
警告:現権限では開放不可
――――――――――
ミオは黙って石板を下ろした。
「見なかったことにしよう」
「賢明です」
「今日は通常保存区画だけ」
「とてもよい判断です。毎回その判断をしてください」
ミオはうなずいた。
それから村人たちを呼んだ。
地下保存庫を見た村人たちは、しばらく声を出せなかった。
村長は棚を見て、天井を見て、床を見た。神父は壁に手をつき、祈りの言葉を小さくつぶやいている。年上のシスターは、冷たい空気に目を丸くしていた。
「ここに、麦を入れられるのか」
村長が聞いた。
「はい。豆も、かぼちゃも、根菜も。場所を分けた方がいいです」
「腐らないのか」
「たぶん、かなり長くもちます」
「虫は」
「入りにくいです」
「湿気は」
「少ないです」
村長は、口を開けたり閉じたりした。
それから、両手で顔を覆った。
「助かった」
その一言で、村人たちが動き出した。
麦袋が運ばれてくる。豆のかごが棚に置かれる。かぼちゃは床に並べられる。子どもたちも小さな袋を持って手伝った。地下の広い保存庫に、村の実りが少しずつ収まっていく。
昨日は水が足りなかった。
今朝は食べ物が多すぎて困った。
昼には、その食べ物をしまう場所ができた。
村人たちは笑っていた。何度も棚を見て、何度もミオに頭を下げた。
ミオは少し困った。
「私は、入口を直しただけなので」
「その入口が、神の蔵につながっていたんだ」
「神の蔵ではなくて、保存庫です」
「神の保存庫だな」
「……まあ、それなら」
白狐が横で小さく笑った。
「折れましたね」
「説明すると長いから」
「それも賢明です」
ミオは保存庫の入口に立ち、透明な石板を確認した。
[STORAGE AREA A]
――――――――――
使用開始:確認
収穫物搬入:進行中
保存環境:安定
村落食料備蓄:改善
――――――――――
表示は落ち着いている。
今回は、ちゃんと助かった。
たぶん、やりすぎていない。
ミオがそう思った時、石板の下の方に、小さな表示が出た。
[SCENT LEAK WARNING]
――――――――――
備蓄量増加に伴い、外部誘引リスク上昇
対象:小型魔獣/嗅覚依存型
推奨処理:外周防御設備の確認
候補:村外周結界ノード
状態:停止
――――――――――
ミオは目を閉じた。
「どうしました」
白狐が聞く。
「食べ物が増えた」
「はい」
「保存できた」
「はい」
「においで、魔物が寄るかも」
「……はい?」
白狐のしっぽが、ゆっくりふくらんだ。
「ミオ」
「うん」
「今度は何ですか」
「外周結界ノード」
「聞いたことのない言葉ですが、嫌な響きです」
「村の外を守るやつ」
「止まっているのですね」
「止まってる」
白狐は天井を見上げた。
「水が戻り、畑が育ち、蔵が開き、今度は魔物ですか」
「順番としては自然かも」
「自然ではありません。忙しすぎます」
ミオは地下保存庫に並ぶ麦袋を見た。
その麦袋の向こうで、村人たちは笑っている。子どもたちが、かぼちゃを転がさないように両手で抱えて歩いている。年上のシスターは、豆のかごを棚に置きながら、何度もほっと息をついていた。
守らないと。
水も、畑も、食べ物も。
この村でやっと戻ってきたものを、簡単に取られるわけにはいかない。
ミオは透明な石板を胸元にしまった。
「次は、村のまわりを見る」
白狐が小さくため息をついた。
「あなた、下っ端シスターでしたよね」
「今もそうだよ」
「下っ端シスターは、普通、村の外周防御を見ません」
「そうなの?」
「そうです」
ミオは少し考えた。
「じゃあ、ちょっと変わった下っ端シスターで」
白狐は返事をしなかった。
地下保存庫の奥で、開けていない大きな扉が、静かに眠っている。
そして村の外では、まだ誰も気づかないうちに、草むらの向こうで小さな影が動いていた。




