第2話 豊穣の加護、暴走する
ため池ができた次の朝、リュミナ村の畑は、すっかり別のものになっていた。
昨日まで、畑のはしっこでしょんぼりしていた麦の葉が、朝日を受けてぴんと立っている。そこまではよかった。村人たちも、最初は手を取り合って喜んだ。
けれど、少しおかしかった。
麦は、ぴんと立つだけではすまなかった。ミオが教会の水瓶を見て戻ってくるころには、ひざの高さだった葉が腰のあたりまで伸びていた。さらに朝の祈りが終わるころには、村長の肩に届きそうになっていた。
畑のまんなかで、村長が口を開けたまま立っている。
「……豊穣の加護だ」
誰かが言った。
それを聞いた村人たちは、ぱっと顔を明るくした。
「白狐様のご加護だ」
「ミオが井戸を呼び戻したからだ」
「今年は食べられるぞ」
「冬が越せるかもしれない」
ミオは、畑の前で透明な石板を抱えたまま、少しだけ目を細めた。
麦の葉が、また伸びた。
すくすく。
というより、ぐんぐん。
さらに言えば、少し怖いくらいの勢いで。
「……これ、加護かな」
足元で、白狐がしっぽを抱えた。
「加護だと思いたいなら、今すぐそう思いこみなさい。わたくしは嫌な予感しかしません」
ミオは畑に透明な石板をかざした。
村人には、薄い聖石板を畑へ向けて祈っているように見えるらしい。年上のシスターが、遠くでそっと両手を組んでいる。
けれどミオの目には、畑の土の上に、細い文字列が重なっていた。土の奥へ走る青い線。ため池から引かれた水路。水分、栄養、根の広がり、日照の補正。どれも昨日までは眠っていたものだ。
その中で、ひとつだけ赤い表示がちかちかしている。
[SOIL_ACTIVATION_NODE]
――――――――――
状態:起動中
水系ノード:接続済み
生育補正倍率:異常上昇
制御上限:未設定
推奨処理:成長制御の再設定
――――――――――
ミオは小さく息を吐いた。
「倍率、上がりっぱなしだ」
「ばいりつ」
「育つ速さ。止まってない」
「止まってない?」
白狐が畑を見た。
麦の穂が、ぽん、と出た。
まだ朝だ。
本当なら、そんなに早く穂が出るはずがない。村人たちは一瞬だけ歓声を上げたが、そのすぐあとに、畑の奥から別の音がした。
みし。
畑の柵が押されている。
麦の根が太くなりすぎて、土が持ち上がっていた。脇に植えてあった豆の蔓は、棒を伝って伸びるどころか、近くの木の枝までつかまえている。かぼちゃの葉は、昨日までは手のひらほどだったのに、もう子どもの顔くらいある。
村人のひとりが、あわてて柵を押さえた。
「お、おい、畑が広がってるぞ」
「広がってるって何だ」
「分からん。畑が、こっちに来てる」
ミオは額に手を当てた。
「水を戻したら、土壌活性ノードまで起きたんだ」
「昨日、聞きたくない言葉として記録したものですね」
「うん。それ」
「記録しただけで済めばよかったのですが」
白狐は、ふわふわの胸を張った。小さいのに、こういう時だけ妙にえらそうだ。
「ミオ。止めなさい」
「止める」
「できますか」
「やるしかない」
ミオは畑の中へ一歩入った。
土がやわらかい。昨日までひび割れていた地面が、今日はしっとりしている。足を置くと、土がふか、と沈んだ。水がある。栄養もある。作物は喜んでいる。たぶん、とても喜んでいる。
喜びすぎている。
麦の葉がミオの袖にからんだ。
「ちょっと待って」
ミオは袖を引いた。麦の葉は素直に離れない。白狐が口で葉をくわえて引っぱった。
「植物に待ってと言って通じるのですか」
「今は通じてほしい」
畑の外では、村人たちがざわざわしていた。
「ミオ、危ないぞ」
「畑に飲まれるんじゃないか」
「豊穣の加護が強すぎるんだ」
「強すぎる加護って何だ」
ミオは透明な石板を両手で持ち、畑の奥へ向けた。
板の向こうに、土の中の構造が重なる。作物の根が白い線になり、そこに青い水路と金色の補正線がからんでいる。真ん中にある制御ノードだけが、赤く点滅していた。
[GROWTH_CONTROL]
――――――――――
制御値:未設定
補正倍率:上昇中
対象範囲:リュミナ村第一農地
警告:根系圧力上昇
警告:外柵破損リスク
――――――――――
「外柵破損リスク」
ミオが言った直後、畑の柵がまた鳴った。
ぎし。
今度は、はっきり傾いた。
村長が青くなる。
「柵が倒れたら、畑が道まで出るぞ」
「道だけならまだいい。家の方まで伸びたらどうする」
「ミオ!」
ミオは石板の表示を指でなぞった。
「成長倍率を下げる。上限を設定して、根の圧力も止める」
「言葉だけ聞けば、とても頼もしいです」
「そう?」
「ただし、あなたが言うとだいたい村が揺れます」
ミオは否定できなかった。
指先で制御値を下げようとした瞬間、石板が赤く光った。
[ACCESS DENIED]
――――――――――
要求操作:成長制御値変更
必要権限:農地管理者 Lv.2
現在権限:仮接続
処理:拒否
――――――――――
「弾かれた」
「何に」
「権限」
「それは、また硬いものに弾かれましたね」
麦がさらに伸びる。
今度は穂がふくらみはじめた。早すぎる。収穫できるのか、壊れるのか、ミオにも分からない。
畑のはしっこで、子どもが泣きそうな顔をしている。昨日まで水がなくて泣きそうだったのに、今日は作物が育ちすぎて泣きそうになっている。
村というのは、忙しい。
ミオは透明な石板を握り直した。
「白狐」
「はい」
「昨日、井戸で補助できたよね」
「できたというより、封印のすきまから少し力が漏れただけです」
「もう一回、漏らして」
「言い方」
白狐は不満そうに耳を伏せたが、畑の方を見た。
ふわり、と白い尾の先が光る。
昨日より、少し強い光だった。白狐自身も、それに気づいたらしい。目を丸くして、自分の尾を見る。
「……戻っている」
「力?」
「ほんの先っぽだけです。耳かき一杯ほどです」
「分かりやすいような、分かりにくいような」
白狐は、こほんと咳をした。
「わたくしは、古き水と土の守りを知る白狐。封じられてなお、この程度の畑なら――」
その時、豆の蔓が白狐の足にからんだ。
「きゃっ」
白狐が転んだ。
ミオはしゃがんで蔓を外した。
「大丈夫?」
「今のは、地の力がわたくしを試しただけです」
「蔓だと思う」
「試した蔓です」
ミオは少しだけ笑いそうになったが、すぐに石板へ視線を戻した。
白狐の尾の光が、透明な石板に触れる。表示が少しだけ変わった。
[TEMPORARY AUTHORIZATION]
――――――――――
補助権限:白狐領域より付与
対象:SOIL_ACTIVATION_NODE
有効時間:短
操作可能範囲:成長倍率制御/根系圧力制御
――――――――――
「通った」
ミオは息を吸った。
作物がまた伸びる。畑の空気が、むわっと青い匂いでいっぱいになる。若い葉の匂い、湿った土の匂い、熟す前の麦の青い匂い。村人たちの声が遠くなる。
ここで止めないと、畑が畑ではなくなる。
ミオは石板越しに、赤く点滅する制御ノードを見据えた。
「止まって、そこまで!」
畑の上を、白い光がすっと走った。
まず、麦の伸びが止まった。
次に、豆の蔓がぴたりと動きを止めた。家の方へ伸びようとしていた先端が、空中で迷うみたいにゆらゆらして、それからしゅる、と少しだけ戻る。
土の中では、太りすぎていた根が力を抜いた。持ち上がっていた土が、ほこ、と小さく沈む。傾いていた柵が、ぎしぎし言いながらもそこで止まった。
余分に伸びていた草だけが、しょんぼりとしおれていく。
作物は残った。
麦は太い。豆も実をつけている。かぼちゃの葉は大きいけれど、もう家まで来ようとはしていない。
畑は、暴れなくなった。
村人たちは、しばらく声を出さなかった。
最初に動いたのは、村長だった。
村長は畑に近づき、麦の穂をそっと持ち上げた。手の中で、穂がずしりと重そうに垂れる。
「……実が入っている」
その声に、村人たちが一斉に畑へ集まった。
「こっちの豆もだ」
「かぼちゃも見ろ。もう実がついてる」
「こんな畑、見たことない」
「豊穣の加護だ」
「白狐様とミオの聖なるお力だ」
「いや、倍率を下げただけで……」
ミオの声は、村人たちの歓声にあっさり飲まれた。
年上のシスターが、泣きそうな顔でミオの手を取った。
「ミオ、本当に、本当にありがとう。これなら、子どもたちに食べさせられるわ」
「まだ収穫してみないと分かりませんけど」
「それでも、昨日とは違うもの」
その言葉には、ミオも何も言えなかった。
昨日、村は水がなくて黙りこんでいた。
今日は、畑が緑でいっぱいになっている。少しやりすぎたし、少し怖かったけれど、食べるものはできた。
ミオは透明な石板を見た。
[SOIL_ACTIVATION_NODE]
――――――――――
成長倍率:安定
根系圧力:低下
対象作物:維持
余剰草本:停止
収穫予測:通常年比 480%
――――――――――
「四百八十パーセント」
ミオは小さくつぶやいた。
白狐が横からのぞき込む。
「それは多いのですか」
「かなり」
「どのくらい」
「村の保存場所に入らないくらい」
「また次の問題ではありませんか」
ミオは畑を見た。
村人たちは喜んでいる。子どもたちは大きくなったかぼちゃの葉の下をのぞき込み、大人たちは麦の穂を手でたしかめている。神父は、今度こそ最後まで祈りを唱えきった。
よかった。
よかったのだけれど。
ミオは、村の小さな倉庫を思い出した。
屋根は少し傾いている。中はせまい。去年の干し豆と、古い麦袋と、虫よけの草束だけで、もう半分くらい埋まっている。
この畑の収穫が、本当に四倍以上になるなら。
入らない。
ぜんぜん、入らない。
白狐は、尾の先を見つめていた。そこにはまだ、うっすらと光が残っている。
「力が、少し戻りました」
「よかったね」
「よかったのでしょうか。あなたが畑を止めるために、わたくしの封印を少しこじ開けました」
「こじ開けてはない」
「では?」
「必要な権限を、一時的に借りた」
「それを、こちらではこじ開けたと言います」
ミオは黙った。
透明な石板が、もう一度だけ光る。
[NEXT ALERT]
――――――――――
収穫量予測:村内保管容量を超過
推奨処理:保存設備の確認
候補:旧式地下保存庫
状態:休眠中
――――――――――
ミオは表示を見て、空を見た。
空は青い。
畑は緑だ。
村人たちは笑っている。
とてもいい朝のはずだった。
「地下保存庫」
ミオが言うと、白狐がぴたりと固まった。
「今、地下と言いましたか」
「言った」
「保存庫とも言いましたか」
「言った」
「やめましょう」
「でも、収穫物が入らない」
「その地下は、たぶん開けてはいけない地下です」
「たぶん?」
「わたくしの記憶が、今ものすごく嫌な震え方をしました」
ミオは畑を見た。
大豊作。
とても助かる。
そして、とても困る。
ミオは透明な石板を胸元にしまった。
「まず、倉庫を見に行こうか」
「倉庫だけにしてください」
「うん。倉庫だけ」
「あなたの、だけ、は信用できません」
畑のはしっこで、大きなかぼちゃの葉が、ふわりと風もないのに揺れた。
白狐はそれを見て、小さくため息をついた。
「この村、静かだったころに戻れますかね」
「戻るより、よくした方がいいんじゃない?」
ミオがそう言うと、白狐は少しだけ目を細めた。
「それは、聖女らしい言葉ですね」
「そう?」
「ただし、あなたの場合は、聖女というより工事です」
ミオは返事に困った。
畑の向こうでは、村人たちがまだ笑っている。
その足元のずっと下で、古い地下保存庫が、まだ眠っていた。




