第151話 葉は冷えて、壺は割れずに届いた
北小屋場から来たハンナの籠は、朝露でしっとり濡れていた。
籠の中には青い葉が重なり、上から濡らした布が掛けられている。摘んだばかりの葉はしゃんとしていたが、村の入口で待たせれば、昨日のようにすぐ温かくなる。
「北の道は短いんです」
ハンナはそう言ってから、少し困った顔をした。
「短いけど、日が出ると急に暑くなるんです。走れば葉は間に合う。でも、転ぶと全部だめになります」
「急ぐ道なんですね」
「急ぐけど、走りすぎない道です」
難しい。
ミオたちは朝のうちに北道へ入った。ハンナが葉を三分の一だけ入れた籠を背負い、畑のおばさんと若い働き手が空籠と濡れ布を持つ。リタは木槌と短い板。白狐さんは先頭で草の匂いを確かめていた。
道は細かったが、足元は固い。草の種が脛へ付き、低い枝が籠の縁をこする。曲がり角を二つ越えると、木々が途切れ、朝日が道へ落ちていた。
「ここから暑いです」
ハンナの言葉どおり、濡れた土の匂いが急に薄くなった。日向は北小屋場まで続いている。反対に、曲がり角の手前には大きな岩の陰があり、古い石台が半分ほど草へ埋まっていた。
「前はここで渡してたらしいです」
「らしい?」
「おばあちゃんが言ってました。でも、台が傾いてからは使ってません」
石台の上には枯れ葉が積もり、片側が地面へ沈んでいる。籠を置けば、葉が低い方へ寄って潰れそうだった。
「台だけ平らにします」
「ミオ、下も見てください」
白狐さんが前足を置いた場所には、石の細い溝があった。枯れ葉と泥で塞がり、台の下へ続いている。
「水抜きでしょうか」
「分かりません。ただ、詰まったまま持ち上げるのは勧めません」
「はい。先に掃除します」
ミオとリタが木のへらで泥を掻き出した。畑のおばさんは草を刈り、ハンナは濡れ布を岩陰へ広げる。若い働き手が台の沈んだ側へ短い板を差し込んだ。
ずるっ。
溝から黒い泥が抜け、その奥で小さな金属音がした。
「今、鳴りました?」
「鳴りました」
白狐さんが石台から一歩離れる。
「ミオ。小さく確認してください」
「見るだけにします」
ミオが透明板を出すと、石台の輪郭へ淡い文字が重なった。
[NORTH ROUTE TRANSFER SHELF]
――――――――――
受け渡し台:傾斜
排水溝:清掃済み
日除け:収納状態
保冷床:低出力待機
起動条件:台面水平
帰還標識:未検出
――――――――――
「日除けと、保冷床」
「石台ではなかったのですか」
「石台です。たぶん、葉を置くための、少し冷たい石台です」
畑のおばさんが台を叩いた。
「少しなら助かるよ。冷えすぎたら葉が傷む」
「はい。台を平らにするだけにします。ほかは触りません」
板をてこにして、沈んだ側へ平石を一枚差し込む。土を締め、もう一度持ち上げ、小石を足す。ハンナが空籠を載せて傾きを見た。
「まだ右です」
「もう一枚、薄いのを」
ことん。
台が水平になった。
その瞬間、岩の上で何かがぱたぱたと開いた。
「え」
石の隙間に畳まれていた薄い板が三枚、枝のような支柱を伸ばして広がっていく。朝日を遮る大きさまで開くと、石台の表面から、ひやりとした空気が流れた。
濡れ布の端が、ふわりと揺れる。
「そこまで動くんですか」
「台面を水平にしただけですね」
「はい。台だけのつもりでした」
ハンナが籠を置いた。石台は冷たすぎず、井戸水へ触れた板くらいの温度だった。濡れ布を掛けると、葉の先に付いた雫が乾かず残る。
「これなら、小屋場からここまで運んで、村の人へ渡せます」
「走るのは小屋場からここまで?」
「はい。ここからは別の人が村へ運ぶ。空籠を持って戻れます」
畑のおばさんが予備の濡れ布を石台の下へ収めた。若い働き手は日除けの支柱を一本ずつ揺らし、閉じ方も確かめる。風が強い日は広げない。最後の籠を受け取った人が板を畳み、溝の泥を掻く。
古い日除けは、村人の仕事へ組み込まれた。
ハンナが葉の入った籠を背負って北小屋場へ戻り、しばらくして日向の向こうから駆けてきた。石台へ籠を下ろし、濡れ布を掛ける。待っていた畑のおばさんが別の籠へ葉を移し、今度は走らず村へ歩き出した。
北道の仕事は、速い前半と、丁寧な後半に分かれた。
昼を過ぎると、ノルテ道から壺運びの男が来た。
肩へ渡した棒の両端に、塩水の壺が一つずつ下がっている。空壺を背負った村人二人が続き、ミオと白狐さんも道へ入った。
こちらは北道より広い。けれど斜面に沿って曲がる場所だけ、泥が黒く湿っていた。
壺運びの男が歩幅を小さくする。
「ここは止まるな。止まると、次の一歩で壺が振れる」
「置き直す場所は?」
「曲がりの向こうだ。そこまで我慢する」
言い終わる前に、後ろの空壺がこつんと鳴った。
男が振り返る。棒の両端の壺も揺れる。
「動かないでください」
ミオは道の外へ寄った。白狐さんが湿った斜面を見上げる。
「上から来る方と、ここで出会うと避けられません」
「片方が戻るしかないな」
「重い壺を持ったまま?」
「だから、今までは声を出して入った」
曲がりの手前には、土から角を出した平石が二枚あった。片方は泥へ沈み、もう片方は斜面側へ傾いている。
壺運びの男が棒を担いだまま言った。
「あれを起こせれば置ける。だが、壺を下ろしてから直す場所がない」
空壺を持った村人が先へ回り、曲がりの向こうに人がいないことを確かめた。男が通過し、乾いた場所で壺を下ろす。それから全員で平石へ戻った。
泥を除き、二枚を道と平行に置く。一枚には壺を載せ、もう一枚には担ぎ棒の端を置ける高さを残した。
男は塩水の壺を一つずつ平石へ下ろした。縄輪が石の縁へ引っ掛かり、壺は転がらない。
「ここなら、一度置いて、向こうを見に行ける」
「同時に入らない印も要ります」
リタが曲がりの両側へ、白い布を巻いた杭を一本ずつ立てた。
先に杭へ着いた人が、布を道側へ倒す。反対側の人は布が戻るまで入らない。通り抜けた人が、向こう側の布を起こす。
「壺がある時だけ?」
「人だけでも同じにしよう」
「空壺は?」
「帰りへ回します。空でも、ここですれ違えば鳴りますから」
男は満ちた壺を村へ運び、帰りには入口でまとめた空壺を二つ持つ。村側の人は空壺をここまで運び、平石で受け渡す。重い満ちた壺と、軽い空壺が狭い曲がりへ同時に入らない順番が決まった。
実際に一往復した。
白い布が倒れる。
満ちた壺が曲がりを抜ける。
布が起きる。
反対から空壺が入り、平石へ置かれる。
一度も、壺は鳴らなかった。
夕方、村の入口へ二つの荷が戻った。
北道から届いた葉は、先が丸まらず、朝と同じ青さを残していた。畑のおばさんが一枚を折ると、ぱきりと瑞々しい音がする。
ノルテ道から届いた塩水壺は、縄輪にも胴にも新しい傷がなかった。壺運びの男が低い台へ下ろし、空壺の束を帰り側へ寄せる。
「葉は日陰へ!」
「壺は井戸側!」
「北の空籠は、次の便へ返すよ!」
村人たちは荷の行き先を迷わなかった。
ルーナ道は布と豆を休み石で運ぶ。
北小屋場道は、葉を日陰の受け渡し台でつなぐ。
ノルテ道は、平石と白い布で重い壺を交互に通す。
三本の道には、それぞれ別の歩き方と、別の受け渡し方ができていた。
ただし、三本とも最後には同じ入口へ着く。
葉の籠を日陰へ運ぶ人と、塩水壺を井戸側へ運ぶ人が、入口の手前で一度だけ足を止めた。
「明日は、来る時間も分けた方がいいね」
リタが言った。
「はい。道は使えるようになりました。次は、入口でぶつからないようにします」
ミオは、冷えた葉と、傷のない壺を見た。
道の危険は減った。
次に直すのは、三本が一つになる場所だった。
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