第150話 ルーナ道に三枚の休み石
朝のルーナ道には、豆袋の匂いがした。
ミオも小さな袋を背負っている。中身は村から返す乾燥豆で、いつもの荷運び人が背負う袋よりずっと軽い。それでも麻ひもが肩へ食い込み、村を出て最初の坂を上がるころには、背中がじんわり熱くなっていた。
前を歩くのは、昨日布束を運んできたルーナ村の女の人だ。今日は豆袋を一つ背負い、さらに丸めた布を腕へ掛けている。リタは麻ひもの束と水筒。村の若い働き手二人は、道を直す鍬と木槌を持っていた。
白狐さんだけは何も背負っていない。
「白狐さん」
「はい」
「歩き方が軽いです」
「私は荷を見ています」
「便利な役目です」
「重要な役目です」
白狐さんは丁寧に答え、少しだけ胸を張った。
道の前半は、荷車の轍が残っていた。乾いた土の上を、二本の浅い溝がゆるく続いている。けれど林へ入る手前で道幅が狭まり、片側が低い藪、反対側が斜面になった。轍はそこで途切れていた。
「荷車はここまでだよ」
ルーナ村の女の人が、道脇の太い木を叩いた。
「向こうから来る時は、ここで布を下ろす。荷車を木につないで、あとは背負うか抱えるかだね」
「帰りの豆は?」
「最初から背負う。荷車へ積むまで、下ろせる場所がないから」
ミオは太い木の根元を見た。地面は斜めで、落ち葉の下に細い根が走っている。袋を置けば滑る。布なら泥がつく。腰を下ろせる切り株もなかった。
「ここで休まないんですか」
「立ったままならね」
女の人は笑ったが、笑いながら肩を動かしていた。麻ひもが同じ場所へ食い込まないよう、荷をずらしている。
ミオも真似をした。
ずしり。
袋が背中で揺れ、今度は反対の肩へ重さが寄った。
「楽にはならないですね」
「場所が変わるだけだよ」
白狐さんが斜面の先へ鼻先を向けた。
「この先は、もう少し傾きます。休むなら、傾く前がよいです」
「白狐さん、覚えているんですか」
「いいえ。水の流れと、皆様の足跡を見ています」
古い道の記憶ではなく、今ここにある泥と草を見ている。その答えに、ミオは少し安心した。
そこから先は、道がゆっくり上った。
歩けないほどではない。危険な崖もない。ただ、右足を置く場所が少し高く、左足は柔らかい土へ沈む。同じ傾きが長く続くせいで、背負った袋がずっと左へ引かれた。
先頭の女の人が一度止まった。
止まっただけだった。
荷は下ろさない。両手を膝へ置くこともできず、布を抱えたまま浅く息をしている。後ろにいるミオたちも、狭い道で順に止まった。
「ここで、いつも?」
「だいたいね。もう少し先に木陰があるんだけど、あそこまで行くと戻るのが面倒でさ」
「戻る?」
「後ろの人が遅れた時だよ。荷を置けないから、背負ったまま戻る。狭いところですれ違うのも難しい」
休む場所がないだけではなかった。荷を下ろせないから、先頭と最後尾が離れる。離れた時に迎えへ戻る人も、荷を背負ったままになる。
ミオは道の少し先を見た。斜面側から平たい石の端が三つ、土に半分埋まっている。昔の道普請の残りなのか、同じくらいの厚さだった。
「あの石、使えませんか」
若い働き手が鍬を入れた。ざく、ざく、と湿った土を外し、二人で石を起こす。持ち上げられない大きさではないが、一人で抱えるには重い。
「道へ置くと狭くなるね」
リタが言った。
「はい。だから、道の外へ半歩だけ」
ミオは荷を背負ったまま、斜面の手前へ立った。土が固く、太い根が一本、低い段のように走っている。木陰もある。道を通る人から見え、すれ違いの邪魔にはならない。
「ここなら、荷を下ろしても滑りません」
「三枚とも並べますか?」
「一枚は荷。二枚目も荷。三枚目は、人が腰を下ろすか、荷を持ち上げる時に足を置く場所に」
ルーナ村の女の人が首を振った。
「腰掛けより、三つとも荷台がいいよ。二人続けて来ることもある。空いてる石へ片足を掛ければ、立ったままでも休める」
使う人の答えは早かった。
「では、三つとも荷を置ける高さにします」
石を横一列には置かなかった。道に近い一枚、半歩奥に二枚。背負った人が道から体をひねるだけで袋を載せられ、奥で休んでいる人がいても次の人が一枚使える並びにした。
土を掘り、石を伏せる。
ごとん。
一枚目が少し傾いた。
「左が沈みます」
「下に小石を入れます、ミオ様」
リタが平たい小石を差し込み、若い働き手が木槌の柄で土を締める。二枚目は木の根へ寄せすぎて、豆袋を置くと枝へ当たった。指二本ぶん前へ出す。三枚目は縁の泥を落とし、布を汚さない面を上にした。
三枚が、木陰に並んだ。
「試します」
ミオは背負いひもを片方だけ外し、一枚目へ袋の底を載せた。石が重さを受ける。もう片方のひもを外すと、袋は倒れず、その場に残った。
肩が、ふっと軽くなる。
「あ」
思ったより大きな声が出た。
「これは、楽です」
「ミオ、まだ軽い袋です」
「軽くても楽です」
白狐さんは石の周りを一周し、前足で土を軽く押した。
「雨の後は、手前が緩みそうです」
「では、雨の翌朝に見ます」
ルーナ村の女の人が、自分の豆袋を石へ下ろした。ミオのものより大きく、置いた瞬間に麻ひもがきしんだ。
女の人は両肩を回した。
腕から布を外し、二枚目へ載せる。水を一口飲み、今度は石の前へ背を向けた。袋のひもへ腕を通し、石の高さを使って立ち上がる。
「……これなら、持ち上げ直す時に腰を折らなくていい」
さっきまで赤かった顔から、力が少し抜けていた。
「もう一度、歩けますか」
「歩けるよ。しかも、後ろを待てる」
女の人は袋を背負ったまま、道脇へ半歩寄った。ミオたちが前を通れるだけの幅が残っている。
「使えますね」
「使えます」
ミオはうなずき、石の横へ細い枝を一本立てた。目印ではあるが、特別な標識にはしない。白狐さんが枝を見上げる。
「それは、誰が直すのですか」
「ルーナ道を使う人です」
手順は短くした。
朝いちばんに通る人が、三枚を足で押して揺れを確かめる。雨の翌日は、手前の泥を掻き出して小石を足す。荷を置いて傾いたら、その日は枝へ布切れを結び、次に来る二人が鍬と木槌を持ってくる。直した人は、帰りに布切れを外す。
ミオも透明板も、毎回は要らない。
「これなら、うちでもできる」
女の人が言った。
「村から来た人が気づいた時も直します」
若い働き手が答えた。
「どちらの村の石ですか」
白狐さんの問いに、二人は少しだけ考えた。
「道の石だね」
「使った人の仕事です」
白狐さんは満足したように尾を一度だけ揺らした。
「それがよいと思います」
休み終えた女の人が先に立った。歩幅はさっきより少し広い。ミオも自分の袋を三枚目から背負い直す。石の高さがあるだけで、荷を持ち上げる動きが短くなった。
道を進み、傾きが終わるところまで歩く。
そこで振り返ると、木陰の三枚が小さく見えた。白狐さんと若い働き手がその横に立ち、後から来た布運びの男の人が、迷わず一枚へ荷を下ろしている。
肩を回し、水を飲み、石の揺れを足で確かめる。
それから男の人は、空いた二枚を見て道の端へ寄った。後ろの人を待ちながら、楽そうに息を吐いた。
ルーナ道には、休める場所ができた。
そして三枚の石を直す仕事は、もう道を使う人たちの手に渡っていた。
村へ戻れば、北小屋場のハンナと、ノルテ方面から来た壺運びの男が待っている。次は、傷みやすい葉と、重い塩水の道だった。
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