第146話 村が一瞬軽くなる
広場の白い円は、さっきより少し太くなっていた。
祠から伸びた白い線が、円の縁へ入っている。東と西の係留石から来た線。井戸から来た線。地下倉庫から来た線。畑から来た線。そこへ、祠の線が加わった。
全部、細い。
けれど、全部つながっている。
円の真ん中は、まだ何もない。ただの土だ。よく踏まれた広場の土。子どもが走り、村人が荷を置き、話し合いをする、いつもの場所だ。
そのいつもの土が、ぽん、と鳴った。
「白狐さん」
「はい」
「中央、鳴りました」
「鳴りましたね」
「円の中には入りません」
「はい」
「外から見ます」
「それがよいと思います」
「でも、外から見ていても何か起きますよね」
「おそらく」
「ですよね」
リタは広場の端で、両手を胸の前に重ねていた。村人たちはその後ろに集まっている。誰も白い円の中へ入らない。さすがに、今はそのくらい分かる。
だが、見ない者もいなかった。
ミオが透明の板を持ち上げると、村人たちがざわっと静かになった。
白い模様の浮いた聖なる石板。
村人たちには、そう見えている。
ミオには、いつもの白い文字が見えた。
[CENTER CONFIRMATION]
――――――――――
中央受け場:仮接続
東西係留:接続
井戸水重心:接続
倉庫荷重:接続
畑風受け:接続
古い祠:接続
状態:初期確認
――――――――――
「初期確認」
「ミオ様?」
「まだ初期です」
「これで、まだ初期なのですか」
「はい」
「村は大きいですね」
「言わないでください」
透明の板の表示が、円の形に合わせてゆっくり回った。
白い円の縁も、それに合わせるように、ふわ、と光る。
東側の石が、こつん。
西側の石が、こつん。
井戸が、こぽん。
地下倉庫が、ことん。
畑が、ぱたぱた。
祠が、ちょん。
最後に、広場の円が、ぽん。
順番ができている。
ミオは、それを聞いて、少しだけ嫌な顔をした。
「白狐さん」
「はい」
「村が順番に鳴っています」
「鳴っていますね」
「楽器みたいです」
「かわいらしい言い方です」
「やっていることは、かわいくないです」
「はい」
円の真ん中に、小さな白い点が出た。
ぽつん。
それから、もう一つ。
ぽつん。
点は三つ、四つと増え、円の内側でゆっくり並んだ。文字ではない。絵でもない。石の配置を示す印みたいだった。
透明の板の表示が変わる。
[CENTER RECEIVING FIELD]
――――――――――
円内反応:出現
荷重:軽減準備
水重心:追従準備
風受け:追従準備
係留:弱保持
注意:踏み込み不可
――――――――――
「踏み込み不可」
「ミオ様?」
「円の中に入るな、だそうです」
「入らないでください」
「入りません」
「本当に」
「本当に」
村人の一人が、小さく言った。
「聖女様でも、入ってはならない場所か」
「そういう場所です」
「では、村の心臓か」
「増やさないでください」
だが、何人かがうなずいてしまった。
村の心臓。
また言葉が強くなった。
ミオは困ったが、白い円がぽんと鳴ったので、否定するタイミングを失った。
円の内側の白い点が、すうっと線でつながる。
小さな網みたいな模様ができた。
それが、地面の下へ沈む。
次の瞬間。
桶の水が、ふわ、と浮いた。
広場の端に置かれていた桶だ。見守り係の子どもが、ぱっと両手を伸ばした。桶そのものは浮いていない。水だけが、桶の縁から少し上に丸く持ち上がった。
「水!」
「押さえないでください!」
「でも!」
「見守って!」
子どもは両手を引っ込めた。
真剣な見守りだった。
井戸の水面も、同じように丸く上がった。こぽん、こぽん。二回鳴って、透明なまんじゅうみたいに盛り上がる。今度は怖いというより、揃っていた。
地下倉庫の方で、ぽふ、と音がした。
倉庫の入口から、白い粉が少しだけ出る。中の麻袋が、ふわ、すとん、と軽く動いたのが見えた。木箱も、こと、こと、と小さく鳴る。
畑では、豆葉が一斉に立った。
ぴん。
それから、ぱたん。
倒れる。
折れない。
また立つ。
ぱたぱたぱた、と外縁から中央へ波が走った。
東西の係留石からは、透明な鎖がふわっと濃く出た。
東。
西。
二本の見えない鎖が、同じ長さだけ空気に浮き、同じ長さだけ土の中へ沈んでいる。
古い祠の台座が、ちょん、と鳴った。
白い灯りが一粒、石の隙間から出て、すぐ戻る。
村人たちは、声を出せなかった。
ミオも出せなかった。
広場の白い円だけが、ぽん、と低く鳴る。
透明の板の表示が変わった。
[VILLAGE LIGHTENING TEST]
――――――――――
中央受け場:反応
井戸水重心:追従
倉庫荷重:追従
畑風受け:追従
東西係留:弱保持
祠灯:追従
村底部:一瞬軽減
――――――――――
「一瞬軽減」
「ミオ様?」
「村底部が、一瞬軽くなったそうです」
「村が、軽く」
「はい」
「今のが」
「今のが」
リタは、ゆっくり村を見回した。
何も浮いていない。
家も、倉庫も、井戸も、畑も、祠も、そのままだ。
だが、さっき一瞬だけ、土の下から持ち上がるような感じがあった。足の裏が、ほんの少し軽くなった。ミオだけではない。村人たちも、同じように足元を見ている。
村人の一人が、ぼそっと言った。
「今、足が軽かった」
「私も」
「桶の水も浮いた」
「豆も立った」
「倉庫の荷も」
ざわざわ。
声が広がる。
聖女様が村を軽くした。
村が浮く前触れだ。
古い祠が答えた。
東西の石が村を留めた。
言葉が、あちこちで育っていく。
「違います」
ミオは、ひとまず言った。
声は弱かった。
「違います。私は、円の中に入ってません。透明の板を見ていただけです。白い砂を払って、石を戻して、表示を読んでいただけです」
「ミオ様」
「はい」
「その全部をすると、村が軽くなりました」
「まとめないでください」
白狐が静かに言った。
「ミオ。今は、否定より確認です」
「はい」
「何が起きたかを見ましょう」
「はい」
ミオは透明の板を見た。
表示はまだ残っている。
村底部:一瞬軽減。
その下に、小さな文字が増えた。
[TEST RESULT]
――――――――――
浮上:未実行
中央受け場:仮反応
各系統:追従確認
係留:弱保持
不足:中央欠け
次確認:円内縁
――――――――――
「浮上、未実行」
「ミオ様」
「はい」
「まだ浮いてはいないのですね」
「はい」
「よかったです」
「本当に」
ミオは大きく息を吐いた。
村は浮いていない。
今のは、テストみたいなものだった。
水が浮いた。荷が軽くなった。豆葉が立った。鎖が見えた。足元が一瞬軽くなった。
それだけ。
それだけ、の範囲がだいぶ大きい。
「中央欠け」
白狐が言った。
ミオは透明の板を見直した。
「出ています」
「円内縁、ともありますね」
「はい」
「円の内側ではなく、縁です」
「入りません」
「はい。縁だけ見ましょう」
リタが、村人たちへ向いた。
「円の中へは入らないでください」
声が少し通った。
村人たちは、うなずいた。今は、リタの言葉にも力がある。聖女様のそばで石板の御言葉を聞く人、みたいに見えているのかもしれない。本人はたぶん気づいていない。
ミオは白い円の縁へしゃがんだ。
円の一部が、ほんの少し欠けていた。
土が詰まっている。白い砂ではない。硬い土と、小さな黒い粒。そこだけ白線が細く途切れている。指で触れようとして、手を止めた。
「白狐さん」
「はい」
「これ、触っていいと思います?」
「板は何と」
「円内縁。中央欠け。浮上未実行。踏み込み不可」
「触れるのは、縁だけにしましょう」
「はい」
ミオは布を使わなかった。
指でも触れない。
木べらの先で、土の粒をほんの少しだけ寄せた。
かり。
小さな音がした。
白い円が、ふわっと光った。
桶の水が、また少しだけ持ち上がる。
「戻します!」
「何をですか」
「土です!」
「まだ取ってません!」
ミオは思わず言った。
村人の子どもが、桶を見守ったまま「まだ大丈夫!」と叫ぶ。
助かる。
とても助かる。
ミオは木べらを止めた。
透明の板の表示が変わる。
[CENTER RIM]
――――――――――
中央欠け:確認
異物:黒土粒
除去:可能
注意:除去後、軽減反応あり
推奨:周囲退避
――――――――――
「周囲退避」
「ミオ様?」
「少し下がってください」
「はい」
リタが村人へ声をかける。
村人たちは、白い円から一歩、二歩と下がった。誰も文句を言わない。むしろ早い。聖女様が下がれと言った、という扱いなのだろう。今だけは便利だった。
ミオは木べらの先で、黒い土粒をすくった。
ほんの少し。
小指の爪より小さい。
それを円の外へ置いた。
白い線が、すうっとつながった。
広場の円が、明るくなる。
東。
西。
井戸。
倉庫。
畑。
祠。
全部が、一度ずつ鳴った。
こつん。
こつん。
こぽん。
ことん。
ぱた。
ちょん。
ぽん。
そのあと、村全体が、ふわりとした。
足の裏が、土から少しだけ離れたような気がした。
気がしただけかもしれない。
だが、桶の水は今度、桶の縁より指二本分ほど上に浮いた。
麻袋が倉庫の中で、ふわ、すとん、と揺れた。
豆葉が全部、ぴんと立った。
祠の灯りが、石の隙間から丸く出た。
東西の透明な鎖が、ぎゅ、と張った。
誰かが、小さく叫んだ。
「浮いた」
ミオはすぐに言った。
「浮いてません」
透明の板を見た。
[LIGHTENING RESPONSE]
――――――――――
浮上:未実行
村底部:軽減反応
係留:保持
中央受け場:仮復帰
次段階:中央確認継続
――――――――――
「浮いてません」
ミオはもう一度言った。
「浮上は未実行です」
「でも、今」
「軽くなっただけです」
「村が」
「はい」
「村が軽くなったのですね」
「言い方がもう大きいです」
白狐が、少しだけ息を吐いた。
「ですが、ミオ」
「はい」
「村はまだ、ここにあります」
「はい」
「東西の係留も保持されています」
「はい」
「なら、今は成功です」
「成功」
「はい。少なくとも、壊れてはいません」
ミオは広場の白い円を見た。
壊れてはいない。
井戸も、倉庫も、畑も、祠も、東西の石も、全部そのままだ。
だが、さっきより少しだけ、軽い。
言葉にすると怖い。
見たままなら、桶の水がまだ少し丸く浮いている。豆葉がぴんと立ったまま、ゆっくり戻っている。東西の鎖がうすく見えている。
それだけだ。
それだけで十分すぎる。
「ミオ様」
「はい」
「村人たちが、すごく見ています」
「見ないでほしいです」
「無理だと思います」
「ですよね」
村人たちは、白い円とミオと透明の板を見ていた。
聖女様が、村を軽くした。
そういう顔だった。
ミオは否定しようとして、やめた。
否定するより先に、透明の板の下に新しい文字が出たからだ。
[NEXT CHECK]
――――――――――
中央受け場:仮復帰
村底部:軽減反応確認
不足:南側線
空帰還鍵:未検出
――――――――――
「南側線」
「ミオ様?」
「あと、空帰還鍵」
「空……?」
「そこは私も分かりません」
「鍵ですか」
「鍵です」
白狐の表情が、少しだけ引き締まった。
「ミオ」
「はい」
「今は、そこまでにしましょう」
「はい」
「村が軽くなった後です」
「はい」
「これ以上は、続けない方がいいです」
「分かります」
広場の白い円は、ゆっくり薄くなった。
消えはしない。
ただ、強い光ではなくなる。
桶の水が、ちゃぷんと桶の中へ戻った。
豆葉が、ぱたぱたと普通の高さへ戻る。
倉庫の音も止まる。
祠の灯りも、石の中へ戻る。
東西の鎖は、うっすら残ったまま、空気に溶けるように薄くなった。
ミオは、ようやく息をした。
「白狐さん」
「はい」
「今日、かなりやりましたね」
「かなりやりました」
「私は、砂を払って、石を戻して、土粒をどけただけです」
「はい」
「なのに、村が軽くなりました」
「はい」
リタが、そっと言った。
「ミオ様」
「はい」
「それを村では、奇跡と言います」
「言わないでください」
「はい」
村人たちの何人かが、もう祈っていた。
ミオは見なかったことにした。
見なかったことには、ならなかった。
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