第144話 村中央の白い円
村の中央へ向かう道は、いつもと同じだった。
同じ土の道。同じ広場。同じ井戸の横。同じ豆畑の脇。同じ地下倉庫の入口。だが、今は全部が少しずつ鳴っている。
井戸が、こぽん。
倉庫が、ことん。
豆葉が、ぱたぱた。
東の石が、こつん。
西の石が、こつん。
その音が、ばらばらではなくなっていた。誰かが木の匙で、村のあちこちを順番に叩いているみたいだった。
ミオは透明の板を持ったまま、広場の手前で止まった。
「白狐さん」
「はい」
「広場、何かありましたっけ」
「見えている範囲では、何もありません」
「ですよね」
「はい」
「その言い方、少し怖いです」
「今は、見えていない範囲が問題です」
「もっと怖いです」
リタはミオの横で、広場をじっと見ている。何もない地面。よく踏まれて、草が少なく、村人が集まる場所。荷を置いたり、話し合いをしたり、子どもが走ったりする場所だ。
その真ん中が、ぽん、と鳴った。
今度は、足元から少し震えが来た。
村人たちは広場の外に集まっている。東西の石で透明な鎖を見てしまったあとだ。誰も不用意に真ん中へ入ろうとはしない。何人かは、ミオの透明の板を見て、すでに手を合わせている。
「聖女様が、村の中心へ」
「確認です」
「中心をお開きになるのですか」
「開きません」
「でも、地面が鳴っております」
「鳴ってますね」
「では」
「確認です」
少し押し切った。
リタが小さくうなずいた。
「ミオ様」
「はい」
「確認、便利ですね」
「そうですね」
「たぶん、村人にはもう魔法の言葉です」
「困ります」
透明の板の表示が変わった。
[VILLAGE CENTER]
――――――――――
東側係留:仮反応
西側係留:仮反応
井戸水重心:中央寄り
倉庫荷重:中央寄り
畑風受け:中央寄り
中央受け場:未露出
確認:広場中央
――――――――――
「中央受け場」
「ミオ様?」
「また、見なかったことにしたい言葉が出ました」
「受け場、ですか」
「はい」
「何を受けるのでしょう」
「言わないでください」
「はい」
白狐が広場を見た。
広場の土は、普通に見える。石もない。柱もない。祠もない。ただ、東西の係留石から来た白い線が、地面の下で集まっているようだった。見えないはずなのに、なんとなく分かる。
ミオは広場へ一歩入った。
ぽん。
足元が鳴った。
ミオは止まった。
「今、踏みました?」
「踏みましたね」
「何を」
「地面です」
「白狐さん」
「はい」
「そういう正しい返事、今はいらないです」
「すみません」
ミオがもう一歩進むと、地面の下で、ぽん、ぽん、と二回鳴った。
東側の石が、こつん。
西側の石が、こつん。
井戸が、こぽん。
倉庫が、ことん。
畑が、ぱたぱた。
ぜんぶが一度ずつ鳴って、最後に広場の真ん中が、ぽん、と返した。
村人たちが、息をのんだ。
「村が聖女様に返事を……」
「返事ではないです」
「では」
「反応です」
「反応」
「はい」
「聖なる反応」
「増やさないでください」
ミオは広場の中央へ向かった。
透明の板の白い文字が少しずつ濃くなる。村人には聖なる石板の模様が強くなっていくように見えているのだろう。何人かが、さらに後ろへ下がった。
広場の真ん中には、何もない。
そう見えた。
だが、足元の土に、白い点が一つ出た。
ぽつん。
ミオはしゃがんだ。
白い点の周りに、うっすら丸い線が浮かぶ。最初は湯気みたいに薄い。それが、すうっと広がって、ミオの両腕を伸ばしたくらいの円になった。
丸い。
ただの丸ではない。東と西の係留石、井戸、倉庫、畑から来た線が、その円の縁に細くつながっている。全部、地面すれすれで光っている。
「白狐さん」
「はい」
「出ました」
「出ましたね」
「広場に丸が」
「はい」
「私は何も掘ってません」
「今回は、踏みました」
「踏んだだけで出るのも困ります」
透明の板の表示が変わる。
[CENTER RECEIVING CIRCLE]
――――――――――
中央受け場:露出
東側係留:接続
西側係留:接続
井戸水重心:接続
倉庫荷重:接続
畑風受け:接続
状態:仮接続
――――――――――
「全部、接続って出ています」
「ミオ様」
「はい」
「よいことですか」
「よいことだといいです」
「ミオ様」
「はい」
「またその言い方です」
その通りだった。
円の白線は、まだ強くない。地面の上に、粉で描いたみたいに薄い。ミオが息を吹けば消えそうに見える。だが、村のあちこちから来た線が、ちゃんとそこへ入っている。
東の石。
西の石。
井戸。
地下倉庫。
畑。
古い祠の方からも、まだ細い線が少しだけ伸びている。そこだけは、円の縁まで届かず、手前でちょんちょんと揺れていた。
「祠だけ、まだ届いてないですね」
「はい」
「でも、今は広場です」
「そうですね」
村人たちは、白い円を見て、ざわざわと声を潜めた。
「聖女様が、村の真ん中に輪を」
「描いてません」
「踏まれたら出ました」
「それも違うような」
「では、村が聖女様の足元に輪を」
「さらに違います」
ミオは否定したが、どう見ても自分の足元に円が出ている。
弱い。
否定が弱い。
白狐は笑わなかった。笑わないでいてくれた。ありがたかった。
リタが、そっと言った。
「ミオ様、円の中へ入りますか」
「入りたくないです」
「入らない方がよいですか」
「分かりません」
「石板は」
「中央受け場、露出。状態、仮接続」
「受け場」
「はい」
「何かを受ける場所」
「言わないでください」
「はい」
その時、円の縁が、ふわ、と光った。
東西の透明な鎖が、遠くで同時に震える。井戸の水面が丸く盛り上がり、すぐ戻る。倉庫の床下から風が吹き、畑の豆葉が、円の方へ一度だけ倒れた。
古い祠の石の隙間から、ちょん、と白い灯りが出た。
灯りは、広場の方へ向かおうとして、途中で止まる。
届かない。
ちょん。
ちょん。
土の上で、小さく跳ねている。
「祠の灯り、来たがってます」
「来たがっていますね」
「またですか」
「はい」
透明の板の表示が、下へ一行増えた。
[CENTER LINK]
――――――――――
中央受け場:仮接続
東西係留:接続
井戸・倉庫・畑:接続
古い祠:未接続
不足:祠側の白砂
――――――――――
「祠側の白砂」
「ミオ様」
「はい」
「次は祠ですか」
「そうみたいです」
「でも、中央は」
「仮接続です」
「仮」
「はい」
「仮が増えますね」
「増えますね」
村人の一人が、白い円を見ながら言った。
「この円は、浮かせるためのものなのか」
ミオは一瞬、黙った。
浮かせる。
誰かが言った瞬間、広場の円が少しだけ明るくなった。畑の豆葉が、ぱた、と立つ。井戸が、こぽん。倉庫が、ことん。東西の石が、こつん、こつん。
みんな聞こえていた。
「ミオ様」
「はい」
「今、反応しました」
「しましたね」
「浮かせる、と言ったら」
「はい」
透明の板の表示は変わらない。
ただ、中央受け場の文字だけが、少し濃くなった。
ミオは白い円を見下ろした。
村を浮かせる。
まだ、そうとは書いていない。
だが、倉庫の荷は軽くなった。井戸の水は浮いた。畑は風を下から逃がした。東西の係留石は、透明な鎖を見せた。中央には、受け場と呼ばれる円が出た。
「白狐さん」
「はい」
「今の、聞かなかったことにできますか」
「難しいです」
「ですよね」
白狐は、白い円を見たまま言った。
「ですが、まだ浮いてはいません」
「はい」
「今あるのは、円と線だけです」
「それも十分多いです」
「はい」
ミオは透明の板を少し下げた。
村人たちは、白い円の外で待っている。誰も中へ入ろうとしない。さすがに、これは踏まない方がいいと思っているらしい。ミオもそう思う。
「今日は、円の外から見ます」
「はい、ミオ」
「中へは入りません」
「それがよいと思います」
「リタさん」
「はい」
「祠の灯りが跳ねています」
「はい」
「行きましょうか」
「行きましょう」
広場の白い円は、消えなかった。
薄く、丸く、地面の上に残っている。
その縁に、東西の線と、井戸の線と、倉庫の線と、畑の線が、細くつながっている。
古い祠の方だけが、まだ少し足りない。
白い灯りが、ちょん、と跳ねた。
ミオは透明の板を持ち直した。
板の端で、古い祠の文字が濃くなっていた。
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