第12話 水車を直したら、麻叩き機が動いた
ノルテ村へ向かう道は、リュミナ村の畑の端からゆるく下っていた。
草はのびているけれど、道そのものは残っている。昔は人が通っていたのだと思う。ところどころに平たい石が埋まっていて、車輪の跡みたいなへこみもあった。ただ、今は雨が降ると泥になりそうで、草の根が道の真ん中まで入りこんでいる。ミオは足元を見ながら歩いた。白狐はその横を、しっぽを高く上げて進んでいる。
「白狐さん、ほんとに道わかるの?」
「当然です。わたしは古い地理に詳しいので」
「でも、さっき二回止まったよね」
「あれは確認です」
「一回、こっちですって言ったあと戻ったよ」
「地形が変わっていました」
「もう一回は?」
「草の実が足につきました」
白狐は少しだけ前足を振った。白い毛に、小さな茶色い実がついている。
ミオはしゃがんで、それを取ってやった。
「はい」
「……礼は言っておきます」
「どういたしまして」
「ただし、わたしは自力でも取れました」
「うん。そうだね」
白狐は何も言わず、少しだけミオのそばを歩いた。
道の先から、水の匂いではなく、湿った泥の匂いがした。水路が近いのだろう。ノルテ村の人たちは黙って前を歩いていた。年配の女は何度も振り返る。期待している顔ではない。期待して、だめだった時が怖い顔だった。
しばらく歩くと、低い石垣が見えてきた。
その向こうに、ノルテ村があった。
リュミナ村より少し小さい。家は十数軒ほどで、屋根の草は薄く、壁の土もひびが多い。村の奥に、古い水車が止まっていた。水車の羽根は乾き、黒ずみ、ところどころ欠けている。水路には泥がたまり、底だけがぬれている。
村の広場には、麻の束が積まれていた。
けれど、乾いたまま固くなっている。束ねた茎は灰色がかって、持ち上げるだけでぱきっと折れそうだった。そばには木の台と、太い木槌のような仕掛けがある。使われなくなって長いのか、そこにも泥とほこりが積もっていた。
女が言った。
「昔は、あれで麻を叩いていたんだよ。水車が回ると、木槌が上がって、落ちて、繊維をほぐしてくれた。手でやるよりずっと早い。でも、水が止まってからは、ただの置物さ」
ミオは水車を見た。
村人にとっては古い水車。けれど、透明板を通して見る前から、なんとなく嫌な予感がした。水車だけで終わらないものの気配がする。
「見るだけ」
「自分に言い聞かせていますね」
「うん」
ミオは透明板を取り出した。
村人たちが少しざわつく。ノルテ村の子どもが一人、母親のうしろから顔を出した。白狐はミオの足元で、前足をそろえて座った。すごくえらそうにしている。小さいのに。
透明板越しに石樋を見る。
すぐに表示が出た。
[WATER LINE CHECK]
――――――――――
中継石樋:閉塞
原因:泥/根/石片
水圧:不足
下流支線:微弱反応
手動除去:必要
――――――――――
「泥と根と石片……そのままだね」
「物理的な詰まりですか」
「うん。ここは、手で取らないとだめそう」
ミオがそう言うと、ノルテ村の若い男がすぐに鍬を持ってきた。リュミナ村の人たちも手伝う。石樋のふたになっている平たい石を、三人がかりでずらす。
ふたが動いた瞬間、むわっとした匂いが上がった。
泥。腐った草。古い水。
ミオは思わず顔をしかめた。
「うわ」
「聖女さまでも、臭いものは臭いんだね」
「うん、すごく臭い」
ノルテ村の子どもが、少し笑った。
その笑いで、場のかたさが少しだけゆるんだ。村人たちは石樋の中から泥をかき出し始める。ミオも手伝おうとしたが、年配の女に止められた。
「あんたは石板を見ててくれ。こっちは手が慣れてる」
「でも」
「いいから。どこまで出せばいいか、教えておくれ」
ミオはうなずいた。
透明板を見る。泥のつまりが少しずつ減っていく。赤かった線が、黄色へ変わる。水圧はまだ弱い。石樋の奥に、根がからまった塊がある。
「奥に、根っこのかたまりがあります。右側。石の継ぎ目のところ」
「これかい」
「たぶん、それです。引くと崩れるかも。ゆっくり」
「分かった」
男が手を入れ、根をつかんだ。引く。動かない。もう一人が手伝う。泥がずるっと動き、黒い水が少し流れた。
白狐が一歩下がった。
「白狐さん、泥は苦手?」
「毛並みの問題です」
「そっか」
「あなたも、少しは見た目を気にしてください。袖の先、もう茶色です」
「えっ」
ミオは自分の袖を見た。いつの間にか、薄茶色の泥がついていた。
「ほんとだ」
「下っ端シスターとしては自然です」
「褒めてる?」
「事実です」
やがて、根の塊が抜けた。
その瞬間、石樋の奥から水が押し出されるように流れた。最初は濁っていた。泥を巻き込み、細く、ためらうような流れだった。けれど、すぐに水の音が変わる。
ちょろちょろ、ではない。
さらさら、と続く音。
ノルテ村の人たちが息をのんだ。
水が、石樋を通った。
[WATER LINE CHECK]
――――――――――
中継石樋:閉塞解除
水圧:回復中
ノルテ支流:接続
下流水路:洗浄開始
――――――――――
「通った……」
年配の女が、石樋の縁に手をついた。
その手が震えていた。
「本当に、通った」
村の奥で、水路の底がぬれていく。乾いた泥が黒くなり、細い流れが水車の下へ向かって進む。
そこで、ミオの透明板がもう一度光った。
[LOCAL POWER NODE]
――――――――――
ノルテ水車:接続待機
繊維処理台:停止
流量制御:不安定
低出力起動:可能
――――――――――
ミオは固まった。
「……白狐さん」
「はい」
「水車ノードって出てる」
「出ましたね」
「低出力起動、可能って」
「出ていますね」
「見るだけ、終わったね」
「石樋はもう直しましたからね」
白狐は、なぜか少し誇らしそうだった。
ミオは水車を見た。
水は水車の下まで届き始めている。でも、流量がまだ弱い。羽根に当たっても、湿らせるだけで回すには足りない。アナライザブルデバッガーの表示では、流量制御の古い設定が固まっていた。水をためて、一定量を超えたら水車へ流す仕組みが、閉じたままになっている。
「ここを開けば、回るかもしれない」
「開けば、回るでしょう」
「でも、回ると、あっちの木槌も動くよね」
「おそらく」
「いきなり動いたら危ないかな」
「人を近づけないようにすれば、危険は下がります」
ミオは村人たちに声をかけた。
「水車のそばから、少し離れてください。木槌も動くかもしれません」
「木槌が?」
「たぶん。急に動くと危ないので」
「動くのかい、あれが」
村人たちは半信半疑で下がった。
小さな子どもは、母親に抱き寄せられる。若い男は木槌台を見つめたまま、動かなかった。女がその袖を引く。
「下がりな」
「でも」
「動くところを見たいなら、目だけ出しな」
ミオは透明板を水車へ向けた。
表示の線をたどる。水の入口。ためる場所。古い弁。水車の軸。繊維処理台につながる木のアーム。
ミオは指先で、流量制御の固まった箇所に触れた。
「低出力だけ。水車だけ。繊維処理台は、安全確認後」
小さく言いながら、設定を確認する。
白狐が足元から見上げている。
「声に出している時点で、少し不安なのですが」
「私も不安だから、確認してる」
「それはよいことです」
「珍しく素直に褒めた」
「今のところは」
ミオは息を吸った。
それから、透明板の上で小さなパッチを当てた。
[FLOW CONTROL PATCH]
――――――――――
対象:ノルテ水車
起動出力:低
繊維処理台:待機
安全確認:要求
実行:開始
――――――――――
水路の奥で、何かが外れる音がした。
こぽ、と水がふくらむ。
ためらっていた流れが、一段強くなった。
水が水車の羽根に当たる。
最初、水車は動かなかった。
ただ、水を受けて、古い木がきしむだけだった。
村人たちの顔に、また不安が戻る。
ミオは透明板を見る。軸が固い。水量は足りている。だが、長く止まっていたせいで、軸受けが固着している。
「軸が固い」
「物理ですか」
「うん。たぶん押せば……」
「あなたが押すのですか」
「みんなで押す」
ミオは水車へ近づいた。
村人たちもすぐに集まる。水車の羽根に手をかける。濡れた木は冷たく、ざらざらしていた。ミオの手ではほとんど力にならない。それでも、手を添えた。
「いきます。せーの」
押す。
動かない。
もう一度。
押す。
ぎ、と音がした。
村人たちが顔を上げる。
「もう一回!」
三度目に、水車が少しだけ動いた。
ぎぎ、と軸が鳴る。
水が羽根を押す。
止まりかける。
そこへ、村人たちがもう一度押す。
水車が、回った。
ゆっくり。
ぎこちなく。
でも、確かに回った。
水の音が変わる。木の軸が鳴る。古いアームが上下し、繊維処理台のほうへ力が伝わっていく。
ミオはあわてて透明板を見た。
[LOCAL POWER NODE]
――――――――――
ノルテ水車:低出力起動
軸回転:不安定
繊維処理台:安全確認待ち
手動確認:必要
――――――――――
「まだ木槌は止まってる。よかった」
「珍しく、予定どおりです」
「珍しくって言った」
白狐が少しだけ目をそらした。
村人たちは、水車を見ていた。
誰も大きな声を出さなかった。泣く人も、笑う人も、まだいない。ただ、止まっていたものが動くのを見ていた。長いあいだ諦めていたものが、ゆっくり回っている。
年配の女が、ぽつりと言った。
「音がする」
水車の音。
それはたぶん、この村から長く消えていた音だった。
ミオは繊維処理台の前に立った。
木槌は上がったまま止まっている。下には、固い麻束を置く台がある。安全確認の表示はまだ黄色だ。木槌の可動範囲に人がいないこと。台が割れていないこと。軸が速すぎないこと。その三つを確認する必要がある。
「台、割れてないかな」
「昔から使ってた台だ。少し傷はあるが、まだ持つと思う」
若い男が答えた。
「麻束を置いてもいい?」
「置く。置かせてくれ」
男が麻束を持ってきた。乾いて固くなった束だ。台の上に置く。手つきが少し震えている。
ミオは透明板を確認した。
[FIBER PROCESSING TABLE]
――――――――――
作業台:使用可能
木槌機構:低速
安全範囲:確保
試験起動:可能
――――――――――
「試験起動します。みんな、下がって」
「試験……?」
「少しだけ動かします」
ミオは透明板に触れた。
水車の力が、木のアームへ伝わる。
木槌が、ゆっくり上がった。
村人たちが息を止める。
木槌が落ちる。
どん。
麻束がはねた。
もう一度、木槌が上がる。
どん。
固かった麻束の表面が割れ、繊維が少しほぐれる。
どん。
どん。
水車が回る。木槌が落ちる。麻束がやわらかくなっていく。
ノルテ村の女が、口元を押さえた。
「動いた……」
若い男が、台に駆け寄りそうになって、途中で止まる。ミオに言われた安全範囲を覚えていたらしい。両手を握りしめて、子どもみたいな顔で木槌を見ている。
「これなら、ほぐせる」
「紐が作れる」
「袋も。荒いのなら、すぐにでも」
言葉が、少しずつ広がった。
水が戻った。水車が回った。麻がほぐれる。紐が作れる。荷袋が作れる。
若い男が、ほぐれた麻を両手で持ち上げた。
「これなら、また袋にできる」
年配の女が何度もうなずいた。
「袋があれば、塩も野菜も運べる。売りに行ける」
食べ物そのものではない。けれど、村人たちは麻束を見ていた。乾いた茎の山ではなく、これから外へ持っていけるものとして。
ミオは透明板の表示を見た。青い線が、水車から繊維処理台へ伸びている。まだ低出力で、ところどころ黄色い。でも、動いている。
[LOCAL POWER NODE]
――――――――――
ノルテ水車:低出力起動
繊維処理台:試験稼働
麻繊維処理:可能
連続運転:要監視
街道標識塔:応答あり
――――――――――
「街道標識塔……?」
ミオは最後の行で止まった。
白狐も表示を見ている。
「水車の次は道ですか」
「まだ何もしてない」
「もう応答しています」
「なんで?」
「荷を運ぶには、道が要りますから」
白狐はあたりまえのように言った。
ミオは水車を見た。麻叩き機を見る。麻束を抱いて笑い始めた村人たちを見る。
何かがひとつ戻ると、次に必要なものが見える。
水。仕事。荷物。道。
村は、ひとつずつつながっていく。
ノルテ村の年配の女が、ミオの前に来た。
深く頭を下げる。
「ありがとう。水だけじゃない。仕事まで、戻してくれた」
「まだ低出力です。ずっと動かすには、見張りながら少しずつです」
「それでもいい。止まってるより、ずっといい」
ミオは何か言おうとして、うまく言えなかった。
代わりに、足元の白狐が胸を張った。
「当然です。ミオは、時々やりすぎますが、役には立ちます」
「白狐さん」
「褒めています」
ノルテ村の子どもが笑った。
ミオも少し笑った。
その時、水車が一回、強くきしんだ。
ぎ、と大きな音がして、木槌の動きが少し乱れる。
「止める!」
ミオはすぐに透明板へ触れた。水車の流量を落とす。木槌がゆっくり止まる。水車は回ったままだが、さっきより遅い。
[SAFETY NOTICE]
――――――――――
軸回転:不安定
連続運転:不可
推奨:短時間運用/手動点検
――――――――――
「やっぱり、ずっとは無理みたい。今日は少しずつ」
「分かった。壊すよりいい」
「油もいるかも。軸のところ」
「油なら、少しある。古いが」
「見せてください。あと、木槌の下に手を入れないでください。絶対に」
「分かった。みんな、聞いたね。手を入れるんじゃないよ!」
年配の女が大きな声で言うと、村人たちがうなずいた。
ミオは、ほっと息を吐いた。
完全ではない。
でも、動いた。
それだけで、ノルテ村の広場は、さっきと違って見えた。乾いた麻束の山が、ただの枯れた材料ではなくなっている。これから紐になり、粗布になり、荷袋になるものに見える。
白狐がミオの足元に寄ってきた。
「あなたの“水車だけ”は、水車だけで終わりませんでした」
「うん」
「ただし、今回は悪くありません」
「ほんと?」
「半分より少し多めに、ほんとうです」
ミオは透明板を見た。
最後の行が、まだ残っている。
[LOCAL POWER NODE]
――――――――――
ノルテ水車:低出力起動
繊維処理台:試験稼働
街道標識塔:応答あり
――――――――――
街道標識塔。
道までつながっている。
ミオはノルテ村の外へ続く道を見た。草に埋もれ、ぬかるみ、荷車が通るには頼りない道。そこに、透明板越しのうすい線が伸びている。
ノルテ村の水車が回った。
麻がほぐれた。
次は、それを運ぶ道が必要になる。
白狐がため息をついた。
「明日は、道ですね」
「まだ何も言ってない」
「顔に出ています」
「……出てる?」
「とても」
ミオは自分の頬をさわった。
泥がついていた。
白狐が見上げる。
「まず、顔を洗うべきです」
「うん」
その横で、水車はぎこちなく回り続けていた。
どん、と木槌が一度だけ試しに落ちる。
村人たちが、それを見て笑った。
ノルテ村に、止まっていた仕事の音が戻っていた。
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