第13話 街道のはしっこに、荷袋が並んだ
ノルテ村の水車は、朝から低い音を立てていた。
ごとり、どん。ごとり、どん。古い木の軸が少し鳴り、そのたびに麻叩き機の木槌が落ちる。連続で動かすと危ないので、村人たちは少し動かしては止め、軸に油を差し、また少し動かした。
ミオは水車の横で透明板を見ていた。
[LOCAL POWER NODE]
――――――――――
ノルテ水車:低出力稼働
繊維処理台:短時間運用
軸回転:不安定
推奨:休止を挟む運用
――――――――――
「うん。これなら、今日はまだ大丈夫そう」
「“今日は”という言葉が入りましたね」
「そこは正直に言わないと」
「よろしい。昨日よりは、少し慎重です」
白狐は水車から離れた石の上に座っていた。泥がはねるのを避けるためだ。本人は監督しているつもりらしく、しっぽをきれいに前足へ巻きつけている。
ノルテ村の広場では、ほぐれた麻が少しずつ山になっていた。
女たちはそれを細く裂き、紐により、粗い糸にまとめていく。まだ立派な布には遠い。けれど、昨日まで石みたいに固かった麻束が、今日は手の中でほどけている。子どもたちは、短い紐をもらって結び目の練習をしていた。
若い男が、試しに縫った荷袋を持ってきた。
形は少しゆがんでいる。口のところの縫い目も粗い。けれど底は厚く、手で引いてもすぐには破れない。
「聖女さま、これを見てくれ」
「聖女じゃなくて、ミオでいいです」
「じゃあ、ミオさま」
「さまも、できれば小さめで……」
「ミオさま、これなら使えるか?」
ミオは荷袋を受け取った。
麻の感触が手にざらっと触れる。重いものを入れるにはまだ不安があるが、乾かした野菜や塩の袋ならいけそうだった。透明板をかざすと、簡単な強度表示が浮かぶ。
[FIBER GOODS CHECK]
――――――――――
粗麻袋:試作品
耐荷重:低〜中
用途:乾燥品/軽量品
改善点:口紐/底縫い
――――――――――
「乾いた野菜とか、軽いものなら大丈夫そう。底をもう一回縫うと、もっとよくなると思います」
「底か」
「あと、口をしばる紐があると便利です」
「紐なら作れる」
男の顔が少し明るくなった。
その横で、年配の女が腕を組む。
「袋が作れるなら、リュミナ村の保存庫にある塩や野菜を入れて運べるね。うちからも紐を出せる。村同士で少しずつ分けられる」
「うん。すごくいいと思う」
ミオがそう言うと、広場の空気がふわっと上がった。
ただ、その直後だった。
リュミナ村から来ていた男たちが、荷車のそばで困った顔をしていた。荷車には試しに麻袋がいくつか積まれている。中身はまだ軽い。乾いた草と、少しの麻紐だけだ。
なのに、車輪が動いていなかった。
「道が、だめだな」
「昨日は歩きだったから通れたが、荷車だと沈む」
「これじゃ、雨が降ったら終わりだ」
ミオは村の外へ出た。
ノルテ村とリュミナ村をつなぐ道は、昨日歩いた時より頼りなく見えた。人が通るだけならなんとかなる。けれど荷車が通ると、ぬかるんだ土が車輪をつかむ。石が抜けた場所も多い。草の根がからまり、道の端がどこか分からないところもあった。
荷車を押してみる。
少し進む。
すぐ、右の車輪が沈んだ。
「あっ」
「ほらな」
男たちが押す。荷車はぎしぎし鳴る。少し動いたと思ったら、また止まる。麻袋は軽いのに、車輪だけが土に取られていた。
白狐が道の端を見た。
「水は戻りました。仕事も少し戻りました。ですが、運ぶ道がこの状態では、村から出られません」
「うん。水車の表示に出てた街道標識塔って、これかな」
ミオは透明板を取り出し、道の先へかざした。
最初は、草と泥しか見えなかった。
けれど表示範囲を広げると、道の横に立つ苔むした石柱が光った。高さはミオの腰くらい。村人には、古い道しるべにしか見えない。文字はほとんど読めず、上の角も欠けている。
透明板越しには、そこに細い線が集まっていた。
[ROAD MARKER NODE]
――――――――――
街道標識塔:休眠
路面安定:低下
排水溝:閉塞
荷車通行:困難
復帰方式:部分清掃/低出力補助
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「やっぱりこれだ」
「道しるべですか?」
「村人にはそう見えると思う。でも、たぶん道の状態を見るためのノード。排水と路面を少しだけ助けてる」
「少しだけ、ですか」
「ほんとに少しだけにする」
ミオはすぐに言った。
白狐がじっと見る。
「先に言います。道を王都まで直してはいけません」
「そこまではしないよ」
「前科があります」
「村の外へ水が行ったのは、水系の仕様です」
「言い方だけは技術者ですね」
ミオはちょっと黙った。
ノルテ村の男たちが、石柱の周りの草を刈る。リュミナ村の男たちは道の端を掘り、水の逃げ道を探す。しばらくすると、土に埋もれた浅い溝が出てきた。昔は道の横に雨水を流す溝があったらしい。
でも、泥と根でほとんど詰まっていた。
「ここも物理かあ」
「まず物理を疑うのはよいことです」
「白狐さん、だんだん先生みたい」
「もともと先生役です」
「そうだったんだ」
「今、失礼な顔をしました」
村人たちが排水溝を掘り返す。泥が出る。根が出る。割れた石片も出る。昨日の石樋ほど臭くはないが、手間はかかる。ミオは透明板で詰まりの場所を見ながら、右、左、そこは浅く、と声をかけた。
道は少しずつ形を取り戻していく。
けれど、それだけでは足りなかった。
荷車をもう一度押すと、前よりは進んだ。だが、坂の途中でやはり沈む。車輪の下の土がやわらかすぎる。
[ROAD MARKER NODE]
――――――――――
排水溝:一部復帰
路面保持:不足
補助ライン:休眠
低出力起動:可能
――――――――――
補助ライン。
ミオは石柱の根元を見る。
透明板には、道の下を走る細い線が見えていた。石でも木でもない。古い構造材の線。たぶん、路面の水を逃がし、土の崩れを抑えるためのものだ。
「ここを少しだけ起こす」
「少しだけ、ですね」
「リュミナ村とノルテ村の間だけ。ほかは触らない」
「声に出すのはよいことです」
「昨日も言ってた」
「昨日は、やや信用できました。今日は、まだ判定中です」
ミオは透明板に指を置いた。
範囲指定。
リュミナ—ノルテ間。
出力は低。
排水補助だけ。
路面の硬化は最低限。
巡礼路ラインには触らない。
何度も確認した。
[ROAD PATCH]
――――――――――
対象:リュミナ—ノルテ間
補助:排水/路面保持
出力:低
巡礼路ライン:接続禁止
実行:待機
――――――――――
「これでいい?」
「巡礼路ラインが接続禁止になっています」
「うん」
「物流ノードには?」
「触らない」
「よろしい」
白狐がうなずいた。
ミオは実行に触れた。
石柱の下で、こつん、と小さな音がした。
大きな魔法の光は出ない。空が鳴るわけでもない。ただ、道の端の排水溝に残っていた水が、すっと低い方へ流れた。土の表面に浮いていたぬめりが薄くなり、車輪の跡にたまっていた水が消えていく。
村人たちは、最初それに気づかなかった。
けれど荷車の車輪のまわりから泥が引き、土の色が変わると、男の一人が声を上げた。
「おい。車輪の下、固くなってないか」
「押してみろ」
荷車に手がかかる。
押す。
車輪が回った。
ぎし、と鳴ったが、沈まない。
もう一歩。
もう一歩。
荷車は、坂を越えた。
その瞬間、ノルテ村の子どもたちが声を上げた。大人たちも顔を見合わせる。リュミナ村の男が、思わず荷車の縁を叩いた。
「通った」
「通ったな」
「これなら、袋を運べる」
ミオは透明板を見た。
[ROAD NETWORK]
――――――――――
リュミナ—ノルテ間:暫定復帰
排水補助:低出力
荷車通行:軽量時可能
巡礼路ライン:断続
物流ノード:休眠
――――――――――
「軽量時可能……重いものはまだだめか」
「十分です。最初から欲張ると、また何か起きます」
「うん。今日は軽い荷物だけ」
白狐は満足そうにうなずいた。
そのあと、二つの村の間で、初めて小さな荷車が動いた。
ノルテ村からは、麻袋、短い紐、ほぐした麻の束が少し。リュミナ村からは、保存庫の塩、乾かした野菜、古い木箱のふた、畑で余った根菜が少し。
大きな取引ではない。
けれど、荷車の上には、ちゃんと「交換するもの」があった。
リュミナ村の女が、麻袋を手に取る。
「これ、保存庫の野菜を入れるのにいいね」
「口紐は、もう少し長くした方がいいかも」
「うちで縫い直せるよ」
「なら、次は紐を多く持ってくる」
ノルテ村の若い男が、リュミナ村の塩を小さな袋に入れて見ていた。
「袋に入ると、塩がちゃんと品物に見えるな」
「そのままだと、ただの壺だからね」
「壺も大事だけど、運びにくい」
「袋なら、小分けできる」
ミオはそのやり取りを見ていた。
水車が回った時とは、また違う音がしている。人が声をかけ、袋を渡し、紐を測り、荷車の上で物を並べる音。村が少し外へ動き出す音だった。
白狐が隣に座る。
「嬉しそうですね」
「うん。袋って、地味だけどすごいね」
「物をまとめ、運び、分けるためのものです。地味ですが、村には必要です」
「白狐さん、たまにすごくちゃんとしてる」
「いつもです」
「草の実つけてたけど」
「あれは道の問題です」
ミオは笑った。
その時、透明板の端にまた表示が出た。
[ROAD NETWORK]
――――――――――
リュミナ—ノルテ間:暫定復帰
巡礼路ライン:断続
物流ノード:休眠
外部通行予測:微弱
――――――――――
外部通行予測。
ミオは目を細めた。
「白狐さん」
「はい」
「外部通行予測って出てる」
「道が通れば、人も通ります」
「だよね」
「荷車も、旅人も、商人も。よいものだけが通るとは限りません」
ミオは荷車を見た。
麻袋が並んでいる。乾燥野菜が入っている。塩が小分けされている。村人たちはまだ楽しそうに話している。
その景色は、間違いなくいいものだった。
でも、道は村と村だけをつなぐわけではない。
もっと外へもつながっている。
白狐が石柱を見上げた。
「今日は、ここまでです」
「うん。物流ノードは触らない」
「よろしい」
「でも、いつか触ることになりそう」
「でしょうね」
白狐はあっさり言った。
ミオは困ったように笑った。
夕方、リュミナ村へ戻る荷車の上には、麻袋が五つ並んでいた。
全部、空袋だ。けれど村人たちは、それを大事そうに積んでいた。空の袋は、これから何かを入れられる袋だった。乾いた野菜でも、塩でも、薬草でもいい。口をしばれば、村の外へ持っていける。
ミオは荷車の横を歩きながら、透明板を布の中でそっと握った。
表示はもう閉じている。
それでも、最後に見えた文字が頭に残っていた。
物流ノード:休眠。
眠っているなら、いつか起きる。
ミオは空を見上げた。木々のすきまから、夕方の薄い光が落ちている。
足元で白狐が言った。
「今、余計なことを考えていますね」
「考えてない」
「顔に出ています」
「今日、それ何回目?」
「必要な回数です」
ミオは頬を押さえた。
白狐は、少しだけ得意そうだった。
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