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8.吉と大凶

 どうしたことだろう。

 ただ、ちゃんと三食ご飯を食べて、お風呂が入れて、寝れて、そしてオタクライフが過ごせれば、もうそれでよかった。

 そんな俺だけの空間に、未来人の女性と姉貴分の女性がやって来て、とてもだらしない寝姿を晒しているのだった。


 だらしないのはカナ姉だけか。シェミーはとても寝相がいい。


 はあ。いったいどうなるんだ、俺の生活。


 しかも、片方からは求愛されているときた。


 求められるのは嬉しくないわけでもないのだが、俺にとっては、失望されるというのが一番怖いのだ。


 ずっと、社会から弾かれ続けてきた。

 また、弾かれるのではないだろうか、なんて想像してしまうのだ。


 俺の親とカナ姉の親は交流がある。そして、俺とカナ姉も親しい間柄だと言っていいだろう。

 俺とカナ姉がくっつくのは、きっと、お互いの親も賛同してくれるだろう。


 そこまでならべつに構わない。


 でも、俺とカナ姉がくっついたとして、おそらく長続きはしない。

 どこかのタイミングで、きっと、また独り身に戻ってしまう。


 すると、どうだろう。

 俺もカナ姉も以前のような関係ではいられなくなってしまう。

 俺の親とカナ姉の親も、お互いに触れづらくなってしまうだろう。


 俺はカナ姉を幸せにしてやれる自信はない。


 この世のなか、男なんてたくさんいる。

 俺よりいい男なんて、わんさかいるだろう。


 もっといい男を探してくれ。俺じゃ、カナ姉の期待には応えられない。

 好きだとか嫌いだとか、なんなんだよ。なんで、他人のそんな感情に振り回され続けなきゃならないのだろう。


 めんどうくさい。逃げてしまおうか。

 逃げたところで、問題は解決しないのだけれども。


 人間は集団で生活する生き物だ。それなのに、人間は人間同士で、貶し合い、陥れ合い、攻撃し合い、傷つけ合い、争いを止めることはない。


 クソめんどうくさい生き物だ。


 自分が選ぶ側の立場の人間なのだと驕り高ぶっているヤツがいる。

 自分が極めて崇高な立場の人間なのだと盲目的なヤツがいる。

 相手は自分より劣っているのだとラベルづけをしたいヤツがいる。


「こんなヤツがなんで」という感情は、そういう自分と世間の認識のズレから生じるものなのだろうな。

 そして、憎悪が生まれ、利己的な攻撃が発生してしまう。


 人間は失敗から学ぶ生き物だが、実は失敗から学ばない生き物でもある。

 自分にとって都合のいい内容は信じるし、自分にとって都合の悪い内容は信じない。

 攻撃的な言葉。相手を追い詰めるような言葉。貶めるための言葉。多種多様な言葉を用いる。

 ときには印象を操作する。『意見』とか『表現の自由』とか『感想』とか『レビュー』とか『相手のことを考えているだけ』とか好き勝手に自分と相手の印象を操作して、相手の気持ちを勝手に自分の空想の像につくり変える。


 相手がよく思っていなくても、自分のなかでは、相手がよく思っていないわけがないと勝手に決めつけるのは容易なのだ。


 そして、それを逆手に取って、「私はよくないと思っていたのに、あの人はああいうふうに勝手に決めつけていて」と印象を操作することもできる。実際は、お互いに「え、あなただれですか」なんて面識のない関係なのだとしても、容易にできるのだ。


 人間って、クソめんどうくさい。


 クソめんどうくさいのに、クソめんどうくさいの数々のレーザービームを浴びなければならないのだ。


 うどんを食べるかお蕎麦を食べるか。ラーメンは醤油派か味噌派か塩派か。

 どれでもおいしければそれでよしなんじゃないの。

 とか思いながら、チェーン店の牛丼セットをバクバク食べているだけで、俺は幸せになれるんだけどな。


 今度、広島焼きと牡蠣を食べるためだけに広島にでも行こうかな。


 お腹がぐうと鳴った。


「ん、おはよう」


 カナ姉が目覚めた。

 甘い声で「おはよう」だなんて言ってくるのは、違和感でしかなかった。


 そんなに俺と男女の関係になりたいの。


 カナ姉は俺とちがって顔がいいんだから、もっといい男と絶対にめぐり会える。

 一度、男選びに失敗したわけなのだから、もっと慎重になっていい。

 俺とじゃ豪遊生活はできないし、地味な生活を送り続けることになるし、イケメンとのウハウハライフは消滅する。

 お互いにとって、得のしない結果になるのは目に見えている。


 俺の友人にいい男はいただろうか。ちょっと考えたい。

 残念なところはあるけれど美人なのは保証する、なんて言って、説得できるか試してみるか。その前に、カナ姉にもそれでいいか、訊く必要はあるが。


「今日さ、知り合いに会いに行く約束してるんだよ」


「まさか、女」


「いや、男」


「もう浮気したのかと思った」


 待て。なぜ、俺とカナ姉がすでにつき合っている前提の話なんだ。


「ついて行っちゃダメ?」


「どうしてついて行く必要がある」


「彼女を自慢したいかなと思って」


「まだ酔ってるの」


「アルコールはもう抜けてると思うけど」


「ついてこないでくれよ」


「零我ちゃんはお姉ちゃんのことが好きで、お姉ちゃんも零我ちゃんのことが好きだから、これはもうお姉ちゃんを彼女なのだと自慢するしかないのでは」


「俺はカナ姉を振るつもりだぞ」


「振られていないなら問題ない。美人な彼女だと自慢するが吉」


「大凶だろ」


「それとも、一線越えて、そういうふしだらな関係になっとく?」


「どういう関係だよ」


「お互いの身体を求め合う関係」


「もう、無視していいか?」


 まわりが見えなくなるというのは、末恐ろしいことだ。


 愛にすがりたくなる気持ちはわからなくもないが、俺にそれを受け止めるだけの器量はない。


 昔から身近にいる存在が、何かの弾みで道を誤ってしまい、弟分である存在に恋をしてしまい、ガサツで乱暴だったのに急にしおらしい態度を取る。


 それは、弟分である俺の視点からしてみたら、とてもおかしい話だった。


 今さら、そんな関係になる間柄でもないだろうに。

 白馬の王子様が現れるのを夢見ているクセに、俺みたいなヤツで妥協してどうする。俺は妥協するレベルよりも、さらに下のレベルの存在だぞ。


 男勝りなところはあるけれど、俺はカナ姉が実は乙女な一面があると知っていた。


 だからこそ、キツい。


 弟分に恋慕を抱いて横道に逸れてしまう、堕落した姉貴分の姿を見るのは、なんだか悔しい気持ちでいっぱいだった。


「どう。お姉ちゃんをお嫁さんにしてくれますか」


「ああ、カナ姉も女の子なんだね」


「ん。三十近いし、もうオバサンだよ」


「二十七か二十八?」


「二十七」


「まだ若いでしょ」


「おっと、お姉ちゃんを口説いてますか」


「べつに」


「ぶっきらぼうだね」


 俺の頬をツンツンと突っついてきた。


「まあ、好きではある」


「え」


 カナ姉の動きが止まった。


 顔、赤くすんなよ。


「そういう意味じゃねえぞ」


「どういう意味。詳しく」


「姉貴分として、普通に慕っているのが俺。そういう好きではない」


「でも、好きなんだから、いっしょにアツアツホヤホヤになればいいじゃん」


「姉と弟で普通、そんな関係にはならないんだよ」


「でも、姉と弟じゃないよ。血、つながってないし」


「まあ、姉と弟ではないけどさあ」


「じゃあ、問題ないや。お姉ちゃんを貰っちゃえ」


「バカ言ってんじゃねえ」


 呆れて、ため息が出てきてしまった。


「人目を憚らずにいちゃいちゃできるよ」


「だれがするか。そういうの、バカップルって言うんだぜ」


「バカップル。いい言葉だねえ」


「おい」


「黒板に相合傘書いとく?」


「がきんちょかよ」


「お互いが激しく愛を叫び、欲にまみれた大人の行為でお互いを異性と認識するのであった」


 どんなナレーションだよ。

 それ、他の人がいる前で絶対に言わないでよね。

 というか、今だってシェミーがそこにいるんだからさ。


「おお、お姉ちゃんも女の子の身体してるんだなあ」


「待て。それは俺か?」


「これはつまみ食いするしかありませんな」


「いいかげんにしてくれ。溜まってるんだったら、カラオケとかボウリングとかにでもつき合おうか?」


「つき合ってくれるの?」


「恋愛的な意味じゃねえぞ」


「クラブでもバーでも大人なホテルでも、なんでもオーケーだよ」


「最後のはおかしいだろ」


 なぜ、そっち方面に持っていこうとする。


「俺の心は揺らがないよ」


「本当に?」


「本当に」


「既成事実をつくっても?」


「不同意はアウトだぞ」


「ちぇっ」


 何か企んでいたんかい。


 ダメだ、この人。俺よりもダメ人間に成り下がろうとしてしまっている。


「ん、んんんんんん」


 シェミーが起きて、伸びをした。


 ああ、ごめん。うるさかったよな。

 欲まみれのモンスターになってしまったカナ姉を追い出すので、それで許してほしい。明日からは安眠生活だ。


「おはようございます。零我」


「ああ、おはよう」


 あれ。てか、それ俺のシャツじゃないか、シェミー。

 彼シャツみたいになっている。なんかちょっと恥ずかしい。


 冷静に考えてみると、マジでなんだこれ。


 オタクグッズいっぱいの部屋に、オタクな俺と俺のシャツを着た未来人の女性と俺に異性アピールをして求愛してくる姉貴分。


 ここ。ファンタジーか何かなの。

 たぶん、夢なんだろうな。


 でも、夢はいつか終わりが来るものなので。期待してはいけない。

 夢はあくまで夢でしかない。現実は残酷なものだ。


 朝起きて、シャツを着て、ネクタイを締めて、通勤電車に揺られて、自分のデスクに着いて、パソコンをカタカタと響かせて、電話応対を行って、顧客のために駆け出して、タイムカードを切って退社して、またもや通勤電車に揺られて、くたびれ疲れてまた明日。

 現実はこれの繰り返しだ。生きるのに必死なので、女の子と甘々な生活を築いている余裕なんてないのだろう。


「どうしましたか」


「シェミー。いや、なんでもない」


「まだ眠いのかにゃ。昨日、濃密な夜を過ごしたもんね」


「勘違いされるからやめてくれ、カナ姉」


 朝食の支度をした。

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