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4.未来と停止した世界

 海岸にたどり着く。

 ここから見える街並みはあまり変わらない。


 だが、違和感はあった。


 心なしか寂れているような気がした。


 姫路は五十万もの人間が住んでいる大きな都市だ。

 交通の要衝にもなっていて、新幹線や在来線数路線と、私鉄も通る。

 神戸にも近いし、大阪だってそう遠くはない。

 いくらここが中心市街地ではないとしても、こんなに活気づいていないものなのだろうか。


 あそこにマンションが建っていたはずだが、姿が見えない。

 あそこにコンビニがあったはずだが、更地になってしまっている。


 はて。たった数十分か数時間足らずで、消えてしまったと言うのだろうか。


「私は――今から百年後の、二千百二十六年からやって来ました」


 何を言っているのだろうと思った。


 二千百二十六年。

 シェミーは、未来人だとでも言うのだろうか。

 とすると、あの赤い門は、タイムマシンか何かなのか?

 冗談はよしてくれ。


「それが本当だとするなら、俺はもう生きていないだろうな。この時代にはいない人間だ」


 シェミーの目からハイライトが消えた。


「助けてください」


 か細い声だった。

 助ける。何を。だれを。俺がシェミーを助けるのか。

 俺にシェミーを助けることができるかなんてわかりっこない。


「俺は、何をすればいい?」


 無力ではあるけれど、話を聞くことはできるから、まずは詳細を知ろう。


「私といっしょにいてください」


 俺の胸のうちがドキドキとした。


「それだけ?」


「はい」


 それくらいなら俺にもできる。


 しかし、おそらく、そう簡単なことではないのだろう。


 いっしょにいてください、の前にカッコ書きで何か条件のようなものがあると察した。

 ただ、いっしょにいてやればいいだけの話ではないのだとすぐさま理解していた。


「私はこの世界に囚われているのです」


 シェミーの瞳から涙が溢れた。


「この世界は今、時が止まっています」


「どうして?」


 俺の問いに、シェミーはブンブンと首を横に振った。

 シェミーにもわからないのか。


「あるとき、海を眺めていたら、海が割れ、一本道が現れました。そして、この一本道を進むと赤い門があったのです」


「それで、助けを求めて門を開けて、あの海岸にたどり着いたというわけか」


「ざっくりと言えばそうです」


「でも、悪いが俺にはどうにもできない。時間が停止して、じゃあどうにかしようと思ったって、俺は無力だ。俺じゃなくて、世界的に有名な科学者だとか、研究機関のオーナーだとか、そういう立場の人間だったら、多少は力になってやれたのかもしれないが」


「いいえ。私は久々にだれかと話せたのです。あなたでよかった」


「『あなたでよかった』なんて言われるような人間じゃないよ」


 俺はダメ人間なのだから。

 だれかに感謝されるような立場ではない。

 ダメ人間は、ダメ人間でしかない。

 何もできないのだ。何もかも、自分のせいでだれかに迷惑をかけてしまう。それが、俺だ。


 感謝されるのは悪い気はしない。


 だが、受け入れてはいけない。

 受け入れてしまったら、よりダメ人間になってしまうからだ。

 嬉しいとか悲しいとか、そういう感情は排除しなければ。俺はダメ人間を脱却するために、自分の気持ちを抑えて、社会に貢献するような人物にならなければ。


 なんて。思っても、できないのだ。


 だって、ダメ人間なのだから。


 ほら、すでに『ダメ人間』なのだと自分にとって都合のいい理由や言葉を探して、やってもいないのに自分にはできないのだと諦めてしまっている。ダメ人間であることを正当化しようとしてしまっている。

 感謝されような人間じゃ、ねえんだ。俺なんて。


「シェミー。俺でいいなら、いっしょにいてやるよ」


『いてやるよ』なんて、ずいぶんとえらそうなことを言ったものだ。


 でも、シェミーは気にしていないようだった。


 パアッ、と花が咲いたような笑みを浮かべて「はい」と元気よく返事するのだ。


 なんだ。他人を笑わせるのなんて、意外に簡単なんだな。


 俺は安堵していた。


 俺みたいな人間でもだれかの力になれたことが、まだダメ人間ではないのだと証明できたと思ったからなのだろう。べつに、ダメ人間であること自体を否定できたわけではないのに。


 しかし、こうもダメ人間、ダメ人間、ダメ人間と思い続けてしまっては、ダメ人間を脱却なんて夢のまた夢の話だ。少しくらいは前を向かなければ。


「で、どうしようか」


 ここは俺がいていい世界ではない。戻らなければならない。


 だが、シェミーには戻る必要性はないのだ。


 けれども、時間が停止してしまっている、という謎、悩みは解決しなければならない。

 シェミーのために、どうにかしてやりたい。


「あの」


「うん」


「いっしょにいてくれるんですよね?」


「ああ、いてやるよ。俺でよければね」


「じゃあ、その、零我の家に住まわせてもらえることって、できますか?」


「ん」


 それはつまり、共同生活するってことだろうか。


 彼氏でもない人間と二人きりで、あのアパートの一室で、共同生活?


 たしかに、俺はひ弱で草食系どころか無食で無職ではなくなったが元無職系の人間で、超絶ヘタレな人間ではあるが、だからと言っても、男と女で同じ屋根の下で寝食をともにするのは、倫理観の観点から引っかかってしまうのではないだろうか。

 シェミーを襲う気なんて断固としてないと否定させてもらうが、だけれども、シェミーは少しくらい俺を警戒してくれてもいいような気がする。


 どうして、こんなに俺を警戒しないのだろうか。


 警戒するべきだぜ。性善説を信じてみる心構えは立派だが、人間の腹のなかなんて、ガバッと開いてしまえば、だれしも愚痴や不満、嘘、そういったものでまみれているものなのさ。


 シェミーは知らないのだろう。


 俺は、かつて、下心ありありの男を見たことがある。

 女の子に対しては、一見すると優しく見えてしまう振る舞いをするのだ。まあ、実際は下心だけで近づいているわけなのだが。


 で、そいつは男に対しては「ああ、男? ああ、男ね。ケッ、男ね。ああ、はいはい。男はあっちで適当にやっとけよ、シッ、シッ」なんて態度を取っていたのだ。


 俺は、そいつに誤って恋に落ちてしまった女性を目の当たりにしたことがある。


 女性は「でも、女の子には優しいから」と思ったのかもしれない。


 その見通しは甘かった。


 女性には下心のために、優しく見えるよう振る舞うだけだ。


 じゃあ、その女性が年を重ねて若くなくなったとしよう。下心ありありで「若い女の子を食うぞ」なんて目的で女性に近づいてきた男は、今までどおり優しく接してくれるだろうか。


 じゃあ、二人の間に何かの間違いで子どもを授かってしまったとしよう。


 子どもの性別が女の子だった場合。そいつは女の子が大きくなったとき、もしかしたら、今まで女性に向けていた下心を、その女の子に向けてしまうかもしれないだろう。


 子どもの性別が男の子だった場合。そいつは男に対してはおざなりな態度を取る人間だ。男の子がどんなにひどい目に遭うのか、想像に難くない。


 そう。だから、『優しい』というのはその場しのぎの優しさの可能性もあるということなのだ。

 仮に優しさを評価項目にするのであれば、長い目で見て、その人間が本当に優しいのかどうかを評価するべきだし、相手によって優しさの度合いがどれくらい変わってしまうのかも評価の基準として見る必要があるのではないかと思う。


 だから、シェミーは俺を警戒するべきなんだ。


 以前、近所に住んでいた俺の姉的存在の幼馴染みは、それで心を病んでしまった。末路は、ひどく悲しいものだった。


「シェミー」


「はい」


「俺、アパートの一室を借りているんだけど、すごく狭いよ?」


「零我との距離が近くていいですね」


「それにものとかめっちゃ散乱していて汚いし」


「いっしょにお掃除しましょう」


「だから、いっしょに住むのは、オススメしないんだけど」


「じゃあ、オーケーなんですね。ダメとは言っていませんから」


 おかしい。シェミーに共同生活なんてやめる、と言わせるための俺の発言を、まったく否定してくれない。

 裏があるのか、というくらいの好意だ。


「でも、俺、オタクだよ。小学生から見たらおじさんと言われてしまう年齢の人間が、女児向けアニメとか見ているんだよ」


「私もオタクですから、全然オーケーです。いっしょにオタ活しましょう」


 ドン引きされるような発言をしたのに、めちゃめちゃ受け入れてくれる。


 これが、多様性社会?


 嘘だ。「女児向けアニメを見ている」なんて言ったら、たいていの人間にはドン引きされてきたぞ。少なくとも、俺は。


 だから、いくら社会が『多様性社会』という単語を推していこうとしても、限度があるのだと知っていて、俺は許容されるような人間ではないのだと悟っていたというのに。


 マジかよ。


「男と女だよ。その、なんかいけない雰囲気になっちゃったりするかもしれないじゃん」


「零我は、いけない雰囲気になる人間ではないです」


 きっぱりとした発言だった。


 なぜ、断定できる。


「なるよ。俺だって、狼になるときはあるんだ」


 ヘタレだけど、見栄でそう言ってしまった。


「だいじょーぶ、です。それとも、私、嫌われていますか?」


「全然。むしろ、好きだけど」


 即答してしまった。


「よかった、です」


 シェミーは顔を赤くして、顔を隠すようにぷいとあっちの方向を見た。


 ごめん。めっちゃ、恥ずかしいことを言ったわ。


「とにかく、オーケーなんですよね。じゃあ、零我、行きましょう」


 シェミーが俺の手を掴む。


 コロコロと表情が変わる。

 今度は嬉しそうな表情だ。


「ああ」


 俺たちは引き返して、また一本道を歩いた。

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