3.異次元の門
一本道は延々と続く。
かなり歩いたはずだ。四国まで歩いたんじゃないのか、ってほどに。
この道は、いったいどこにつながっているのだろうか。
亀を助けて、海を潜り、お姫さまと出会い、宝を貰う、なんておとぎ話みたいな光景が目の前で繰り広げられそうになっているわけだが、現実的に考えるとそれはありえない話なのだ。
とすると、この道の先は理想郷というわけではないのだろう。
では、やはり、四国につながっているのだろう。
しかし、これもありえないことだと思った。
姫路から四国につながる橋があるとしたら、地図に表されているはずだ。
しかも、海のなかを突っ切る一本道。
旅行誌、バラエティー番組、インフルエンサーのブログやネット上にアップロードされた観光動画なんかで紹介されていてもおかしくはないはずだ。おそらく、『【絶景スポット百選】行ってみないと損!? 理想郷へ誘うアクアロード』なんてタイトルをつけられた動画が、探せば出てくるだろう。
だが、そんなものは知らない。きっと、存在しない。
なぜなら、今、俺たちが歩いている道は、本当に幻でしかないからだ。
そもそも、海が割れて通れるようになるなんて道として不便だし、こんなに不自然に海が割れることなんてありえないのだ。
本州から四国へ渡るなら、明石海峡大橋とか、瀬戸大橋とか、しまなみ海道とか、他にも橋や道があるだろう。
舗装道路も敷かれていなくて、しかも自動車は絶対に入れないくらい狭い道で、本州から四国へ行こうと思う人間は多くはないだろう。
というか、この道、安全なのだろうか。いきなり、海がもとどおりになってしまって、溺れてしまうなんて展開はごめんだぜ。
「なあ、シェミー。どこへ向かっているんだ」
「もう少しです」
どこへ向かうのか、という問いに、もう少し、という返答は合っていないだろう。
もう少し。もう少し、ね。
以前、暇だったので山手線が通る区間を徒歩で制覇してやろうと思ったことがあった。
東京駅からスタートして、神田、秋葉原、御徒町、上野、と山手線の内回りと同じように駅を通っていこうとした。
俺はどうにも忍耐力がダメダメな人間らしい。
池袋駅でリタイアした。
山手線は現在、三十一駅あるわけだが、神田、秋葉原、御徒町、上野、鶯谷、日暮里、西日暮里、田端、駒込、巣鴨、大塚、池袋、なので十二駅目でリタイアしたわけである。半分すら達していない地点で限界だと判断してしまったのだ。
もう少し、がどのくらいなのか俺にはわからないが、早めに到着しないと、俺のなかに「リタイアしよう」という気持ちが芽生えてしまうだろう。
ああ、なんだろう。俺が無職になった理由に説得力が生じてきてしまう。
いやいや。でも、今は無職じゃないんだから。
あのときとちがって、歩みは止めない。
「着きましたよ」
シェミーがこっちを振り向いて、そう言った。心なしか嬉しそうな顔をしている。
「着いた、って。ここ?」
「はい」
シェミーは微笑みを浮かべていた。
俺は困惑していた。
赤い門があった。俺より少し大きいくらいの、そんなに大きくはない、門だった。東京の浅草にある、雷門くらい大きくはない。
なぜ、こんなところに門があるのか。
歴史的な建造物とか、そういうやつなのだろうか。
「これが、こちらの世界と私が生きてきた世界をつなぐ門です」
困惑しすぎていて、何も返せなかった。
この門をくぐると、べつの世界に行ける、のか。
ジョークだと思っていたが、どうやら、事実だったらしい。
シェミーは本当にこの世界の人間なんかじゃないんだ。
異国の人間とか、そういうわけでもない。
俺にとって、幻の存在なんだ。
「驚かないでくださいね」
「もう、驚いているよ」
幻をこの目で見て、幻が現実に溶け込んでいると知って、驚くなと言うほうが無理がある。
この門をくぐると、俺は、どうなってしまうのだろう。
急に怖くなってきてしまった。
おとぎ話とホラーは紙一重なのだ。風刺が盛り込まれていたり、ビターなエンドが描かれていたりする。おとぎ話というのは、何もすべてハッピーエンドというわけではない。
俺みたいなダメ人間、人間として出来損ないと言っても過言ではないレベルのクズ人間。そんな人間に、ハッピーエンドが存在しているわけもなく。俺は、きっと、地獄みたいな人生の終わりが待っているのだろうと思っていた。
だからだ。俺が怖くなってしまっているのは。
ここは、べつの世界への出入口なんかではなくて、三途の川だとしたら。
ここを抜けてしまったら、もう現世には戻ってこれないとしたら。
シェミーは、三途の川へ招くために現れた幻だとしたら。
地獄の天使的な存在だとしたら。
そう考えると、足が竦んでしまっていた。
三途の川。いや、ここは海なので、三途の川ではないのだが、とは言っても、俺にはもうそれに近しいものなのではないかと疑ってしまっている。
たしかに、俺はどうしようもない人間だが、とは言っても、まだ人生を終わらせるには早いだろう。
いくら俺がどうしようもない人間なのだとしても、せめて、人生の最後を迎えるまでに親や友人に感謝を伝えられるような、マシな終わり方がよかった。
だから、まだ生きていたい。
「シェミー」
「なんでしょう」
「俺はまだ、死にたくない」
そう言うと、シェミーがぽかんとした顔をした。
そして、すぐに微笑みを浮かべた。
「私はあなたを処刑しに来たわけではありませんよ。というか、ひどくないですか」
今度はシェミーの頬がぷくっと膨れた。
「いやあ、なんか、あまりにも神秘的で。神隠し的なやつに遭うんじゃないかと思ってさ。ほら、シェミーってめっちゃ美人さんだし。天使的な存在なのかな、って」
口説いているわけではなく、お世辞でもなく、素でそんなことを言ってしまう俺。
「私が、天使ですか」
「うん」
「どうでしょう」
否定はしなかった。
肯定もしていないけれども。
「天使だったら、俺は幸せ者だな」
「え」
「人生、天使に会える経験なんて、そうないだろう。言ってしまえば、空想上の存在なのだろうし。そんな存在と会えるのだから、幸せ者だ」
「そういう意味ですか」
「うん」
シェミーは俺の頬を軽くつねった。
痛、くはない。が、なぜ頬をつねってきたのだろう。
何か、失礼な発言をしてしまったのだろうか。
「あの、どうして俺は頬をつねられたのだろう」
「なんとなく、です」
「なんとなく、か」
なんとなくで頬をつねられたのか。
釈然としない気持ちだった。
「それより、いっしょに門を開きましょう」
「それより、で済まないような」
べつに痛くはないのだが、理由がなきゃ、頬なんてつねらないものだろう。
とすると、俺が何かしてしまったから頬をつねられてしまったわけで。
「それより、で済みます」
「いや、でも。何かしてしまったのなら、申し訳ないから」
「それより、で済む話なんです」
「ああ、うん。わかったよ」
何か圧のようなものを感じたので、納得することにした。
「で、どうやって開ければいいのかな。普通に押せば開く?」
「はい。門に手を当ててみてください」
「わかった」
ペタッ、と赤い門に手を当てた。
すると、シェミーの手が俺の手の上に乗る。
温もりを感じる。
下劣なことを想像してしまった。
シェミーの手ってやわらかいなあとか、シェミーの手って俺の手より小さいなあとか、俺の頭のなかはずいぶんとやかましかった。
こんな想像をしてしまうのは、俺が下卑た存在だからだ。
これは比喩的な意味ではあるが、やはり、俺とシェミーでは住む世界がちがうんだ。
汚い俺と、きれいなシェミー。絶対に交わってはいけないのだろう。交わってしまったら、俺がシェミーを汚してしまうから。
だから、今日の出来事は帰ったらすぐに忘れてしまおう。
「いきますね」
「ああ」
俺たちは、門をゆっくりと押し開いた。
開いても、見えるのは海と一本道だけだ。景色は何も変わらない。
「本当に、べつの世界なのか」
「ええ」
シェミーはぴょんと跳んで、門をくぐった。
そして、俺に手招きをする。
俺は躊躇してしまったが、でも、ここまで来て引き返すわけにもいかないから、目をつぶって、門をくぐった。
「ようこそ」
シェミーにそう言われたが、べつの世界に来た実感はない。
この門のあちら側とこちら側に特にちがいがないからだろう。
空も海も、同じ。何かがちがうわけではない。
俺は俺だし、シェミーはシェミーだ。何も変わっていない。
「何も変わらないな」
「そうですね」
「ここは、日本だろう?」
「ええ、日本です。でも、零我。あなたが知っている日本とは少しちがうかもしれません」
シェミーはそう言って、一本道を進んでいく。
「待ってくれ」
俺も一本道を進む。
何も変わらない景色をただひたすらに進む。
やがて、陸が見えてきた。この陸も、どこかで見たことがある。
さっき、俺たちがいた海岸だ。
「どうなっているんだ」
声が漏れてしまった。
引き返したわけではない。だと言うのに、そこに、姫路の街並みが広がっている。
なんだ。何が起きている。
知力の欠片もない人間ではあるが、それでも思考してみる。
まったく似ている海岸が向こう側に広がっていただけ、とか。だとして、ここはどこだよ。どの辺りだ。四国の香川のどこか、か。
ダメだ。わからない。脳が追いつけていない。
思考することを放棄した。
「これが私が知っていて、あなたが知らない世界です」
シェミーの言葉は俺の耳には入らなかった。




