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2.姫の海道

 プログラミングの勉強は続く。


 アドレスにポインタ。バッファって何。アジャイルにスパイラルにウォーターフォール。開発環境に開発言語って、何者。


 ループってなんだろう。タイムループとかそういう話ではないのはわかる。


 パソコンカタカタ動かして、これ、どうやって実際の機械とかに導入するのだろう。


 おかしい。実行結果がどうしてそうなった。


「ダメだ」


 弱音を吐いた。


 どうにも、俺には向いていないらしい。


 というか、俺って社会的に生きるのが向いていない人間なのではないのだろうか。


 電話応対もできないだろうし、顧客のニーズに応えるのも無理だろう。顧客どころか、身近な人間のニーズに応えることすらできていない人間なのだから。

 コピーを取ることすらできない。ブラインドタッチは当然できない。パソコンの基本操作も無理。できるのはネットを徘徊することだけ。

 コンプライアンス、ダメだ。欠如している。ノンデリカシー人間で、言葉を選ぶなんてできない。


 求人情報を見ても、自分が何をしたいのか決められなかった。

 決められなかったというより、能力のない人間であるというのに、こういう仕事はイヤだ、こういう職場環境はイヤだ、と選り好みしてしまって、結果、応募せずに終わるなんてのがざらだった。


 いざ、とようやく決めて応募し、履歴書を作成するも、書類落ち。

 当然だ。なんの資格もない、職歴もない、なのに選り好みだけはひと一倍するようなヤツ。そんなのを雇ってくれる企業は、多くはないだろう。


 内々定が決まったあとに履歴書を作成するような企業にも応募したが、当然、一次面接で落ちる。


 そりゃ、そうだ。内向的でノンデリカシー。実力なんてない。


 そもそも、ノンデリカシーというのは、自分は意識していなくても相手からするととても失礼な発言をしているように聞こえるから、よくないとされているわけで。


 たしかに、自分には悪意はない、としても、その発言をきっかけに関係性に亀裂が生じてしまったり、信頼を失ってしまったりする可能性が高い。

 俺自身は「なぜ、そんな怒るのだろう」なんてむしろ不満を募らせてしまう場合も多いのだが、客観的に見れば、失礼な発言をしたり無礼な態度を取ったりした『俺』という人間が悪いのは明白なため、俺が不満を募らせるのは他人から見れば逆ギレと捉えられるかもしれないのだ。


 自覚しない、というか、自覚できないから、反省できない。改善できない。

 そんな人間を雇いたいと思うだろうか。俺が経営者側だったら、きっと、首を横に振るだろう。

 注意を受けても、注意された理由を理解できない人間に仕事を割り振るなんて危険すぎる。おそらく、上司を悩ませてしまうだろう。


 なら、俺は社会から淘汰されていくだけなのかもしれないな。


 けれども、生きるためには、働いて生活費を稼がなければならない。

 親はいつまでもいるわけじゃない。親はいつまでも子を守ってくれるわけじゃない。


 いずれ訪れる別れ。きっと、俺は号泣することだろう。


 しかし、号泣して終わりではない。


 その後の生活はどうする。

 葬儀は。墓は。遺産相続だとか、親族への挨拶だとかは?

 今まで、親がすべてやってくれたことを、俺はすべてできるのか?


 だから、俺は自活しなければならないとは思っていた。


『思っていただけ』だった。


 末路は、無職。

 お金なし。職なし。彼女なし。

 女児向けアニメを好んで見ている。ネットサーフィンも好きだ。

 それで得られるものは何もない。

 才能は当然ない。


 こんな俺みたいな人間を心の底から好いてくれる人間など、いない。


 そう思って、さらに引きこもりを極めてしまったわけなのだが。


 なぜだろう。気の迷いで就活サイトで適当に出てきた企業を応募したら、選考をするすると通り、内々定をいただき、気がついたらシステムエンジニアになっていた。

 まあ、まだ実務には就いていないが。


 だが、自分の現状を見つめ直すと、やっていける気がしない。

 ほら、すでにプログラミングの勉強で詰まっているわけだし。


 試しに、ネットに転がっている職業の適性を知ろう的なサイトで自分がどういう職業に向いているのか知ろうとしたけど、全項目にゼロがついてしまって、どの職業にも向いていないということが証明されてしまった。

 向いていないというか、「ああ、あなたは働く以前の問題ですね」と言われているのではないのかと思った。


「はあ」


 ため息。

 気が滅入っている。気分転換するか。


 外に出てみた。


 空が曇っている。少ししたら、雨が降るだろうか。

 ずぶ濡れになるのは勘弁だが、傘を取りに戻るのもめんどうだ。

 そのまま行こう。


 海岸に向けて、歩き出す。


 そういえば、シェミーが「また、お会いしましょう」、と言っていたが、今日もいるのだろうか。


 俺みたいなダメ人間がまた会っても、いいのだろうか。


 シェミーは、容姿端麗だった。俺とは正反対だ。

 それに、日本語を流暢に話していたのだから、努力をたくさんしたのだろう。対して、俺は努力を怠ってきた人間だ。


 劣等感。そのせいで、歩く速度が少し落ちた。


 でも、非日常な体験を欲していて、俺は結局、海岸にたどり着いてしまった。

 やはり、シェミーはそこにいた。


「やあ、シェミー」


 俺なりに気さくな笑みを浮かべてみた。

 笑えているかどうかは知らない。


「また、お会いできましたね」


「ああ」


 この前みたいに、暗い表情。

 シェミーは何か困っている。困っている理由は、おそらく、訊いてはいけないのだろう。なんとなく、シェミーの表情でわかってしまった。


「そうだ。あの、この前の『この世界の人間ではない』というのは、どういう意味だ」


「そのままの意味ですよ」


「はあ」


 ジョーク、ではないのか。


 時空を超越した存在とか、別次元の存在とか、そんな話なのだろうか。


 だとしても、タイムマシンや別次元へ移動できる扉は、現代の技術で創造するのは無謀だろう。世界中の優れた科学者たちを集めたとしても、不可能だ。


 それに、そんなものが完成していたとしたら、世間は騒いでいるはずだ。ニュースは、その話題で持ち切り。ネットでも、「【速報】ついに現代の技術がフィクションに追いつく!」なんて見出しの動画が、漁れば容易に出てきてしまうほどだろう。


 つまり、ジョークではないとしたら、比喩的な意味合いなのかもしれない。


 しかし、『そのままの意味』となると、それも否定できそうだ。


「俺もこの世界の人間ではないからさ」


「あなたもそうなんですか?」


「ああ。だって、俺って社会にまったく適合していない人間なんだ。非社会的なんだよな。だから、ある意味では、この世界の人間ではないとも言えるんだろうね」


 なんて自嘲するように言っていた。


「俺みたいな人間を社会は必要としていないんだよ。理想論だけ語って、現実で何もできないような人間は、どこからもつまみ出されたり弾かれたりするのさ。だから、きっと、『人間としての根本的な構造』が間違っていたんだろう。俺はこの世界にいていい人間ではないみたいだ」


 また自嘲。そうすれば、気持ちが楽になって心のモヤモヤをうまく操作できるような気がする。モヤモヤは残るので、ネガティブは加速してしまう。


「とても、おつらい過去があるのですね」


「いや。むしろ、ない」


 きっぱりと返していた。


「え」


「ないよ。まったくないわけではないけど」


「あるんじゃないですか」


「それは人間ならだれしも経験するものだから。ないと言ってしまっていいね。むしろ、苦労をしなかったから、こうなってしまった。自業自得なんだよ」


 座り込んで、砂浜をてくてくと移動していく小さなカニたちをぼうっと眺めた。


 何も考えずに、ただカニを見守るだけで生きられたら、どれだけ幸せだったか。


 いや。今の俺も、他人から見たら、幸せに見えるのだろう。贅沢していて、わがままを言っているようにしか見えないのかもしれない。

 不平不満をぶつくさと言えるような立場ではないのかもな。


「俺にとっての理想郷があればなあ」


 次々と本音が漏れ出てしまう。


「理想郷、ではないですが、まったくべつの世界に行きたいですか?」


「そうだな。できれば行ってみたいね」


 笑いながら返してやると、シェミーは海をぼうっと眺め始めた。

 俺も、海をぼうっと眺めてみる。

 瀬戸内海って、どんな魚がいるのだろうとか、淡路島以外にどんな島があったっけとか、そんなことを思いながら海風を一身に受ける。


 雨が降りそうな天気だったのに、いつの間にか晴れてしまっていた。

 暗い気分で、空も暗い、お先真っ暗、だなんてイヤだからな。せめて、天気だけでも晴れてもらったほうがいいか。多少、明るい気分になれそうだからな。


「もうすぐ、海が割れますね」


「海が割れる?」


 シェミーの言っていることが理解できなかった。


 海は割れないだろう。


 海って割れるのかな。

 海。割れないでしょ。


 でも、海って割れるのかも。

 まさか。海は割れないよ。


 何度考えても、同じ結論にたどりつく。


「行きましょう――」


「え」


 本当に。

 海が割れてしまった。


 一本の道ができあがり、その道を避けるように両脇に滝みたいな海があった。


 この道は、いったいどこにつながっているのだろうか。


「なあ、シェミー」


「はい」


「キミは本当に――」


 シェミーは俺の口に自身の指を押し当てて、ウインクをした。

 俺にはシェミーが女神か何かのように見えていた。

 高揚感を覚える。非日常な光景が、目の前に広がっているからだろうか。


「このことは、だれにも言わないでくださいね」


「もちろんだ」


「約束ですよ」


「不安なら、書面にサインしようか」


「書面もインクも筆もありません。それに、信じていますから、サインする必要もないですよ」


「そうか」


 二人で海の一本道を歩き始めた。

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