21.愉快な夢
シェミーが正座していた。
その体勢、つらくないだろうか。
何か話があるのだろうと思って、俺も正座した。
「ありがとうございました。零我さん、カナさん」
突然、お礼を言われた。
まるで、ここから去ろうとしているみたいな。そんなお礼だ。
「は、はあ。どういたしまして?」
カナ姉とお互いに顔を見合わせながら、困惑しているのが丸わかりレベルの返し方をしてしまう俺。
なんで困惑してしまっているのだろう。
べつに困惑する必要はないだろう。
お礼を言われただけだ。お礼を言われるほど、できた行いをしたわけではないけれども。
「お別れを言いたかったので」
「お別れする必要はないんじゃないのか」
俺はもうすっかりシェミーがそこにいる生活に慣れてしまっていた。
ぎゅうぎゅうのアパート生活も、今や、ぎゅうぎゅうじゃなきゃ落ち着かない気がする。慣れ、というのは怖いものだ。
「これ以上、お二人にご迷惑をおかけすることはできませんから」
迷惑?
だれが迷惑していると言うのだろうか。
俺か。カナ姉か。
寂しさとかは感じる暇もなかったから、むしろ、よかった。
孤独はとても怖い。
だれかがそばにいてくれるのは、実は、ホッとするものなのだ。
人間なんて、そんなもの。
人間はだれかを仲間外れにしたがるクセに、仲間を欲する生き物だから。
むしろ、仲間外れにすることで、仲間をつくろうとしているのかもしれない。
なんて、最低で最悪な生き物なのだろうか。
醜くて、汚くて、終わっている。
「戻るつもりなのか?」
「ええ。本来、この時代に私はいませんから」
引き止めるわけにもいかないのだろう。
これは、シェミーが決断したことだ。なら、そうさせてあげるほうがいいはずだ。
でも、せめてお見送りくらいはさせてほしい。
そのまま、「はい、さよなら」で終われるわけがない。
少なくとも、シェミーからすると俺はシェミーの曾祖父にあたる人物らしいから。
ならば、何もせずにただ指咥えて見ているだけじゃあ、いけないだろう?
俺はダメ人間だが、ダメ人間でもダメ人間なりに力を貸してやらなければ、ダメ人間にすらなれない。
後悔するのは簡単だ。後悔したことなんて無数にある。
でも、後悔したら、心が苦しくなる。心が痛みを叫んでしまう。
だから、後悔しないように、最低限の行いはしたい。
◇
晴天だった。
暑くて、汗が出た。
俺とシェミーとカナ姉は、砂浜で海の向こうを眺めていた。
瀬戸内海の波は穏やかだ。
どうせなら、荒波だったらよかったのに。そうしたら、シェミーだって、引き返したかもしれない。
引き返す。引き返す?
ダメだ。俺の性格は歪んでいる。すべては、自分のため。自分しか考えていない。
相手を一番に考えられる人間ではない。なのに、相手には自分を一番にするように求めてしまう。自己都合の塊な俺。
考えるな。考えすぎると、余計に自分しか考えられなくなる。
ぼうっとしよう。ぼんやりとしよう。
難しく考えるより、適当に考えたほうが人生、うまくいくときがある。
自分で自分を縛ると、何もできなくなっていく。あれをしたらダメかもしれない、これをしたらダメかもしれない。
すると、結果的に、やらずに失敗する、という事象が発生する。
難しく考えてしまった結果、必然的な失敗が発生してしまったのだ。
だから、適当にしよう。適当でいよう。
ぼうっとシェミーの顔を眺めた。
「タイムパラドックスなんかじゃなかった。私の時代の時間が停止してしまったのは、私の魔法のせいです。門が現れたのも、この時代につながったのも、私の魔法のせい」
そうなのだろうか。
俺は納得していなかった。
「きっと、魔法だけの話じゃない。俺も、非日常な生活を願っていたからな。人間が自分勝手だとするのなら、俺視点からすれば、俺が願ったおかげでドタバタ生活をすごせた、ってわけだ」
自分勝手な理由を伝えてやった。
こじつけではある。たぶん、シェミーはそんな回答を望んでいない。
ただ、俺からしたら、本当にそうだと思っていた。
普通、起こりえないのだ。未来から自分のひ孫が名乗る人物がやってくるなんて。
都市伝説みたいな話だ。
都市伝説は、めったに遭遇しないし、正体を見た者もたしかではないから、伝説として語り継がれているわけで。
今、俺が体験しているありえない話は、伝説なのだ。幻でしかない。
「ここから先の未来は、変わっているかもしれません。ここから百年後の世界に帰ったら、私は消滅してしまうかもしれません」
「だったら、俺とカナ姉だけは、シェミーの存在をしっかり覚えとくよ」
「最後に、頭を撫でてもらっていいですか?」
「ああ、わかった」
俺とカナ姉は、シェミーの頭を撫で回してやった。
本当に、お別れみたいじゃないか。
焦燥感みたいなものが、俺の心のなかに生まれてきた。なぜ、こんなものが生まれてしまうのか。それほど、俺はシェミーとお別れしたくないのか。
適当でいようとしていたのに、難しく考え始めてしまう。
「本当は私、お二人ともっといっしょにいたかったんですけど」
ぽつり、と言うシェミー。
「じゃあ、もっといっしょにいればいいじゃん」
無意識にそんな発言をしてしまう俺。
「そう、ですね。でも、ダメなんです」
しょんぼりとした顔をしていた。
余計に別れがつらくなるじゃないか。
「この時代に来て、わかりました。やはり、私の血は、悪人の血が流れているわけじゃないって」
「そりゃ、よかった」
「愉快な血が流れているみたいです」
「愉快?」
「おもしろポイントが高いひいおじいちゃんでした」
よくわからない評価だ。
でも、悪い評価ではないらしい。
「来世で、いっしょに漫才しましょう。いっしょにコンビを組んで、夢は漫才師の頂点に」
「待て待て。どこからそんな話になった」
「私が今決めました」
そりゃ、おもしろ愉快な夢だな、と思った。
曾祖父とひ孫の前代未聞コンビ、か。字面だけでもパンチが強すぎるな。
「スベり散らかすのなら、俺に任せてくれ。他人を笑わせる自信はまったくないが、失笑させる自信ならある」
「待ってください。スベる前提なんですか」
「五千回中、四千九百九十九回スベっても、そのうちの一回でも笑わせられたらラッキー程度でいかないと。俺はそれで満足さ。四千九百九十九回スベっておいてよかったなあ、って思うもの」
「私は五千回すべて笑わせられたらなあ、と思いますが」
「たしかになあ。じゃあ、撤回するかあ」
「撤回しちゃっているじゃないですか」
シェミーからツッコミをいただいてしまった。
シェミーの顔が笑顔に変わる。
スベらなくてよかった。一回を引けたようだ。
漫才師というものも、すごいものだ。自分のネタで、たくさんの人間を笑顔にできるのだから。
俺にもその才能があればよかったが、所詮、俺は素人でしかない。
だったら、今、目の前にいる大切な人間一人を笑わせるために、俺なりに力を尽くすしかない。
俺だって、ムダに二十三年間生きてきたわけじゃないんだって、自分を誇ってやりたいからな。
「もうすぐ、海が割れますね」
前も聞いたことあるようなセリフがシェミーの口から飛び出した。
普通、海は割れないよ。海は、割れるものじゃねえ。
などと思うのは、過去の俺。
でも、海が割れた光景が、記憶のなかにジュワッとちゃんと焼きついてしまっている今の俺には、不思議と海は割れるものなのだと認識してしまっているのだった。
一本道が完成し、やはり、海は割れるものなのだと再認識してしまう俺。
おかしいのは、理解してはいる。
おかしい。おかしい。おかしいけれども、おかしくはない。
矛盾していた。
「この道を渡り切ったら、赤い門を開いてしまったら、おそらく、本当にもうこの時代には戻れなくなるでしょう」
などと、現実世界では到底ありえないようなセリフを言うシェミー。
そのセリフが、シェミーという存在を幻の存在に変えていこうとしている。
たしかに、俺の目の前で存在を主張しているのに。少しの間、いっしょにすごしてきたのに。幻と化していくのが、あっさりしすぎなんじゃねえのか。
実在するはずの存在が、幻になろうとしてんじゃねえよ。まるで、すべて偽物だったみたいじゃないか。
アニメのトークをしたのだって、本物だ。俺がシェミーの頭を撫でたのだって、本当にあった出来事だ。それが全部、嘘だったかのように、消えていかれるのは困る。
ようやく、別れがキツいと、理解する俺。
たった少しの間。たった少しの間、世界が狂ってしまっただけ。
だと言うのに、こんなにもキツいだなんて。
「カナさん。私のひいおじいちゃんをあなたに託しました」
「ははあ。託されました。お姫殿」
別れをキツく感じている俺の横で、謎のやり取りが始まった。
おい、情緒。俺の感情。バカみたいじゃん。
大きなため息が出た。
「それじゃあ、行きます」
「おう」
「またねえ、シェミーちゃん」
俺とカナ姉は手を振ってやった。
しかし、シェミーが一向に行こうとしない。
「それじゃあ、ゆっくりと進んでいきますよ?」
「お、おう」
「これが、最後なんですからね?」
「うん」
「行ってしまうと、もう頭を撫でることもハグすることもできなくなってしまうのですよ?」
「ああ」
「後悔してしまうのではないですか?」
「んと、やっぱり、今日はやめとくか?」
締まらない最後である。
もう一回、頭を撫でておいてやるか。
シェミーの頭を撫でてやった。シェミーは嬉しそうな顔をした。
「やっぱり、やめておこうか悩んでしまいました」
「そっかあ」
「でも、行きます」
シャクシャクと足音を立てながら、一本道を進んでいくシェミー。
もう一度手を振ってやる、俺とカナ姉。
「ありがとう」
シェミーの大きな声が響いた。
どんどん、どんどんシェミーの姿が小さくなっていく。
豆粒みたいに小さくなってしまっても、俺たちは手を振り続けた。
そして、やがて、シェミーの姿は見えなくなった。
「涙と鼻水がダラダラですよ。ひいひいひいおじいさん」
「ひいが二つ多いぞ、カナ姉。あと、涙も鼻水も出てないから」
こういうとき、意外に泣けないものだ。人間って、よくわからねえ。
「さて。このあとはどうする?」
「どうする、って?」
「託されてしまったことには仕方がないので、ここはお姉ちゃんが責任を取るしかないと。そういうわけで、どうですか。美人で優しくて包容力のある年上の彼女は、欲しくないですか、お兄さん」
自己主張の激しい、姉貴分である。
何度も、何度も、アピールしてくるので、そろそろ俺も折れるべきなのだろうか。折れてしまって、いいものなのだろうか。
わからねえ。なんにもわからねえ。
どう返せばいいのかもわからないし、俺がどうしたいのかもわからない。
これが人生ってやつなのだろうか。
なんて。よくわからない、意味不明なことを思ってみた。
「まあ、考えとくよ」
「え」
カナ姉の顔が驚きの顔に変わった。そして、すぐに嬉しそうな顔に変わった。
「帰ったら、いちゃいちゃだね」
「いちゃいちゃはしない」
「え、じゃあ、あれとかそれとか?」
「あれとかそれとか、って何?」
「新婚生活に備えての、こう、なんか、いろいろな準備だったり」
「待て。俺はまだつき合うとも結婚するとも言ってないぞ」
「まあまあ。後悔はさせないから」
にっこり笑顔のカナ姉。
はあ、そうですか。
「まあ、いいか」
俺たちはアパートに戻った。




