20.格好つけの友人
ご馳走が目の前にあった。
ご飯、味噌汁、肉の甘辛煮、川魚の塩焼き、玉子焼き、キノコのバターソテー、ポテトサラダ、お漬け物。
網干の奥さんがつくってくれたらしい。
こんなに食べられるだろうか、と思ったが、意外と食べられた。
温泉にも入ったし、ゆっくり浸かったあとは、俺と網干とシェミーとカナ姉の四人で卓球を楽しむなどした。
あれ。ここ、旅館だったっけ。
旅行しに来たわけではないのに、すっかり旅行気分になっていた。
何か、忘れているような、忘れていないような。
部屋に戻ると、三人分の布団が敷かれていた。
くたくたで眠気が限界だったので、部屋の電気を消して、俺たちはもぞもぞと布団の世界に飛び込んだ。
これでいいのだろうか。まだ、心残りがあるような気がして。
なんだろう。何が心残りなんだろう。
普段視聴している深夜アニメを、今日は視聴できていないことだろうか。
それとも、今日から予約開始のアニメのライブのチケットを予約できていないことだろうか。
いや、そんなのではないと思うのだが。もっと、重要だった気がする。
試験日とか、面接の予定日とか、内定式の日とか、それくらい重要だったような。
受験票をちゃんと持っただろうか、とか、革靴をちゃんと履いてきただろうか、とか、ネクタイはちゃんと結べているだろうか、とか、会場を間違えていないだろうか、とか、開始時間は合っているだろうか、とか、それくらい重要だったと思うのだが。
とにかく、めちゃめちゃ重要だった。それだけは覚えている。
でも、それ以外はド忘れしてしまった。
なんだっけ。
モヤモヤしている謎を、再度明瞭にしよう。
俺。シェミー。カナ姉。だれが関係している。
ド忘れしたままだと、だれが困る。
俺、俺か?
俺な気がする。
俺と羊な気がする。
羊。羊?
羊の大群。が、押し寄せてくる。猛スピードでこちらに突っ込んでくる。
ここ、牧場か何かだっけ。
羊に蹴られる俺。
い、痛え。夢じゃないのか、これ。痛すぎだろ。
「んが?」
目が覚めた。外はまだ暗いが、若干明るくなってきている。午前四時か五時くらいだろうか。
頭をくるっと横に向ける。なぜか、シェミーの足がそこにあった。
どうして、シェミーの足が俺の頭の横にあるのだろう。
俺は推理した。
おそらく、シェミーは夜中、目を覚ましたのだろう。理由は、人間の排泄に関わるアレだ。アレで目を覚ましたのだろう。
で、お手洗いから戻ってくる。次が問題だ。
最初寝ていたときとは、逆の方向で布団に入ってしまったのだろう。
その結果、俺の横にシェミーの足があるものと思われる。
なんだ。案外、解ける謎じゃないか。
俺はフッ、とたぶん笑っていた。他人から見て、笑えているかは知らない。
「もうひと眠りするか。おやすみ」
シェミーの足が俺の顔に五回くらい当たった。めちゃめちゃ痛かった。
◇
目が覚めた。
スマホを起動する。午前七時を少しすぎていた。
しばらくぼうっとして、自分の世界に入る。
ド忘れしていたことを思い出した。
俺、次の職を探さなきゃ。
無職になってしまった。また、無職だ。
無職のおじさんは、世間的にティアーが低い人間だとされる。
俺は、高学歴でもないし、容姿は終わりすぎているし、有用な資格があるわけでもないし、実家が太いわけでもないし、何かしらの才能も持っていないので、ティアーが最低ランクだと言える。
縛りプレイみたいなものだ。難易度ベリーベリーハードモードの人生とかいう、クソッタレなゲーム。高スコアを目指すより、高度なプレイを決めるより、ゲームを続行させることを考えなければならない。
就職活動。今は、企業側が人材を求めていると言われているが、大手や人気な職種は人材を求めているというより、即戦力になれるハイスペックな人材を求めている、と言い換えたほうが正確なのではないかと考えるときがある。人材不足を痛感しているのは、ブラックな企業や職種が多い。
求人を見た。採用条件ですでに門前払いを食らった。
会社説明会に参加した。新卒か、社会人経験があって且つハイスペックなエリートか、どちらかでなければ採用しないのだろうと察してしまい、選考まで進もうと思わなかった。
ダメだ。無職だ。無職から、脱却できない。
声優にでもなるか。イラストレーターにでもなるか。
いやいや、そんな甘ったれた考えで、声優やイラストレーターなんかになれるわけがない。
技術も実力もないのに、夢見すぎだ。技術や実力のある人間ですら厳しい世界なのだと、噂で耳にしたことがあるほどなわけだし。
というか、声に自信なんてまったくないし、絵心なんてまったくない。それに、そういう職業はファンやアンチと言った監視の目がつき、自分の発言や情報の発信は細心の注意を払わなければならない。俺は発言を選べるタイプではないし、ちょくちょく問題行動を取ってしまう人間だと自覚している。
やっていけるわけがない。
メンタルも激弱だ。仮になんとかプロになれたとしても、アンチの言動ですぐに心を病んで消えてしまうのが目に見えている。
本当に、やっていけるわけがない。
アニメのイベントで人気な声優を見るたびに、すごいなあ、と社会人というか大人的な観点で思ってしまう。
俺は、社会不適合者なのだ。
だからと言って、無職のままでいるわけにはいかない。絶対に、次の職を探さなければならない。
あれ。俺って、ここまで必死になる人間だったっけ。どうして、こんなにも必死になっているのだろう。
そんなことを思いながら、ぼんやり、ぼんやり、ぼんやりと、朝食、歯磨き、荷づくりなどを済ませて、網干の運転する白いワゴンに乗車していた。
「また来いよ。相談料はいただかない主義だからなあ。お祓いや清掃なんかは料金プランが存在するが」
「あ、ああ」
「そこのお姉さん。シェミーさんだっけか。シェミーさんはわざわざ消える必要も、この世界を改変する必要もないぜ。世界は怒りと悲しみに満ちちゃあいるが、これでも平和なんだ。平和だと世間的には言い張れる。もとの時代に戻って、まずは自分を見つめ直してみるところからスタートしてみな。親の悪事を悔いても、自分が救われるわけじゃねえからなあ」
網干の言うことには説得力があった。
網干も、網干の親父さんがしでかした過去を思い返してしまったのだろうか。網干の表情が、一瞬だけ曇って見えた。
「零我には大学生のとき、一度言ったことがあるが、人間は自分勝手な生き物だ。好き嫌いなんて普通だ。嫌いな人間には唾をかけるヤツがいる。相手がどう思おうが、自分が大事。所詮、自分は自分、他人は他人。ならさ、他人の悪事を気にしたってしょうがねえだろう。逆に、こっちが唾をかけてやれるくらい、鉄の心臓であれ。それがオレのモットー的な何か。つま弾きにされるのなら、手のひら返されるくらいの最高な自分の世界をつくってしまえばいい。才能がないのなら、才能をつくってしまえばいい。オレはそうやって生きてる」
豪快にハンドルを回しながら、網干はそう言った。
「おお、網干。なんか格好よく見えるぞ」
「格好つけてんだよ。友人が困ってるときに格好つけれなかったら、それはオレじゃねえ」
山道をぐねぐねと進んでいくと、やがて、駅が見えてきた。
駅のロータリーに到着。俺とシェミーとカナ姉は、白いワゴンから降車する。
「ああ、そうだ。零我」
「ん」
「今、人手を募集しているんだわ。公式ホームページを開いたり、ネットでのお悩み相談だったり、そういう仕事」
「えっと、話が見えないんだが」
「遠隔でいい。お前、ウチで働け。なんならお前ん家、勝手に姫路支社にしよう。オレが今決めた」
なんて身勝手な話だ。
「アパートから引き払おうとしていたんだが」
「べつに問題ないだろう」
「勝手に姫路支社名乗るのはダメじゃないか?」
「開業届けを出すとか、そういう本格的なやつじゃないし、秘密基地勝手につくった小学生みたいなもんだ。ダメだったら、正式な手続きとかやるし、大家さんにも頭下げたる」
ダメなものは、ダメだろ。たぶん。
「またな。あとでメール送る」
「お、おう、またな」
白いワゴンが去っていった。
さて、俺たちも帰るとするか。
「ついでに宮島寄っていこうよ」
なぜか、カナ姉からひそひそと耳打ちをされた。
「牡蠣でぐびっと一杯やりたいだけだろ。俺にそんなお金はないぞ」
「大丈夫。お姉ちゃん、お金に多少の余裕はあるから」
ポン、と自身の胸を叩くカナ姉。
ああ、そうだった。一応、カナ姉はインフルエンサーなんだっけ。
どういう活動をしているのかは知らないが、俺とちがって多少の稼ぎはあるのか。
インフルエンサー。インフルエンサー、ねえ。
カナ姉のファンは、カナ姉のどこに魅力を感じたのだろうか、と疑問視した。
やっぱ、見た目か。見た目だけは美人だからなあ。
まあ、見た目だけね。基本、ズボラだから。この人。
電車、というか気動車が駅に到着。俺たちはスッと乗車した。そして、気動車は広島駅方面へ向かってゴトゴトと移動していった。
宮島で半日遊び、また新幹線に揺られて、姫路に戻ったのは夜だった。
牡蠣は食べた。厳島神社も見た。お土産も買った。
あれ、これ、旅行じゃん。ただの広島旅行じゃん。広島旅行を楽しんだ人たちじゃん。
路線バスに揺られながら、心のなかでツッコミみたいなものを入れてしまう俺。
感想が、広島もいいところだったなあ、で埋まってしまっている。ナニ、コレ。
「帰ったらさ、おやすみのキスしてね」
「しない。絶対にしない」
「深夜アニメ、いっしょに見ましょう」
「それは、うん。いっしょに見よう」
俺たちは広島旅行から帰還したのであった。




