17.斜め上の魔法
おとぎ話のようには、いかない。
それは現実の鉄則というか、当然のこととして頭に刷り込まれていた。
あの宇宙空間。あれはいったいなんだったんだろう。
王子さまのキスでお姫さまは眠りから目覚め、るわけではなくて、お姫さまに出不精で醜悪な見た目のおじさんがキスをされると、なぜか宇宙空間が消えていってしまった。
どういうことだろう。これは大喜利なのだろうか。
しかし、シェミーもなぜ突然あんなことをしたのだろうか。
ハレンチだとか云々言っていた人間が、あんな行為に至る。思考が読めない。
混乱だ。混乱ばかりしている。
なんなんだ、いったい。なんの運命で、どういう運命で、こんなふうにならなければいけなくなった。
チラッ、と横を見る。シェミーは正座をしていた。
そして、俺も正座をしていた。
俺とシェミーを見て、カナ姉は眉間にシワを寄せていた。
それはどういう感情なのだろうか。
「たしかに、愛人でいいとは言ったけどさ」
開口一番、カナ姉からとんでもない言葉が飛び出してきた。
待ってくれ。俺だって困惑しているんだ。
なんて言うと、まるで浮気の言い訳みたいに聞こえる。
だが、正確に今の相関図を整理してみれば、俺とカナ姉はべつにつき合っているわけでもなく、俺とシェミーもべつにつき合っているわけでもなく、前提として俺はどちらともつき合う気もそういう行為に至る関係になる気もないのだ。二股したいわけでもない。
今まで引きこもってきて無職生活を満喫してきた人間が、恋愛して二股なんてしている場合ではないと、俺が一番自覚している。
それよりも、次の職を探さなければならない。
だから、正座してカナ姉の溜飲を下げてやろうだなんて思う暇はないし、パソコンをカタカタしたりそういう施設に赴いたりして求人を探したほうが有意義な時間をすごせるだろう。
なのに、俺は正座してしまっていた。
「これは、どういうこと。ラブロマンスをお姉ちゃんにくれるんじゃなかったの」
ツッコミポイント、一つ。
ラブロマンスがなんだって?
申し訳ないが、そんな約束をした覚えはない。こっそり、事実を改変しようとするのはやめていただこうか。
ラブもロマンスも、欲しいなら俺なんかではなくて、イケメン俳優を追っかけてあげればいいと思うぜ。俺とだと、ラブはヘドロ色に変わってしまうし、ロマンスは色褪せてしまうだろうしな。
ツッコミとツッコミで脳が埋もれてしまう前に、早くツッコミをしてやろう。
「試したのです」
シェミーがぽつりと言った。
そんな、理科の実験みたいな感覚で言わないで。
ガスバーナー、危ないからちゃんと注意してよね。薬品が手についたら、すぐに水で洗い落とそうね。
俺、実験苦手だったなあ。理科の実験も化学の実験も大学の実験も卒業研究も、いつも焦っていた記憶しかないわ。
特に、成果を出さなきゃいけない、と考えるとものすごい億劫で。
実験、と言いつつも、成功例を求められる場合が多いからなあ。
いや、先生方は成功例をべつに求めていなかったのかもしれないが、「失敗したら怒られるのだろうか」、「失敗したら評価が低くなるのだろうか」とか考えてしまって、俺は気が気じゃなかった。
でも、同じグループの人間に毎度助けられ、「なんとかなるなる。とりあえず試すかあ」みたいな感覚で進んでしまい、結果的になんとかなってしまったところがある。
俺、何もできない人間なんだな。マジで。
「私には、自分が思ったことを実現させる魔法があります」
シェミーが冗談みたいな発言をした。
えっと、それはアメリカンジョークならぬ、ジャパニーズジョーク的なやつ?
「私がこの時代に来れたのも、すべて、私の魔法のおかげなのです」
いきなり、ファンタジーな空気が流れ始めた。
「零我さんと出会ったのも魔法のおかげ。この前、カナさんがウェディングドレス姿になっていたのも、私が宙に浮いていたのも、魔法のおかげです。私はありえない事象をありえるものに変えてしまう、不可思議な存在なのです」
ぴしゃりと言ってきた。
「だからこそ、私はふさわしくありません。現実世界から消えるべきなのです、私のような人間は」
シェミーは自身の顔を自身の手で覆った。
そうだった。シェミーが俺とカナ姉をくっつけさせたいのも、ある意味、自身の存在を消滅させるために動いているからなのだった。
シェミーは壮大な自死をしようとしている、哀れな存在だ。
そして、今のシェミーの発言を聞いて思った。
俺とシェミーは似ていないと思っていた。
でも、今の発言は、たしかに俺とそっくりだ。
自分を蔑み、逃げるクセをつけて、自分が救われるために非常識的な思考をする。
たしかに。俺とシェミーは、血がつながっている、としてもおかしくはないのかもしれない。
自分を見ているようだ。社会に弾かれ、『ダメ』を自覚してしまった、自分を。
「ちょおっと待った。でも、零我ちゃんにキスしていいのはお姉ちゃんだけなんだからね」
「両方、お断りだ」
反射的にツッコミを入れてしまった。
「第一、なんで零我ちゃんにキ、あんなことしたの」
キス、のスまで言い切れ。
「おとぎ話だったら、ごにょごにょでどうにかなるからです。だから、私の魔法を用いれば、ごにょごにょすることによって宇宙空間を消せると思ったのです」
紛らわしい。それに、その言い方だといかがわしく聞こえるじゃないか。
キス、をごにょごにょに言い換えなくていいから。
「本当になんでも実現できちゃうの?」
おい、待て。色情魔。よからぬことを考えているんじゃあるまいな?
カナ姉の見るからに悪い顔。
おいおい。めんどうくさい香りがプンプンするぞ。どうか、俺だけは巻き込まないでくれ。勘弁してください。
「じゃあさ――その魔法を消してみたらいいんじゃないかな」
カナ姉の発言に、俺とシェミーは首を傾げた。
「簡単なことだよ。なんでも実現させてくれる魔法に、そのなんでも実現させてくれる魔法を私の手から消してください、ってお願いしてみれば、これで晴れて普通の女の子に戻れるんじゃないかな、って」
カナ姉はニヤリ、と悪の親玉が浮かべるような笑みを見せた。
「本当にその魔法に苦しめられているのだとしたら、そうしたほうがいいね。お姉ちゃんだったら、そうする」
そう言って、カナ姉は親指を突き立てた。
それは「イエス」なのか?
でも、カナ姉の言っていることはもっともだとは思う。
なんでも実現させてくれる魔法があるのなら、その魔法で消してしまえばいい。そのなんでも実現させてくれる魔法とやらを。
賢いな。カナ姉。
そういえば、カナ姉は悪知恵がよく働く人間だった。いたずらを考えるのはお茶の子さいさいな人間なのだ。
だからこそ、斜め上の思考をしてくる。斜め上の提案をしてくる。
ときには、それが周囲の人間たちに理解を示されないことがある。
人間社会は、斜め上の思考よりも、同じ土俵の思考を求められる場合が多い。
まっすぐ進んでいる人間たちのなかに、斜めに進んでいる人間がいたら、どこかで衝突してしまう。
けれども、まっすぐ進んでいる人間しかいなければ、衝突という事象は発生しない。
新しい単語も新しい言葉も新しい発想も生まれてこない。
だから、俺はカナ姉を尊敬している。
「実現可能なら、その方法で消せるのでしょうね」
ところが、シェミーはカナ姉の提案に「ノー」という顔をしていた。
ダメなのか。カナ姉の言った方法では。
「この魔法には、制約があります。都合よく『なんでも』とはいかないわけです」
夢や幻のような魔法とかいうやつにも、やはり、不自由な現実世界からの干渉は受けてしまうものなのか。
夢や幻は、現実世界に簡単に倒されてしまう儚い存在にすぎないらしい。
「この魔法を消滅させることはできません。それに、魔法を用いなくても容易に実現可能な事象なら、魔法が成功する確率は高いのですが、魔法を用いないと実現不可能な事象は、成功する確率が極めて低いのです」
「確率論か」
「ええ。なんでもうまくいくのであれば、私はこうして悩んでいたりなんかしませんよ」
シェミーの言っていることは、たぶん、正しい。
この時代に来ても、悩んでいる。俺と出会っても、悩んでいる。
魔法でなんでもかんでもうまくいくのであれば、悩む必要なんかないはずだ。
だけれども、悩んでしまう。これは、魔法が自由自在に操れるわけではない証拠だ。
俺とカナ姉は、シェミーのことをまったく知らない。もちろん、未来の世界もまったく知らない。
何も知らないなりに、何かを知ろうとする。
でも。未来は知らなくていいものなのだろう。
自分の身に何が起きるか。明日、何が起きるか。来年、何が起きるか。そんなのは、明日の俺や来年の俺に任せておけばいい。今を生きる俺は、今を生きる俺をどうにかしたいと思っている。
だからこそ、今を生きる俺は、今の時代に参上した未来を生きるシェミーを、今、どうにかしてやらなければならない。
その気持ちは、やはり、変わらない。
魔法だとか、宇宙だとか、おとぎ話だとか、そんな未知の単語が俺の前に通せんぼしてきたとしても、絶対に変わらない。
「が。俺も俺で悩んでいるわけだ」
「零我さん?」
「圧迫面接、苦手なんだよなあ。オンラインゲームとかでも、よく、ソロでオンラインに潜り込むと、圧迫面接みたいな物言いの人間がいっぱいいるしなあ」
「えっと、零我さん?」
「ゲームのなかでも圧迫面接仕掛けてくるプレイヤー、マジでなんなんだろう。こっちはおもしろ楽しくゲームしたいだけなのに」
「零我さん、様子がおかしいです」
「零我ちゃんも疲れてるんだね。一杯、やるかにゃ?」
「俺はお酒は飲まん。レモンジュースで結構」
目を閉じて、記憶の大図書室を駆け回る。
俺の過去がたくさん詰まっている。
とは言っても、俺の過去は他人からすればべつに貴重なものでもないから、たくさん詰まっているとは言っても当社比的なあれで、俺的には詰まっている、というだけにすぎない。
実際は、本の種類が乏しくて、スカスカの図書室、と言ったところだろうか。
「会いたいヤツがいる」
言葉を絞り出した。
「間違えた。会わせたいヤツがいる」
訂正した。
「早いうちがいいだろう。明日、そいつに会おう。どうせ、そいつも暇だ。急に押しかけても文句は言わない。かもしれない」
「それって、ドライブデート?」
「ちがう」
カナ姉の発言を即否定してやる。
「新幹線の券、取れるかな」
「新幹線乗るの?」
「ああ、まあ」
「遠出するんだね。よし、デートだね。おめかししないと」
「ちがう」
どうして、すぐにデートに結びつけようとするのだろう、カナ姉は。
まあ、いいや。
あいつなら、何かヒントをくれるかもしれない。
俺はスケジュール帳を開いた。




