15.論破とタイムパラドックス
起きて、ちょっとコンビニにでも行ってくるかな、なんて思って扉を開けたら、そこは宇宙空間だった。
ん?
おかしいなあ。
朝の七時。宇宙空間みたいに暗くはないはずだが。
気のせいだろう。
もう一度、扉を開けてみる。
やはり、宇宙空間なのだった。
ふむ。世界がおかしくなっているなあ。
なんて思っている余裕があるのだろうか。
これは夢なのではなかろうか。
宇宙。宇宙には空気がないはずだ。人間は生きられない。
有害な光線がいっぱい発せられていて、宇宙服がなくてはまずいだろう。
つまり、俺の目の前に広がっているこの世界は宇宙空間なんかではない。
そう結論づけて、二度寝でもしようかと思った。
「零我さん、どうされました?」
むにゃむにゃと目を擦りながら、俺の隣に来るシェミー。なぜか、枕まで持ってきている。
「あのさ、玄関開けたら、宇宙だったんだよね。あはは、笑っちゃう話だよね。俺、疲れてんのかな。それとも、これ、夢なのかな」
「宇宙だったんですか」
シェミーがむにゃむにゃと外に出てしまう。
「たぶん、夢なんだろうな。なんだ、夢かあ」
夢なら何をしてもいいだろうと、判断力を失っていた俺は唐突にシェミーの頭を撫で始めてしまった。
俺自身ですらなんでそんなことをしてしまったのか理解できないのだが、どうしてか親心みたいな気持ちが俺の心のなかに芽生えてしまっているのである。
シェミーは背筋をビクン、とさせた。
「れ、零我さん。急になんですか。どうしちゃったんですか」
「いやあ、シェミーはえらいねえ、と」
「正気になってください」
ベチン、とビンタを食らった。
ふと、我に返る、俺。
いけない、いけない。
子を愛でる親の気持ちみたいになってしまっていたが、冷静に考えると、何をやっているんだ。
というか、俺とシェミーって曾祖父とひ孫の関係らしいが、似ても似つかない見た目をしているからね。
シェミーってデカすぎる。そういえば、俺とシェミーの身長って同じくらいなんだよね。
しかも、顔の美醜がね、俺とシェミーを比較するとエグいわけ。
で、いっしょにすごしていてわかったが、シェミーってお茶目さんなんだよ。それに対して、俺って畜生ダメ人間さんなんだ。
親心みたいなものを勝手に持とうとしてしまっていた俺が気持ち悪すぎる。早く記憶を消させてくれ。記憶を消させてくれえ。
その場でなぜかスクワットをし始める、俺こと舞子零我二十三歳。
「本当にどうしてしまったんですか、零我さん」
「いやあ、シェミーってべっぴんさんだなあと思って。モデルとかアイドルとか女優とかやったら、人気者になるよ」
「あなたのひ孫を口説かないでください」
「いんや、これは親が子どもを贔屓目で見る、みたいな感じだ。自分の子どもはかわいくてかわいくてしょうがない的なアレだよ」
「いつからそんな気持ちに」
「今、さっき。やっぱ、俺、疲れてんのかな」
今度は自分の手で、自分の頬を思い切りぶっ叩いた。
くっそ、いてぇ。何、この痛み。普通に痛いじゃん。
目が完全に覚めた。
「そうだ。こんなことしている場合じゃねえ。これ。これだよ。この宇宙空間、どういうことだろう」
シェミーに訊いてみると、シェミーは返答せずにそのまま宇宙空間に出てしまう。
シェミーはくるくるとまわり、宇宙空間を身体で感じようとしている。
「懐かしいです」
シェミーは満天の星の世界を見上げながら、そう呟いた。
「そっか。宇宙新幹線は一応、整備されていて、宇宙へも行けるようになっていたんだっけか」
「はい。そうですよ」
意味のわからない歴史だ。
事業に携わろうとしていた俺ですら、一般人が容易に宇宙に飛び出せるのか、なんて疑問視していたのに。
宇宙新幹線。まるで、昭和の時代の空想を描いたようなプロジェクトだな、なんて内心思っていた。
俺は昭和生まれではないから、昭和の時代がどんな世界だったか、なんて妄想でしか語れない。
昭和。激動の時代だったんじゃなかろうか。
当時を生きてきた人間は、もう結構ないい歳をしている。
だからなのだろうか。権力を持って、かつて夢見ていたものを、実現しようと動き出し始めた。
その一つが――宇宙新幹線。
時代は変わった。平成、令和。きっと、これからも変わっていくのだろう。
スマホなんて、俺が赤ちゃんの頃にはなかったからな。
パソコンだって、今よりも性能が格段に低かったはず。
ゲームも、こんな高画質でしかもたくさんの人間とオンラインプレイができるだなんて、昭和から現代にタイムスリップしたら、ありえないことだろう。
漫画ですら、革命が起きたのではないかというレベルにまで絵柄が先進的になってしまっている。
もし。もし、一万年後も人間社会が存続しているとするならば、たぶん、俺やカナ姉がその時代にいたら、驚きの連続なんだろうな。俺やカナ姉は縄文人みたいな扱いをされるのかもしれない。
「きれいだなあ」
「そうですねえ」
「うん。きれいだ」
「それ、私に向かって言ってますか」
「どっちも」
「どっちもとは」
「この宇宙と、シェミーの両方」
「プロポーズの言葉は私ではなくカナさんに向けてやってくださいよ」
「ちがうよ。お父さんが娘の結婚式で花嫁姿の娘に言う感覚、みたいなもんだよ」
「私を娘のように思っている、ということですか」
「うーん」
どうしてだろう。否定はできなかった。
「零我さん。私と零我さんはひ孫とひいおじいちゃんなのです。ですから、ひいおじいちゃん」
「な、なんだよ」
「今は、おじいちゃんっ子ならぬ、ひいおじいちゃんっ子なのです。娘ではありませんよ」
「比喩だよ」
「比喩ですか」
「うん。どう考えても比喩でしょ」
「たしかに」
「比喩だったのに、勘違いされることってよくあるよな」
「おっと。なんか話が脱線する香りが」
「勘違いされるだけならいいんだけど、それで謎の怒りをぶつけられることあるじゃない」
「いや、ないですけど」
「北海道ってユーラシア大陸より大きいよなあ、なんて冗談まじりに比喩的に言ったら、『ユーラシア大陸より大きいわけねえだろ。一般常識も知らねえのか。論破されて悔しいか。なあなあ、悔しいか』とか」
「待ってください。闇が深そうなのでそこまでにしましょう」
「あと、すぐ『論破』って言葉使い出して対立してくるヤツなんなん?」
「おーい、零我さん。ちょ、ちょっと?」
「『論破』って論を破ることでしょ。ということは、その論が間違っていることを『相手』に納得させる必要が出てくるんじゃないかと思うわけよ。だから、相手が納得していないのなら、論破できていると言えないのではないのだろうかと。というか、前提として『論になっていること』が必要なわけじゃん。論じているわけではない人に、『論破』って成り立たなくねえか?」
「あの、零我さん。ストップ、ストップ」
「なんでもかんでも『論破』って言い出して、関係性を自らの手で悪化させるようなヤツ、少なくとも俺は関わりたくないよ。何かあるたびに『論破した』、雑談しようと試みても『はいはい論破』。他人を論破することに思考を乗っ取られすぎでしょ」
「零我さんも、思考を乗っ取られすぎています」
シェミーからデコピンをいただいた。
そこで、ようやくハッとした。
危ない。今日の俺は、どこかおかしい。
呪詛イコール俺、みたいな。呪いの言葉みたいなのを吐き続けてしまっていたのだから、調子が悪いどころの話ではない。
これ、疲れてんだな。疲れてんだわ。
視点を変えよう。
人間というのは、自己を防衛しようと動くのだ。たぶん、人間でなくても、他の生き物だって同じはず。
きっと、俺のこの行動も他人に『論破』って言ってしまう行動も、一種の自衛行為なのかもしれない。
虐げられてきた。だからこそ、自分を守るクセが染みついてしまい、自分の言葉にトゲを装着してしまったのだろう。
とは言っても、正当化していいわけではない。
自分が虐げられてきたからって、トゲを装着してまったく異なる他人を傷つけることが正義の行いとして美談にされてしまうのは、懐疑的である。
「そうだなあ。でも、『論破』って言葉を多用するヤツにも、いろいろな背景があるのかもしれないなあ」
「零我さん」
またもやデコピンをいただいてしまう。
「い、いてぇ」
「他人の過去を妄想して哀れみを抱いて自分の立場に優位性を持とうとするその行動も、どうかと思います。もう、この話はやめましょう」
「あ、ああ」
本当に情けない。
情けないことをしてしまっている。
それよりも、まずはこの状態をどうにかしなければいけないと言うのに。
「なあ、シェミー」
「なんでしょう」
「俺の住んでいるアパート、玄関出て徒歩ゼロ分で宇宙へゴー、という物件になってしまっているんだが、これ、マジでどういうこと?」
シェミーは少し沈黙したあと、俺の顔をまじまじと見て、静かにこう言った。
「歴史が歪んでしまった結果、なのかもしれません」
ええと、すまねえ。なんて?
どうして?
どうして、歴史が歪んだら、こうなる。
「私の知っている限り、ここ二千二十六年の世界では、宇宙新幹線の事業は頓挫していないはずなのです」
「らしいな」
「ですが、どういうわけか頓挫してしまった」
「ああ」
「仮説ですが、これは本来出会うはずのない私と零我さんが出会ってしまったから、だとしておきましょう」
「うん」
「すると、タイムパラドックスが生じてきます」
「タイムパラドックスは、過去を変えることで矛盾が生じてきてしまうアレか」
「はい。その結果、なんやかんやあってこうなってしまったのかと」
「いや、なんやかんやって、何」
「それは、私にもわかりませんよ」
プクッ、と頬を膨らませるシェミー。
その行動を、不覚にも、かわいいと思ってしまった。
なんだろう。この感覚。
やはり、恋愛的な意味ではない、この感覚。
これが、親心ってやつなのかな。
いや、親じゃないんだけれどさ。
いや、親なのかな。
もしかして、親だったのかもしれん。
そうか、俺はシェミーの親だったのか。
んなわけねえじゃん。大丈夫か、今日の俺。
ブンブンと頭を振った。
「カナさんを起こしましょう」
「え、カナ姉を?」
「三人寄れば文殊の知恵的なアレです」
「わかった。起こしてくるよ」
俺は大慌てで部屋に戻る。
「カナ姉、起きてくれ」
「んにゃ、ラーメンはやっぱり、醤油だよね。むにゃむにゃ」
寝言がひどすぎる。
「カナ姉、好きだ。結婚しよう」
「んにゃ。お姉ちゃんも好き。結婚しよしよ。んん?」
嘘のプロポーズをしたら、起きてくれた。
「じゃあ、ちょっと一回こっちに来てもらって」
「え、なになに。零我ちゃん、どうしたの」
カナ姉の手を掴んで、宇宙空間に出る。
「なんじゃこりゃ」
カナ姉の目が点になっていた。
そりゃそういう反応になるわな。




