14.汚い恋バナ
担当者にメールを送って返信を待っていたのだが、音沙汰はなかった。
蜘蛛の子を散らすように逃げられてしまったか。
おいおい。アフターケアがまったくなっていないじゃないか。
なっちゃいない拙いビジネス用の言葉でメールを送ったのがいけなかったか。
とは言っても、電話をかけても電話だって通じなかった。
はあ。また、無職か。
就活サイトにエントリーしなければ。
しかし、ただでさえなんの才能もなく、なんなら足を引っ張ってしまうレベルの人間に、事情はあれど前職をスピード解雇された足枷が追加されて、どこの企業が雇ってくれると言うのか。
もういっそ、起業するか?
待て待て。ノウハウもないのに、なんの知識もないのに、そう簡単に起業できるわけがない。
仮に起業まではできたとしても、膨大な負の遺産を抱えて、今よりひどい状況になるのが目に見えている。
お酒、たばこ、賭け事。
俺は、こういうのは全部避けている。理由は向いていないからだ。
アルコールの摂取しすぎで大学時代の友人が救急車のお世話になったことがあるらしい。だから、お酒はほどほどに飲むと決めている。
ヘビースモーカーの叔父が重病を煩い、床に伏せた。だから、たばこはやらないと決めている。
賭けることに命をかけすぎて、音信不通になった知人がいた。だから、賭け事は絶対にしないと決めている。
嗜好品は調節が難しい。
べつに、お酒を飲んだり、たばこを吸ったりすること自体を否定したいわけではないが、なぜ年齢制限が設けられるのか、の理由を探ればお酒やたばこはほどほどにしておけと語る人間がいるのは当然のことだった。
俺は成人しているから、お酒を飲まなければならない場が現れてしまうのだが、未成年には絶対にお酒もたばこも勧めてはならない。
「はあ」
チラッ、と横を見た。
カナ姉は、今日はノンアルコールのお酒を飲んでいた。
コンビニで買ったスルメやチータラを袋から出して、おいしそうに貪っているのである。
「カナ姉が酔うとめんどうくさいからノンアルコールなのは助かるけど、今日はなんでノンアルコールなの」
「んー、配慮」
なんの配慮だよ、と思った。
俺が無職になってしまったのを気にしているのか。シェミーがどうすればいいのか悩んでいるのを気にしているのか。
だとすれば、いらない配慮だ。
カナ姉がノンアルコールのお酒を飲もうが、べつにどうもならん。好き勝手飲んでくれても、べつに俺は構わない。
介抱するのがめちゃめちゃめんどうくさいが、飲むこと自体を否定したいわけではないからな。
「俺とシェミーの関係や、俺とシェミーの出会い方、その他のもろもろはカナ姉にもう話したんだっけ」
「うん。聞いた、聞いた」
「そうか」
チータラを俺の口にぐいぐい持ってくるんじゃありません、カナ姉。
「あれ。チータラは好きじゃなかった?」
「いや、食べるけどさ」
モグモグとチータラを食べる俺。
食べながら、ぼうっとシェミーの姿を眺める。
シェミーは壁に寄りかかり、天井を見つめている。
天井に汚れでもあるのかな。
とは言っても、入居して日も浅いはずだから、汚れはそんなにないはずだが。
退去するときには、汚れを落とさなければならない。
いや、まだ退去が決まったわけではないが、このまま姫路に居座ることはおそらくないだろう。
姫路に来て、まだ姫路城に一回も行っていないぞ。観光、全然できていない。
なのに、もう東京に帰るのかよ。いくらなんでも早すぎるって。
いっそ、姫路周辺で次のお仕事を探すか。
いやいや。入社確定レベルの何かしらの担保もないのに、探せるか?
友人に頼ってもな。友人だって、自分の生活でいっぱいいっぱいだろう。
はあ。本当に、どうしよう。
「零我さん。一つ、お願いがあります」
「ん。突然、どうした。シェミー」
「このまま私を居候させてください」
俺の手を掴んで、ぐいぐいと迫ってきた。
「うん。どうにかしようとはしているから。居候できるかどうかは気にするなよ」
答えとして合っているのかは、自信がなかった。
「あとさ」
「はい」
「俺、さっきチータラをつまんでたから、手、チータラのカスがついてるかも」
「それなら私もチータラを食べれば解決なのでは」
「キミはさっき歯磨きをしたばかりでしょう。寝る前に何か食べていいのは、この自堕落なお姉さんと、どうしようもない無職のおじさんの俺だけなんですよ。ぶくぶく太りたくないのなら、もう寝ちゃいな」
「ええ、そんな」
「ほら、一応、コンビニでおしぼりを貰ったから、これで手を拭きな」
「ちょっと待って。自堕落なお姉さんって、いったいだれのこと?」
「ピーピー、ヒューヒュロロー。いったいだれのことやら」
口笛を吹いてごまかそうとしたが、口笛が吹けなかったので口笛っぽい声でごまかす俺。
「零我ちゃん。さては、お姉ちゃんのことを言っているね」
「やめて。絡みついてこないで」
俺をハグするようにがっちりと絡みついてくるカナ姉。
「これが、大人なカップル」
シェミーが興奮した様子で俺たちを見てくる。
ちがうよ。シェミー。
これは妖怪自堕落の仕業で、こんなふうになってしまっているだけなんだ。
妖怪自堕落とくっついてしまうとね、もれなくお相手も自堕落になってしまうわけ。だから、これは大人なカップルなのではなく、妖怪自堕落が悪さをして、自堕落な人間をさらに自堕落にさせようとしているだけにすぎないんだ。
だからね、シェミーはこれを羨ましそうに見つめてはならないよ。
カナ姉は残念な美人で、俺も残念なおじさんなのさ。残念な美人が妖怪自堕落に変化して、残念なおじさんを自堕落の道に突き落とそうとしているだけにすぎないのさ。
「結婚したら、毎日こうやってベッドインしようね」
「お酒とスルメとチータラ臭ムンムンなのは勘弁」
「そうじゃなければオーケー?」
「言葉のあやだよ」
「お姉ちゃんは零我ちゃんの言質を取りましたよ」
妖怪自堕落は好物のチータラを貪るために、一旦、拘束を解いてくれた。
ふう。今回はわりかしすぐに離れてくれたな。
俺だって男だ。女性から胸を当てられたら、意識しないわけがない。
意識する、とは言っても、やましい感情があるわけではないが。
危険に思ってしまう、と言うのが正しいだろうか。
カナ姉は、だれかれ構わずこうなのだろうか。だとしたら、相手が狼みたいな男だったら、非常に危険だろう。
カナ姉だって一応、女の子なわけなんだしな。
「歯磨きでもするか」
「おっ。じゃあ、お姉ちゃんも」
「その、『おっ』はどういう意味」
「一夜の過ちをする準備だよね。よく言うもんね。口づけして、歯磨き粉のにおいがするって」
「なんのドラマで学んだんだ。ちがう。普通に歯磨きするだけだよ」
洗面所の前まで移動して、歯ブラシと歯磨き粉を取り、歯磨きをしていく。
虫歯になったら、めちゃめちゃめんどうくさいからな。
「本当に同棲しているカップルみたいだよね」
無視、無視。
歯をちゃんと磨いて、口をゆすいで、はい、終わり。
すたすたすた。俺は、もう寝る。
「電気、消すぞ」
「恋バナしよ」
「恋バナ。とても興味があります」
「修学旅行か何かなのか」
「零我ちゃんの好みのタイプを教えてもらってもいいですか」
「二次元の女の子。終わり」
「三次元なら?」
「知らん。考えたこともない」
「零我さんは私みたいな女の子がタイプらしいですよ」
「零我ちゃんはシェミーちゃんを狙っているの?」
「とてもハレンチだと思います」
「勝手に話を膨らませないでくれ」
「はじめて女の子を好きになったエピソードを教えてよ」
「無視」
「えー、ひどい」
抱きついてきた。
カナ姉。何度も抱きついてこないで。
「俺みたいなヤツに話しかけてくれる女の子がいたんだよ」
「お、話してくれるじゃん」
「その女の子は俺より年上で、近所に住んでた」
「あれ。それって」
「明るい女の子だったから、その女の子を好きになりました。はい、終わり」
「なんだ。相思相愛じゃん」
カナ姉がさらに強く抱き締めてきた。
「お姉ちゃんも好きだよ」
「俺のは冗談だよ」
「え、でも好きなんでしょ」
「好きのニュアンスがちがう」
「大好きって話?」
「ちがう」
「お代官様。こいつぁ、つき合っていちゃいちゃするしかありませんぜ」
「だから、ちがう。敬老の日みたいに、感謝している的な意味の好きであって、ラブの好きではない」
「もしかしたら、それがラブの気持ちに変わったり」
「しない」
もう相手するのがめんどうくさくなってきた。
羊でも数えて、夢の世界に入り込もう。
「耳もとで好き好き好きって囁いてあげたら、気持ちが変わったりして」
無視。
「髪は長いのと短いの、どっちが好き?」
無視だ、無視。
「清楚系とギャル系だったらどっちがいい?」
構うな。寝てしまえ。
「かわいい系と美人系だったら、どっちがタイプ?」
羊が一匹、羊が一匹プラス五百匹。
「胸は大きくないとやっぱ、イヤ?」
羊がめちゃんこいっぱい。羊に囲まれてもふもふカーニバル。
「お姉ちゃんくらいのサイズでも我慢できる?」
「さりげなく胸を当ててくるな」
恐ろしい女性である。
「お姉ちゃんの相手をしないからだよ」
「もう寝させてくれ」
「旦那。今夜はお盛んな夜になりますよ」
「あっそ」
「冷たい。お姉ちゃんといちゃつくのがイヤ?」
「ん。いや、べつに」
「え」
「まあ、退屈はしないから」
「そっかあ」
抱きつくのをやめてくれた。
どうしてやめてくれたのかは知らない。
カナ姉は抱きつくのをやめたかわりに、俺の手を握っていた。
何か、返答を間違えてしまっただろうか。
言ってはいけないことでも言ってしまったのだろうか。
カナ姉も俺も、無言になる。
カナ姉は、今、何を考えているのだろう。
煩悩にまみれているのだろうか。
欲望と欲望と欲望と欲望と欲望。
イメージしたら、ちょっとバカバカしくなった。
でも、それがちょっと不安だった。
カナ姉は、無理に明るく振る舞おうとしている。だれからも見放されたくなくて、相手に好かれるようなキャラクターを演じようとしている。
そんなのは、弟分である俺にはお見通しだった。
美人から『好き』の感情を向けられれば、たいていの男は少なくとも悪くは思わないだろう。
だから、カナ姉は無意識に俺に『好き』という感情を向けてしまっているのだ。
しかし、この『好き』は真ではない。偽である。
俺に好かれるために『好き』という感情を向けてきているだけにすぎないのだ。俺を好きだからそうしているわけではない。
俺とカナ姉は、結ばれるわけがないのだ。
皮肉にも、シェミーの存在が、それを証明している。
「無理、すんなよ」
カナ姉に向かって、小声で言ってやった。返答はなかった。




