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12.ハンバーグの味

 どういうわけか、俺たちは定食を提供してくれるチェーン店にいた。


 お腹が空いたからご飯を食べよう、なんてわけで来てしまったのだろうか。


 しかし、雨が降っているというのに、外出するとはね。


 それに、あまり資金に余裕がない。自炊と外食だと、さすがに自炊したほうが安上がりだろう。

 貧乏だという自覚はしておかなければ。


 俺の暮らしだけで精一杯だ。けれども、シェミーのこともどうにかしてやらなければならない。


 自分と他人。まさか、他人のことでもこんなに悩まなければならなくなるとはね。


 驚きだった。


 小学生のとき、自転車を盗まれたことがある。


 俺の自転車はオンボロで、サドルの下がガチガチに錆びてしまっていてサドルを上げ下げするのができなかった。ライトも点灯はしたのだが、なんだか光が弱い気がしたので、ぐるぐるとテープを巻いてペンライトを接着してどうにかしていた。

 今考えれば、どうかしている。ライトが点灯しなかったらダメだし、修理に出すか新品を買うほうが絶対いいいのに。


 当時の俺は、それくらいオンボロな自転車に乗っていた。


 そんな自転車を盗んだ人間がいた。


 被害者が裕福だとか貧乏だとかそういうのは関係ないみたいだ。

 オンボロでも狙われるときがあるらしい。

 鍵はちゃんと抜いていた。たぶん、自転車ごとひょいと持ち去ったか、鍵を抜くことでタイヤにロックがかかるあの部分を強引に壊したのだろう。


 当時の俺は、ただただ許せなかった。

 日本人だからとか外国人だからとかじゃなくて、おじいさんだからとかお姉さんだからとかじゃなくて、「やってはいけないことはやってはいけない」という理論が通じない相手がいることが非常に許せなかった。


 相手が常識を持っている前提で対話を始めようとするのは、誤りなのかもしれない。

 そもそも、俺だって一般人から見れば、非常識的な人間なのだ。えらそうに言える立場でもない。


 でも。少しでも一般人に寄ることができるように、自分を変えなければならない。


 今は、シェミーがいる。自分だけじゃなくて、シェミーの境遇も考えてやらねばならない。

 シェミーが犯そうとしている過ち。俺の子や孫にあたる人物が未来で起こそうとしている過ち。

 いろいろな問題を、常識的な思考と戦略で解決していかなければならない。

 ただ許せないとするだけでは、解決しない。気持ちを表に出したところで、解決に至るわけではない。


 予防策を考えなければ。


 ただ対立するだけなら、容易だ。「非常識だ」と罵るだけなら、いくらでもできる。

 だが、俺にとっての『非常識』は相手にとっては『非常識ではない』かもしれない。

 だからこそ、今の俺は余計に他人のことで悩むことになってしまう。


「零我ちゃん」


「ああ」


「零我ちゃん。ご飯、冷めちゃうよ?」


「ああ」


 頼んだハンバーグ定食をモシャモシャと食べ始める俺。


 チェーン店の味は安心する。

 俺の舌はこれで満足する。


「シェミーちゃん、それ、おいしい?」


「ほぉい。めひゃめひゃおひひいでふ」


 シェミーは、期間限定メニューのスペシャルイタリアン定食とかいうよくわからないものを食べていた。


 スペシャルなイタリアンって、何。


 ペスカトーレみたいなパスタに、ミートボールに、リゾットに、クラムチャウダー。


 あれ。クラムチャウダーって、イタリア料理じゃなくて、アメリカ発祥じゃなかったか。


 マジでよくわからないメニューだった。


「ところで、カナ姉」


「うんにゃ?」


「いつ東京に帰るのさ」


「そんなぁ。ひどい。東京に帰ってほしいの?」


「いや、そっちだって生活あるでしょ。帰ってほしいとか、そういうのじゃないよ」


 すると、カナ姉はチェックマークのようにした手を自身のアゴに置き、思考の海へダイブし始めた。


 返答に困っているらしい。ずいぶん、独特な仕草である。


「でも、結婚するなら、やっぱりいっしょにいたほうがいいよね」


「ん?」


「単身赴任は、奥さんが寂しくなっちゃうよ」


「奥さんイズだれ」


「お姉ちゃんのことです」


「旦那さんイズだれ」


「零我ちゃんのことです」


「はあ。カナ姉、重症だね」


「ひどーい」


 ヘルシーサラダ定食をパクつくカナ姉。


「そういえば、カナ姉って今、仕事何してるの」


「えっ。えっと、イ、インフルエンサー的な、こと」


「インフルエンザ」


「インフルエンサーだよ」


「すると、あれか。エスでエヌなエスで脚光を浴びるためになんかしていたり、動画投稿や配信ができるサービスでなんかしていたり、個人ブログを開設してなんかしていたりしているってこと?」


「そう。なんかしているんだよ。なんかはなんか、ね」


「エスでエヌなエスに勝手に俺の写真とか俺の親父やおふくろの写真とかアップロードしないでよね」


「うん、大丈夫、大丈夫」


「そんな適当な感覚でインフルエンサーになっちゃって、本当に大丈夫なんかねえ」


 危機感を覚えていないカナ姉の姿を見て、不安に思ってしまう俺。


 一見するとインフルエンサーはとても眩しい存在に見える。

 だが、インフルエンサーというのは不特定多数の存在に常に監視されているようなものだ。


 カナ姉の言動に注目が集まっている。


 人間社会は、『きれい』を求めがちだ。『クリーンなイメージ』を求めがちだ。『正義』を求めがちだ。

 基準は人によって異なる。正義の価値観も人によって異なる。


 きれいじゃない言動をしたら、人間社会から弾かれてしまう場合が多い。


 他人の粗を探すために動く存在もいる。

 光を闇にするために動く存在だっている。

 誤った愛がエスカレートして執着に変わる場合がある。

 自分と他人を比較して他人を許せない敵と勝手に認識されてしまう場合がある。


 人間社会はチームワークを求めるが、人間は実はチームワークに不向きな存在なのではないかと感じてしまう。

 才能を持ったり伸ばしたりするのは難しいことだが、だれかを貶めたり陥れたりするのはそう難しいことではない。


 人間はめんどうくさがりやなのだと思う。

 自分を磨くよりも他人を落としたほうが簡単に自分の立場が上がるから、きっと、他人を落とす路線で向かってしまうのだろう。


 でも、それは自分の才能が伸びるわけでもない。

 だから、全体で見れば、これはよくない。


 本来は百点の人が一位で八十点の人が二位だったとしよう。合計すると百八十点の成果だ。

 では、八十点の人が百点の人を蹴落とすために時間を要してしまい、八十点の人は七十点に、百点の人は妨害されて五十点になってしまったら。

 合計の成果は百二十点だ。六十点も下がってしまっている。


 つまり、他人を蹴落としたところで、自己満足にはなっても、全体で見たらかなりの損失になってしまうのである。


 でも人間は、全体より自分を考えがちな生き物なのかもしれない。

 全体の損失より、自己満足を優先する人間は、いる。


 俺がそうだからだ。


 強要するわけではないが、俺はカナ姉がインフルエンサーを続けることをオススメはしない。

 見ず知らずの他人の価値観を目撃して苦しんでいくカナ姉の姿が、容易に想像できるからだ。


 それに、俺はもう、カナ姉の苦しむ姿は見たくない。幸せであってほしいと願っている。


「カナ姉」


「はいはい。カナ姉です、っと」


「俺、カナ姉には幸せになってほしいんだ」


「うん?」


「だから、俺が守ってやらないと、って」


「もしかして、今、プロポーズされていたりする?」


「ちがう」


「いいよ、零我ちゃん。いつでもウェルカムだからね。『舞子カナ』か。困っちゃうなあ」


 カナ姉は嬉しそうな笑みを浮かべた。


「困っているようには見えないけど」


「夫婦になったら呼び方変えないと」


「話、聞いてる?」


「カナ姉じゃなくて、『カナ』だよ。お姉ちゃんも、零我ちゃんじゃなくて『零我』って呼ばなきゃ」


「ちょっと。もしもし」


「子どもができたら、あなた呼びかなあ。それとも、パパママ?」


 ダメだこりゃ。感情が暴走してしまっている。


「零我さん、零我さん」


「どうした、シェミー」


「この調子でくっついちゃってください」


 俺は何も言わなかった。

 俺とカナ姉がくっついたらシェミーは存在ごと消えてしまう、のだろう。おそらく。たぶん。もしかすると。


「零我さんは優しい人でよかったです」


 買い被りすぎだ。

 俺はべつに、優しいわけじゃない。

 優しく見えるように振る舞っているだけにすぎないのだ。

 それに、優しく見えるように振る舞えているのかも、自信はない。


「『零我さんは』、ね」


 シェミーには聞こえないくらいの声量で呟いた。


 シェミーの言葉。きっと、これはシェミーの祖父と父にあたる人物と俺とを比較した言葉なのだろう。


 どれだけひどい人物なのだろうか。俺には想像がつかない。


 シェミーが、消えてしまいたい、と思うくらいにひどい人物。最低な存在。

 闇は深そうだ。


 シェミーの顔を笑顔に変えてやるためには、俺はどうしたらいいのだろうか。

 ハンバーグ定食をこんなに悠長にモシャモシャ食べている場合ではないのではなかろうか。


「ん」


 突然、スマホが鳴った。

 電話ではない。通知音だった。


「なんだ?」


 クーポンのお知らせとかだろうか。

 スマホが鳴った理由と内容を確認し始めた。


「宇宙新幹線――」


 ハンバーグの味がしなかった。


『宇宙新幹線の事業が頓挫した』とのメールだった。


 俺の予想は、やはり当たってしまっていた。

 宇宙新幹線は、幻の存在となった。


「これ、どうなるんだ」


 俺は、解雇か。会社は、倒産なのか。

 それとも、解雇も倒産も起こらずに、他の事業に手をつけていくのか。

 どうなるんだよ。解雇されたら、東京から姫路に来た意味がなくなる。


 それに、シェミーの存在はどうなるんだ。


 シェミー曰く、俺は宇宙新幹線の事業で大活躍するんだろう?

 宇宙新幹線の事業がここで頓挫してしまったら、シェミーの言っていたことと食いちがいが発生してしまう。


 どういうことなんだよ、これ。

 何かが間違ってしまったのか。

 どうなるんだ、俺の生活は。

 俺は、無職にまた戻ってしまうのか?


 頭が真っ白になる。

 シェミーとカナ姉は、俺の様子を見て、俺のことを心配しているような顔をしている。


 シェミー。俺は、どうしたら、いい?

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