10.シェミーの正体
雨が降ってきてしまった。
ずぶ濡れになる前に、早くアパートに戻ろう。
最寄りのバス停から大慌てで走り出す。
懐かしいな。小学生のとき、いつもこんな感じだった。
あのときはバカだったからな。服がずぶ濡れになっても気にしないし、なんなら友だちと水溜まりでぴしゃぴしゃ遊んでいた気がする。
で、だいたい親に叱られるんだ。
頭の上にたんこぶができる。ってのはさすがに比喩だが、まあ、それくらいこっぴどく叱られた。
そんな小学生だった俺なのだが、今は、雨を楽しむ余裕もない。
年を重ねると、考え方も変わるのだろう。
昔、あんなにプレイしていたゲームを今再びプレイしても、当時ほど心が燃えることはない。
何人かの友だちといっしょにプレイする前提のゲームも多かった。だからなのかもしれない。こんなにも楽しくないと思ったのは。
十年以上経っている。
当時は俺に髭なんてなかった。
でも、今はシェービングをしなければならない。
敬語なんて一切使わずバカやっていた。
なのに、大きくなったがきんちょだった何かは就職活動で頭をペコペコと下げ、正しい受け答えができたのだろうかと悩み、お祈りメールが来ないことを祈る。
俺ですらこんなふうになってしまった。
他のみんなはどうなのだろう。
成人式のときに会ったかつての友だちは風貌すら変わっていた。
「あれ、だれだこいつ」、なんて思った。染髪していたし、骨格も余裕で変わっていた。
二次会。当時は夕方アニメのアニソンを元気よく歌っていたがきんちょが、まわりに合わせて流行している邦楽を歌う。
深夜アニメのアニソンを歌いたい。じゃないと俺、歌い切れねえよ。歌詞、サビしか知らねえし。
置き去りにされていく。
昔は色恋沙汰なんて興味もなかった友だちが、結婚していた。
ガキ大将的ポジションだったヤツが、今では医者を目指している。
ずいぶん苦労しているし、努力しているんだなと思った。
芋臭かった同級生の女子の見た目は、化粧を覚えてべっぴんさんの皮を被っていた。
丸眼鏡はどうしたんだよ。俺、昔の見た目のほうがホッとするんだけど。
違和感だった。
当時、イケメンで女子にめちゃめちゃモテていたヤツは、息を引き取ったと聞いた。
ヤツの親御さんが俺を見て、「ウチの子となかよくしてくれてありがとうねえ」なんて言うのだから、俺の心がとてもズキズキした。
あいつ、俺のこと友だちだと思ってくれていたんだなと思って、涙が出た。
絵がめちゃめちゃ上手な友だちは、フランス留学をしていて、成人式に来ていないと聞いた。
将来、高名な画家になっていたら、俺みたいなヤツが面会することを許してくれるだろうか。
「はあ」
アパートが見えた。
駆け出す、駆け出す、駆け出す。
自分の部屋の前にたどり着く。
少し濡れた程度で済んだ。昔とちがって、ずぶ濡れになるのには嫌悪感があるからな。
玄関の扉を開けた。
なかは薄暗い。
電気をつけていないのだろうか。
部屋に入る。
「なんだ。何があった」
シェミーが宙を浮いていた。
そして、カナ姉はなぜかウェディングドレスを着ている。
カナ姉はぼうっとしていた。反応がない。
いったい、何があったんだ。
「シェミー。これは?」
「ジューンブライドです」
理解できない。
ジューンブライド、と言われても。
「零我。いえ、舞子零我さん。あなたは私がだれなのか、どういう存在なのか、わかりますか」
「いや。わからない」
首を横に振った。
「私の名前は『舞子シェミー』です」
「えっと」
「零我さん。あなたは私の曾祖父にあたる人物です」
言っている意味がよくわからなかった。
「あなたから見れば私はひ孫にあたります」
理解が追いつかない。
「えっと、どこかの代で外国人と結婚したのか。というか、俺、結婚するのは確定事項なのか」
なんとか、言葉を口に出した。
「そういう未来もある、というだけです」
どこか、含みのある言い方だった。
「私は、あなたとカナさんが結ばれれば、存在が消滅すると思います」
「ど、どういうことだ」
「私の知っている未来では、あなたはカナさんと結ばれません。そして、いろいろ経て、生まれてきたのが私」
「えっと、過去を変えていいのか?」
シェミーをじっと見た。
「だって、過去を変えたら、シェミーは存在が消滅してしまうのだろう?」
「構いません。私、もう消えたかったんです」
シェミーは俺の顔を直視しなかった。
「あなたの、かわいいかわいいひ孫ですよ。頭を撫でてくれませんか」
「あ、ああ」
俺は流されて、そのままシェミーの頭を撫でてやる。
「私のいる未来は、私の手によってもう壊れてしまっているのです。私は時空を超越し、あなたの結末を変えるために未来から来ました。だから、あの赤い門の先は不都合を消去するための準備として、時間が停止してしまっている」
シェミーの弱々しい声。
俺の結末を変える。
ふざけんな。
「俺は俺だ。勝手なことしないでくれ。俺の人生を、お前の独善的思考のためにぐちゃぐちゃにされてたまるか、ってんだ」
怒りの感情がこみ上げてきた。
「そう、ですよね」
シェミーは申し訳なさそうな顔をした。
「俺の、孫にあたる人、か。お前のお父さんとお母さんはどうするんだ。そんなことして、何がしたい」
「何がしたいんでしょうね、私」
それから、シェミーはずっと沈黙した。
どうすればいいんだよ、俺は。
ひ孫。俺が曾祖父。俺の結末を変えに来た。
知らねえよ。わかんねえよ。
勝手なことしないでくれよ。俺に何をさせたいんだよ。
ひ孫だと言われても、俺からしたら信じるも信じないもクソもないわ。
でも、たしかに、アニメオタクなところは、俺と同じだ。
遺伝、なのか。
いや、偶然だろ。
こんな美人な金髪のひ孫なんか、ありえんわ。
もっと、マシな嘘をつけ。
言っておくが、俺はスピリチュアルは信じたくないタイプなんだ。
そんなものにすがっている暇があるなら、アニメでも見ていたほうがいい。
バカバカしい。実にバカバカしい。
未来だか過去だか現在だかなんだか知らないが、俺に迷惑を押しつけてくるな。俺は俺のことで必死なんだよ。
「でも。怒ったところで何も変わんねえよな」
「零我さん」
「その零我さん、ってのやめてくれ。ムズムズする」
「零我」
「なんだよ」
「ひいおじいちゃんと呼んでもいいですか」
「普通にイヤだけど」
シェミーはシュンとして、宙から降りてきた。
それ、どうなっているんだ。魔法か何かの類いなのか。
「ああ、これは手品です」
「手品で人間は宙を浮けん。あれはそういうふうに見せかけているだけだ」
「じゃあ、魔法でいいですよ」
「ああ、そう」
一瞬、納得してしまったが、納得できるわけがない。
魔法を使ってなぜ宙を浮いた。
今から百年後の世界では、魔法があるのが普通なのか。
理解できない事象を当たり前のように受け入れてやらないといけないのか。勘弁してくれよ。
「シェミー。お前、消えたいから過去を変えに来たのか」
「はい」
「それで、カナ姉にこんな格好をさせて、魔法とかたぶんそういうよくわからないものを使ってこんな状態にさせたのか」
「ええ」
「ひいおじいさんはお前の行為を許さないと思うよ」
「です、よね。こんなふうにしてしまってごめんなさい。歴史を改変しようとしてごめんなさい」
「いや。そこじゃない」
「え」
シェミーは驚いた顔で俺を見る。
「お前が消えるために過去を変えに来たなんて、そんな悲しいこと言うなよ。それ聞いて、ひいおじいさんは受け入れるわけないじゃん。と、思う。俺はお前のひいおじいさんじゃないから知らないけど」
シェミーの瞳から涙が溢れた。
「なんだか知らないけど、俺は、どうすればいい。俺はべつに、シェミーの存在が消滅すればいいだなんて思わないよ」
アニメ談義してくれる仲間が減ってしまう。大切にするべきだろうな。
「えっと、零我」
「おう」
「ひ孫に欲情してはなりませんよ」
どういうこっちゃ。
「どうしたら、そういう結論になった」
「血がつながっていて、ひいおじいちゃんとひ孫で、その、そういう関係はとてもインモラルです」
「質問の答えになってない」
「おじいちゃんが孫をかわいがるようにかわいがってください。決して、男女の関係で見てはいけないと思うのです。ね、ひいおじいちゃん」
「さりげなく『ひいおじいちゃん』って呼ぶなよ。俺はお前のひいおじいちゃんになった覚えはない」
「ひ孫の存在を認めないってことですか」
「うん」
「そんな。育児放棄をするつもりですか」
「そもそも、育児って年齢じゃないだろ。お前」
「そうですけど。かわいいかわいいひ孫が未来から会いに来たんですよ。もっと崇めて奉って、写真撮って額縁のなかに入れて大切に大切に保存してくださいよ」
こっちはそんなテンション感じゃない。
なんだ。急にシェミーがいろいろと抜けていてユーモアが凄まじい人に見えてきたぞ。
「それより、カナ姉を元に戻してやってくれないか」
「いえ、零我。このままカナさんと接吻してください。誓いの指輪もちゃんとはめて、しっぽり夫婦になっちゃってください」
「まだつき合ってすらいないんだが」
「新婚旅行はハワイかグアムにしておきましょう」
「勝手に決めないで。あと、このウェディングドレスどこから持ってきたんだよ」
「魔法です」
「魔法って言っておけばなんとかなるわけじゃないぞ」
「もう。文句の嵐じゃないですか」
「いっぱい文句を言いたくなるだろ。こんな状況」
「もしかして、私のことをそういう目で見ているからカナさんとくっつけないんですか。ダメですよ、ひいおじいさん。いくら自分のひ孫がかわいいからって、自分のひ孫の花嫁姿を想像して、妄想のなかであんなことやこんなことをしちゃダメなんですからね」
「お前の妄想のなかの俺、どうなっているんだよ。色欲まみれじゃないか」
疲れて、ヘトヘトになる俺。
「このカナ姉のウェディングドレス。もしかして、俺とシェミーが最初に出会ったときにシェミーが着ていたものか」
「そうです。どうでしたか」
「二人とも、すごいきれいだけど」
「それは私も口説いてますか」
「口説いてない」
本当にカナ姉と結ばれていないのか、これ。
ボロを出してからのシェミーの性格、カナ姉とめちゃめちゃそっくりだぞ。
急に間抜けっぽくなったのは、たしかに俺の遺伝子を継いでいる。
マジでなんか、急にダメ人間に見えてきた。こんなに美人な女性なのに。
女性というか、このちょっと会話で、女性、じゃなくてなんかダダをこねてる愛娘か孫娘みたいにも見えてきてしまって、突然シェミーが幼く見えてきてしまった。
あんなに大人っぽく見えたのに、こんなに豹変するものなのか。
ずっと、自分を抑えていたのかな。
それで、抑え切れなくなって、こんなふうになってしまったと。
たぶん、素はこっちなんだろうな。今までが、きれいなシェミーを演じようとしていただけなのかもしれない。
化けの皮が剥がれたのだろう。
「なあ、シェミー」
「はい。どうしました」
「早く、カナ姉を元に戻して」
「でも、零我とカナさんが結婚しないと」
「いや、そういうのいいから」
「はい」
シェミーは、めちゃめちゃしょんぼりした顔で、カナ姉の額に手を当てた。
どうやら、これでカナ姉は元に戻るらしい。
「あと一分待ってください」
「焦らなくていいから、絶対に元に戻してな」




