99 皇太子の威厳
皇帝陛下がワインを飲んだ直後、血を吐いて倒れた。
その光景は人々にとって衝撃的で、フィオナもアロイスも――そしてドロシーも、ただ呆然と立ち尽くしていることしかできなかった。
床に血が広がり、割れたワイングラスの破片が散乱している。
スティンガー公爵はすぐに皇宮医を呼ぶように指示し、皇帝は運ばれていった。
「お、お父様……?」
ドロシーは真っ青な顔で目を見開き、肩を震わせていた。
父親が目の前で倒れたうえに、自分にまで毒を盛ろうとした人間がこの会場のどこかに潜んでいる。大きなショックを受けているのだろう。気のせいか涙が浮かぶその瞳は、以前のように純粋無垢なものへ戻っていた。
フィオナはそんな彼女の変化を見逃さなかった。
「――ドロシーさん!こっち来て!」
「あ、あなたは……フィオナ様!?」
ドレスを翻し、貴族令嬢らしからぬ様子で走り出した彼女は、あ然とするドロシーの腕を引っ張った。
フィオナ――という名を聞いた彼女は、嬉しそうに微笑んだ。
「やっぱり、私のこと覚えているじゃないですか!ドロシーさん」
「あ、あれ……私は一体何を……このフリフリした重い衣装は一体……何て素敵なのかしら!」
「あいにくですが、今は喜んでいる場合じゃありませんよ」
大きなショックを受けたからか、ドロシーはセレシアの魔術が解けたようだった。
しかし、いつまたかけられてしまうかわからない。ドロシーは保護しておく必要があると判断したフィオナは、彼女を連れてアロイスの元へと戻った。
しかし、そんな二人の前にセレシアが立ちはだかった。
「――フィオナ、あなたの企みを私が見過ごすとでも?」
「セレシア……!」
セレシアはフィオナの考えを最初から見抜いていた。
右手を顔の高さまで持ち上げると、彼女の瞳によく似た紫の光が現れた。
セレシアが対象に術をかけようとするときのポーズだ。
フィオナは咄嗟に後ろにいたドロシーに話しかけた。
「……ドロシーさん、気を強く保ってください」
「フィオナ様?」
セレシアの行動を不思議そうに見つめていたドロシーに、フィオナは問いを投げかけた。
「あなたの今の一番の願いは何ですか?」
「私の一番の願い……それは、養父母と夫の元へ帰ることです」
「育てのご両親や旦那さんに会いたいですか?」
「ええ、とっても……やっぱり私の両親はあの二人以外にはいません。夫のことも深く愛しています」
大切な家族を思い浮かべていたドロシーを前に、セレシアはチッと舌打ちし、術をかけることを諦めた。
フィオナはあの日、実際にセレシアの魔術にかけられそうになった。しかし、心を強く保っていれば術にかけられ支配されることはないと、彼女は学んだ。
「余計なマネを……」
「私たちは先に行かせてもらいます。殿下も人目がある中で変なことしないほうがいいですよ?」
フィオナはドロシーを連れてセレシアの横を通りすぎる瞬間、小さな声で呟いた。
「――あなたが魔女の一族だということがバレないように」
「……」
セレシアが魔女の一族であること。
フィオナはあの日、イザークから直接聞いていた。
イザークの話によると、セレシアは魔女の力を使い、アロイスの気持ちが永遠に自分に向くよう仕向けていた可能性が高いとのこと。
もちろんフィオナもアロイスもすぐに受け入れられることはできなかったけど、前世を思い浮かべたフィオナは妙に納得してしまった。
――前世、たしかにアロイスは死ぬまでセレシアを想い続けていたのだから。
「――フィオナ!」
「アロイス」
セレシアの前から立ち去った二人の元に、アロイスが駆け付けた。
相変わらず、会場中は大パニックに陥っている。この中に、皇帝を殺害しようとした犯人が潜んでいる。
次は自分がやられてしまうかもしれないという恐怖から、その場に崩れ落ちてしまう者までいた。
「皆さん、落ち着いてください……!」
フィオナは何とかその場を収めようと声を出すが、彼女がいくら言ったところで何も届かない。
大慌てで会場から出ようとする者同士がぶつかり合い、新たな怪我人が出る。
(ど、どうしよう……皇帝陛下もいない今、誰がこの場を……!)
もう一度声を上げようとするが、なぜか言葉は出てこない。
――そのとき、威厳に満ちた低い声が人々のざわめきを遮った。
「――皆の者、落ち着かないか」
「……!」
声のしたほうを振り向くと、イザークが壇上に立っていた。後ろには皇太子直属の騎士を数人引き連れている。
会場が一瞬で静まり返り、彼の声はよく響いた。
「この場にいる全員が見ていただろうが、陛下が毒を盛られて倒れた。これはれっきとした殺人未遂だ」
殺人未遂――その単語に、全員の表情が引き締まった。
「――たとえこの世界のどこにいようとも、皇帝陛下暗殺を企んだ愚か者を私たちは決して逃がしはしない。必ず犯人を捕まえる」
後ろにいた騎士たちが、腰の剣に手をかけて周囲を威圧した。
皇太子イザーク率いる皇室騎士団は、精鋭揃いで有名だ。
「イザーク殿下……」
フィオナは一瞬で場を収めた彼の雄姿を、しっかりとその目に焼き付けていた。
やはり、彼こそが次代の皇帝陛下に相応しいと――この場にいる全員が同じことを考えていた。
読んでくださってありがとうございます!
ブクマ、いいね、評価などしていただけたら励みになります!




