97 必要ない
剣術大会後のパーティーは、毎年二日間にわたって行われる。
ちょうど一日目を終えたところで、アロイスとフィオナは公爵邸に帰って行った。
アロイスと交際を始めた彼女はセレナイト家ではなく、以前住んでいたフェンダル公爵家に向かった。
「フィオナ、さっきのは一体どういうつもりだ?」
馬車の中で、アロイスが正面に座る彼女に尋ねた。
「あのままセレシアを放置しておくなんてできないでしょう?彼女、何をするかわからないし」
「それはそうだが……イザーク殿下と協力関係を結んだ理由は何だ?」
アロイスはイザークを信頼できないのか、理解できないという目で彼女を見た。
フィオナは彼の気持ちがわからないわけではなかった。彼女自身、少し前まではイザークを警戒していたから。
「セレシア側には皇帝陛下の嫡子であるドロシーさんがいる。彼女たちに対抗するためには、イザーク殿下の力が必要なのよ」
もちろん、イザークもドロシーが現れただけで皇位を諦めたわけではないはずだ。
味方は多ければ多いほど有利になるのはたしかなわけで。
フィオナはあの場で、自身がイザーク側に付く対価として、あることを提示した。
『殿下、私が協力するにあたって約束してほしいことがございます』
『何だ?』
皇太子相手に取引を持ち掛けるなど無礼な行為だが、イザークは受け入れるつもりなのか、言ってみろと目で合図した。
『――ドロシーさんと……他の皇子殿下や皇女殿下の命は助けていただきたいのです』
『…………何だと?』
フィオナの目的は、セレシアの企みを阻止するだけではなかった。
イザークが近い将来引き起こすこととなる、血の粛清。何の意味も持たない殺人を、フィオナは何としてでも止めたかったのだ。
当然、アロイスやアデライトは彼の未来を知らない。
フィオナの発言に、部屋の空気が重くなった。
イザークは鋭い目で正面に座る彼女を見つめた後、ゆっくりと口を開いた。
『…………そうだな。まぁ、俺の行動を邪魔しなければの話だがな』
『殿下……!』
かなり渋ると思っていたが、イザークは意外にもフィオナの望みをすぐに受け入れた。
フィオナの予想通り、彼は根っからの悪人というわけではなさそうだった。
『ありがとうございます、殿下……!』
イザークに対する印象が、彼女の中でほんの少しだけ変化した。
***
フィオナとアロイスが帰路についた後、皇宮では皇族たちが一堂に会していた。
謁見の間にて、皇帝は三人の妃と自身の血を引く子供たちを全員集めた。
「既に舞踏会で話したと思うが……我が娘のドロシーだ」
「……よろしくお願いします」
彼女の姿を見た第二皇妃が、眉をひそめた。
自身の息子である第三皇子を次期皇帝にしたがっている彼女からしたら、ドロシーの存在はまさに目の上のたんこぶ。すぐには受け入れられないだろう。
まだ幼い皇子や皇女たちは突然の家族の登場に、理解が追い付いていないようだった。
セレシアは誰にも気付かれないようにほくそ笑み、イザークは表情を変えていない。反応は三者三様だった。
「既に聞いているだろうが、私は彼女を皇太女にするつもりでいる」
その言葉に真っ先に反応したのは、皇位簒奪のために力を蓄えていた第三皇子だった。
「陛下、お言葉ですが……ドロシー殿下はまだ皇女になったばかりです。皇太女にするのはいくら何でも早すぎやしませんか?」
第三皇子はこの場にいる全員の気持ちを代弁していた。
ドロシーが皇帝になれるとは思えない。全員が思っていることだった。
しかし、いくら正論を言われたところでセレシアの魔術にかけられた皇帝の意思は揺らがなかった。
「だから何だというのだ?彼女は私と大切な前皇后の娘。正室の子が次の皇帝になるのは当然の話だろう」
「陛下……」
愛おしそうにドロシーの肩を抱く皇帝を、皇族たちは驚愕の目で見ていた。
そんなふうに誰かを愛せる人だったのか。当然、皇子や皇女たちは皇帝の寵愛を受けたことなど一度もなかった。
「……セレシアの術が効いているようだな」
一番後ろにいたイザークは、誰にも聞こえないような声で呟いた。
セレシアが魔女の一族であり、人の心を操る術を持っていることは彼だけが知っていた。
第三皇子は納得いかないと言いたげな様子で、皇帝に対して声を荒らげた。
「陛下、平民が皇帝になるなどあり得ません。国民たちはきっと猛反対するでしょう。大体、ドロシー殿下はまだ淑女教育すら受けていないではありませんか!」
「だからこれから受けさせると言っているではないか」
「他に後継者として相応しい者が多くいる中で、そこまで血筋にこだわる必要がありますか!?」
第三皇子の言っていることはごもっともだった。
他に跡継ぎがいないならまだしも、皇帝には十二人の子供がいる。中には高位貴族の母を持つ子もおり、全員がイザークやリラのように平民の母親から生まれたわけではないのだ。
しかし、そんな息子の切実な叫びを聞いてもなお、皇帝は冷酷だった。
「――黙らないか、みっともない」
「何を……」
皇帝は玉座から立ち上がり、第三皇子を見下ろした。
「私は皇帝として三十年以上もの時を過ごした。歴代皇帝たちに倣ってたくさんの女を後宮に迎え、多くの子孫を残した」
オランジュ帝国の歴代皇帝たちは、敷地内に建てられた後宮に多くの愛人を囲っていた。
現皇帝も慣習に従い、先代たちと同じように何人もの女と関係を持っていた。
「しかし、どれだけ自分の血を引く子を作ったところで私の心は満たされなかった。私の人生で唯一の過ちがあるとすれば……彼女を死なせてしまったこと――そして、彼女との間に子を成せなかったことだ」
いくら女たちと関係を持ったところで、彼が気持ちを抱いたのはただ一人だけ。
他の女性では、到底代わりなど務まらなかった。
「片方は取り返しがつかないが……もう片方は予期せぬ形で叶うこととなった――私の世界に、もうお前たちなど必要ない」
「……」
皇帝はそれだけ言うと、話は終わりだとドロシーを連れて謁見の間を出て行った。
残された皇妃や子供たちは、彼の発言にただただ呆然としていた。
「……あの人は相変わらずだな」
父の暴言に慣れていたイザークはもはやショックを受けることもないが、まだ幼い皇子たちは違う。
そしてその中でも、ひときわ強い怒りを覚えていた人物がいた。
「……アイツ、絶対許さねぇ」
握り締めた拳に力を込めて、怒りで身を震わせながら呟いたのは第三皇子だった。
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