80 セレシアの勘
突然のセレシアの登場に、フィオナは驚きを隠しきれなかった。
前世ではたしかに、彼女は一度も公の場に姿を現さなかったはず。
(……今回も絶対に来ないと思っていたのに)
フィオナがアロイスから離れたせいで、周囲の者たちも変化しているのだろうか。
彼女はドレスのスカートを両手で持ち上げ、礼を取った。
「……ご機嫌麗しゅうございまず、第三皇妃殿下」
「……」
セレシアは黙ったまま、頭を深く下げるフィオナの後頭部をじっと見つめていた。
関わりがなかった前世とは違って、先日話したことで既にお互いの性格は知っていた。そのせいか、フィオナはセレシアを前に警戒心を強めた。
「そんなに堅くならないでください、セレナイト令嬢」
「あ、ありがとうございます……」
恐縮するフィオナを前に、セレシアはウフフッと穏やかな笑みを浮かべた。
人の目があるせいか、前よりも彼女への接し方が柔らかいようだ。
「セレシア皇妃殿下がいらっしゃるとは思っていませんでしたので……驚きましたわ」
「ええ、本当のことを言うと、私も来るつもりはなかったんですの」
彼女は周囲に聞こえないように、フィオナに顔を近づけて囁いた。
「ですが、アロイス……いえ、フェンダル公爵閣下が大会に参加すると聞いていても経ってもいられなくなったんです」
「……そう、だったのですね」
どうやらセレシアが剣術大会の見物に訪れたのはアロイスがきっかけのようだ。
その選択をするのも当然だ、彼らはかつて深く愛し合っていたのだからとフィオナは納得した。
「フェンダル公爵閣下が参加するのは珍しいことですから……」
「ええ、久しぶりに閣下の戦う姿を見たいと思いまして」
”久々に見たい”
明らかにフィオナを煽る言葉だったが、彼女は気にするものかと心の中で言い聞かせた。
異様な雰囲気の中で本心を隠しながら話す二人を、ドロシーはきょとんとした顔で見ていた。
平民として、何の陰謀もない場所で育った彼女には二人の会話は到底理解できなかった。
―――そのとき、フィオナから視線を移したセレシアの瞳が、後ろにいた彼女を捉えた。
美しい青い瞳に見つめられ、ドロシーはビクッと肩を上げた。
とても綺麗で優しそうな人だけど、何だかその目が一瞬だけ鋭くなったような気がした。
「……」
黙って見つめるセレシアにドロシーが何も言えないでいたそのとき、開幕を知らせるラッパが闘技場に鳴り響いた。
気付かぬ間に、皇帝陛下を始めとした皇族たちが会場に到着していたようだ。
ラッパの音を聞いたセレシアは、残念そうにポツリと呟いた。
「……もうすぐ会が始まるようですね」
「ええ、殿下もそろそろ行かなければならないのでは?」
セレシアは何かを諦めたかのように、二人から背を向けて立ち去って行った。
彼女がこの場から去ると、ドロシーはほっと安堵の息を吐いてフィオナに尋ねた。
「フィオナ様、さっきのお方は……」
「セレシア第三皇妃殿下です。皇帝陛下の側室なので、無礼な真似はしないように」
「は、はい……」
何だか不思議な人だったな、とドロシーは去って行くセレシアの後ろ姿を最後にチラリと見た。
――あの人の青い目、何だか私に似ていたような?
***
フィオナとドロシーの前から立ち去ったセレシアは、侍女を引き連れて皇族専用の席へと向かっていた。
セレシアがこのような場に姿を現すのは、皇妃になってからは初めてだった。
彼女が参加を決めた理由は当然、アロイスだった。セレシアは彼の心を取り戻すことを、まだ諦めていなかったのだ。
――そのためなら多少の悪事はやむを得ない、とまで思い始めていた。
そんなことを考えながら早歩きで歩いていた彼女は、ある人物と遭遇した。
目の前から、見慣れた青い髪の男性がこちらへやってくる。
「……イザーク殿下」
それは、異父弟であり、剣術大会に出る予定の皇太子イザークだった。
セレシアとイザークが父親違いの姉弟であることを知っている者は、ほとんどいない。多くの者が二人は不倫関係にあると思っていた。
彼らは一瞬だけ視線を合わせると、特に立ち止まることもなく、それぞれの進行方向に歩き続けた。
すれ違う瞬間、口を開いたのはセレシアだった。
「……フィオナの隣にいるメイドらしき女、怪しいわ」
「……何だと?」
イザークにのみ聞こえるような小声でボソッと呟き、そのまま何事もなかったかのように通り過ぎていく。
予想だにしていない不審者の報告に、彼は思わずその場に立ち止まった。
「……」
イザークは視線をゆっくりと動かし、遠くに見えるフィオナの隣にいるドロシーを、しっかりとその目に入れた――
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