76 歪んだ愛の形 セレシアside
セレナイト公爵邸を出たセレシアは、寄り道することなく皇妃宮へ帰っていた。
今や彼女のものとなって六年が経つ、皇家の敷地内にある大きな宮殿。
そこでの暮らしは、セレシアにとっては快適だった。
皇帝に顧みられることもないせいで、他の愛人や皇妃たちから虐められもしない。ただ時々イザークが訪ねてきては、お互いの近況についてを話すくらいだった。
何もせずとも衣食住が保証されるその生活は、まさに楽園のようである。
皇帝はここへ訪れないように、彼女がきちんと術をかけておいた。だから絶対に、彼はここへはやってこない。
「久々に会ったけれど……やっぱり、何か気に入らないわね」
セレシアはついさっき話したフィオナのことを思い浮かべた。
久しぶりに会った彼女は、まるで別人のようだった。
――セレシアは、フィオナがどれだけアロイスを愛していたかをよく知っていた。
彼女が彼と交際していた頃、フィオナはいつも悲しそうな目でこちらをじっと見つめていたからだ。おそらくアロイス本人よりも、そのことを理解していただろう。
アロイスを心から愛しているが、気持ちを返してもらうことのできない惨めな女。
セレシアは彼女への同情心から、親切にしてあげたりもした。
『セレシアちゃんは……私やお母様のようにならないでね……優しくて思いやりのある男の人と結婚するんだよ……』
今は亡き祖母が、セレシアに遺していった最後の言葉だった。
後に知ったことだが、実は祖母も未婚の母の状態で子供を産んでいた。
そのため、母ミラリアは父親も知らないまま祖母に育てられたのだという。母娘揃って悪い男に引っかかってしまうとは、やはり血は争えないのだろうか。
「これも――として生まれた者の宿命なのかしらね……」
彼女は誰もいない部屋で、ポツリと呟いた。
セレシアは絶対に人を愛したりはしない。
母や祖母の最期を見た後では、誰かを愛する気になど到底なれなかった。
アロイスのことも、ただイザークに言われたから付き合っただけで、愛してなんていない。
ただ、彼は彼女の計画に必要な駒だった。アロイスを心から愛しているフィオナには悪いが、セレシアにとって彼ほど利用できる人間は他にいなかった。
――アロイスは私のものよ、絶対に他の誰かには渡したりしないわ。
もはや歪んだ執着ともいえるだろうそれは、セレシアの複雑な家庭環境が生んだ所有欲だった。彼女は異父弟であるイザークにも、似たような感情を抱いていた。
セレシアは、生まれつき誰かを真っ直ぐに愛することができない性格だった。
アロイスに抱いている感情も、イザークに抱いている感情も愛ではない。自分は誰かを愛することなんてできないからだ。だけど、彼らを他の女には渡したくなかった。
(アロイスは永遠に私だけを想い続けていればいいのよ。イザークも恋人なんて必要ないわ)
彼ら二人は、私のためだけに存在しているんだから。
セレシアは祖母を亡くしてから、久々に優しくしてくれたアロイスとイザークの二人に執着するようになった。
だからこそ、彼女はフィオナとアデライトの存在をどうしても許せなかったのだ。
アロイスはフィオナに気持ちがあるようだし、周囲には気付かれていないがイザークもアデライトに婚約者候補以上の情を抱いている。
(だけど……アデライトの方は上手くいったようね。イザークはあの女を遠ざけているし)
彼らから二人を引き離すために、セレシアが暗躍していることは誰も知らない秘密だ。
「そうね……アロイスの心を乱すあの女は早々に排除するべきだわ……何か、弱みでも握れればいいんだけれど……」
次のセレシアの標的になったのはフィオナだ。
愚かなフィオナや他の貴族たちはまだ気付いていない。
――本当に恐ろしいのは、イザークよりも彼の陰に隠れたセレシアであるということを。
そのとき、突然部屋の扉がノックされた。
「――セレシア殿下、どちらに行かれていたのですか!?」
「……」
怒りに満ちた顔で部屋に入ってきたのは、彼女の教育係だった。
セレシアは皇妃ではあるが元平民なため、淑女教育を教える講師が付けられていた。もっとも、セレシアからしたらただ口うるさいだけのおばさんだったが。
「殿下、前にフェンダル公爵閣下とお会いしたそうですね?しかも自分から話しかけたとか!」
「……どうしてあなたがそれを?」
セレシアは眉をひそめた。
たった数日前のことだというのに、何故そのことを彼女が知っているのか。
(もしかして……私のことをずっと監視していたの?)
ただ男と会っているというだけなら、そこまで問題ではなかった。
だが、相手が彼女の元恋人のアロイスともなれば話が違う。
皇帝の妃になったのだから、そのような浅はかな行動は控えろ――そう言いたいのだろう。
「セレシア殿下、聞いていらっしゃるのですか!?」
「――アンタ、ちょっと黙ってなさい」
「!?」
セレシアは教育係の肩を強く掴み、至近距離でじっと目を合わせた。その力は、華奢な彼女から出されたとは思えないほど強かった。
「――私の行動に口出しするな、今後一切」
彼女の青い瞳がギラリと光った。
しばらくすると、教育係は生気が抜けたかのように白い顔で頷いた。
「…………はい、承知致しました」
「わかったなら早く行きなさい」
彼女は抵抗する素振りも見せず、淡々と指示に従って部屋を出て行った。
――まるで、何らかの魔術にかけられたかのように自らの意思で行動することができなくなっていた。
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