70 アロイスとセレシア
その日、アロイスはたまたま用があって皇宮へ登城していた。
用はとっくに済ませたはずなのに、彼は真っ直ぐに邸へ帰ることなく、生まれて初めて皇宮の庭園に足を踏み入れていた。
色とりどりな花で埋め尽くされたその空間を、アロイスはただ歩いていた。
彼は無意識に綺麗だな――とポツリと呟いた。
何でも第二皇妃が花好きで、手入れを命じているのだという。
彼がこの場所にわざわざ来た理由はただ一つ。
「たまたま彼女も皇宮に来ていて、ばったり庭園で遭遇したり……なんてこと、あるわけがないか」
そう、彼はフィオナに会いたかった。
可能性は低いが、皇宮に来ているかもしれないと思ってわざと寄り道をしたのだ。
ブラブラ宮内を歩いていれば、もしかすると会えるのでは?なんて淡い期待を抱きながら。
当然そんな奇跡のようなことが起きるわけはなく、彼は誰もいない庭で立ち尽くしていた。
そういえば、前にフィオナに花を贈ったっけ。女性は花を贈られると喜ぶと聞いた彼は、急いで侍従に用意させたのだ。
(今までフィオナにプレゼントなんてしたこと無かったな……)
少し前までは、自分の傍に永遠にいてくれることが当たり前だと思っていたのだ。
何故そのような傲慢であり得ない考えを抱いていたのか、彼は自分でもわからなかった。
(あのときの俺は、本当にどうかしていたようだな……)
何か、不思議な術が解けたかのように今は思考がクリアだった。
そのとき、彼は背後から突然声をかけられた。
「――アロイス、久しぶりですね」
「……?」
顔を上げると、そこにいたのはセレシアだった。
彼の元恋人であり、初恋の女性。少し前までは、熱烈に愛していたはずの人だった。
彼女と会うのは実に六年ぶりのことだった。
セレシアは六年前、皇帝の側室として後宮へ上がってから一度も表舞台に姿を現さなかったからだ。
彼女は彼が愛したあのときのまま、何も変わっていないようだった。
強いて言うなら、長かったブロンドの髪が少しだけ伸びただろうか。相変わらず、社交界の華とまで呼ばれた美しい姿を保っていた。
――だが、今彼女を前にしたところで、アロイスの心が動かされることは無かった。
アロイスにとってセレシアは過去の人。その一言に尽きる。
(そういえば、前も俺の屋敷を訪ねてきたっけ)
キースとリラの婚約披露パーティーが開かれたときのことだった。
セレシアがいきなり、アロイスのいるフェンダル公爵邸を訪れたのだ。
『皇妃殿下が、一体何の御用でしょうか?』
突然の訪問に驚きはしたものの、彼は彼女を公爵邸に迎え入れた。先触れも無くやって来るのは礼儀に欠く行動ではあったものの、相手が皇妃である以上強く出ることはできない。
『ずっとお会いしたかったんですよ……アロイス』
『……』
セレシアは頬を染め、上目遣いで彼を見上げた。
その姿はまるで初恋の少女のようで、アロイスは困惑した。
それと同時に、胸からこみ上げてくるモヤモヤとした不快感。
これ以上彼女といると危ないと思ったアロイスは、すぐにセレシアを皇宮に帰した。
(……セレシア)
だが、こうやって彼女と再び会うことになるとは想像もしていなかった。
あれだけ恋焦がれていたはずのセレシアだったが、今の彼にとっては過去でしかない。
アロイスは胸に手を置き、軽くお辞儀をした。
「第三皇妃殿下、お久しぶりでございます」
「そんな風にかしこまらないでください……私とあなたの仲なんだから」
セレシアはにこやかな笑みを浮かべ、アロイスとの再会を喜んだ。
「そういうわけにはいきません、皇族相手に無礼を働くことなどできませんので」
「あら、そう……」
彼の冷たい態度に、セレシアは切なそうに目を伏せた。
「前はゆっくり話せなくてショックだったんですよ。あんな風に突然帰されては……」
「……お互いの立場上、あまり深く関わらない方がよろしいかと」
片や皇帝の妃、片や同世代の未婚の公爵。
それだけではなく、彼らは元々恋人という関係だった。
一緒にいるだけでもあらぬ噂を立てられてしまうのは、容易に想像できる。
しかし、セレシアはそんなこと気にもしていないようだった。
「――そんなこと言わないで、アロイス」
「……何を」
彼女は急に近付いてきたかと思えば、彼の手を両手で包み込んだ。
涙を目に浮かべながら、彼女は悲痛な面持ちで訴えた。
「私たちがどれだけ愛し合っていたか……忘れたというんですか?」
「セレシア……」
彼が心が動かされているように見えたのか、セレシアはニヤリと口角を上げた。
しかし、それはセレシアの誤解だった。
「全て過去の話だ。君は今、皇帝陛下の側室であり、俺たちの関係はとっくに終わっている」
「そ、そんな……」
アロイスはセレシアとの間に線を引いた。
彼女を前に感じたのは熱烈な愛情ではなく、元気そうでよかったという安心感だった。一度も社交界に姿を現さないから、病気で寝込んでいるのかもしれないと心配していたが、そうではなかったようだ。
むしろ、彼が彼女と交際していた頃よりも良い暮らしを送っているようだった。
伯爵家の私生児から皇妃になったのだから、当然だろう。皇帝や他の皇妃たちに酷い扱いを受けているわけでもないようだし。
アロイスの言葉はむしろ、セレシアのためを思ってのことだった。皇帝の妃が他の男と関係を持っていることがバレれば、姦通罪となり死刑、良くても生涯幽閉は避けられない。
アロイスはセレシアにそのような思いをさせるわけにはいかなかった。
幸い彼女は皇帝とは親子ほどに歳が離れている。
皇帝が死に、新しく皇子が即位すれば、皇妃という立場からも解放される。
「私は行きます、このようなところを他の者に見られるわけにはいきませんから」
「アロイス、待って……!」
セレシアはアロイスの腕を掴もうと手を伸ばしたが、その手は彼によって振り払われてしまった。
恋人同士だった頃を思えば、それは信じられない行動だった。
「……」
セレシアは去って行くアロイスの背中をじっと見つめていた。
「……どうして……どうして私の術が効かないわけ……?」
彼女は悔しそうに唇を噛み、血が滲み出るほどに拳を強く握りしめた。
二度も拒絶され、もはやプライドはズタズタだった。
何故、自分の術が効かないのか。
答えが出るまで何度も思考を巡らせた末、彼女は一つの結論に辿り着いた。
「そうよ……全部あの女のせいよ……あの女がアロイスを誑かしているんだわ……」
セレシアの脳裏に、過去に自分を羨望の目で眺めていた一人の女の姿が浮かんだ。
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