68 温かい家庭
フィオナが目を覚ましたのは、パーティーから丸一日経った夕方だった。
「お嬢様……!お目覚めになられたのですね……!」
「……」
目に涙を浮かべ、感激した様子の侍女。
フィオナは一瞬、何が起きているのか理解できなかった。
それからすぐに両親と兄が部屋を訪れ、無事でよかったと彼女は理解も追い付かずに抱きしめられた。
眠りに就く前の記憶が、かなり曖昧だった。焦ったようなアロイスの顔だけは何となく覚えているものの、その後のことが全くわからない。
「フィオナ。あの日、気を失ったお前をアロイスが連れて来たんだ」
「……アロイスが?」
やっぱり、彼が私をここまで連れてきてくれたんだ。
最後に見た顔が彼だったから、何となく予想していたことだった。
そこでフィオナは、みっともなく彼の前で泣き喚いたことを思い出した。
感情をコントロールする方法はきちんと身に着けていたはずなのに、どうしてあのときはそれができなかったのだろうか。
彼の胸に抱きしめられたあの日の記憶が、今になって鮮明に蘇った。
当然、彼に抱きしめられたことなんてほとんどない。
「ねぇ、アロイスは……」
「もうここにはいない、自分がいるとフィオナを困惑させてしまうだけだろうと昨日帰って行った」
「……そう」
どうやら、アロイスはすでに公爵邸にはいないようだった。運んでくれたことへのお礼と、非礼を詫びようと思っていたが、それはまだ先になりそうだ。
そこで、突然前に出たのはこれまでずっと傍観に徹していたキースだった。
「フィオナ―――アロイスはお前に何をした?」
「お兄様……」
キースはアロイスがフィオナに何かしたせいで、彼女が倒れたのではないかと疑っているようだった。
そんな事実は無いし、むしろ無礼な真似をしたのはフィオナの方だった。
「お兄様、違うの。アロイスは何もしていないわ。ただ……ちょっと疲れていて、眠っちゃったのよ」
「……本当か?」
キースは完全には信じられない様子だったが、最終的には納得させることができた。
「ええ……だから、アロイスを責めないでちょうだい」
「……そうか」
彼は事実確認だけをすると、部屋から出ようとフィオナに背を向けた。
扉に手をかけたキースが彼女の方を振り返った。
「――リリアーン侯爵令息がお見舞いに来ているそうだ」
「……準備をするので、少しだけ待ってもらってください」
両親は無理をしなくていいと言ったが、せっかく来てもらったのに行かないわけにはいかない。
フィオナは侍女に手伝ってもらいながら、寝間着からドレスに着替えた。
カイルを迎え入れる準備を素早く済ませると、侍女の案内を受けた彼が部屋に入ってきた。
室内にあるソファで、二人は向かい合って座った。
「――あのパーティーで突然倒れたと聞いたから、驚いたよ。もう体は平気なのか?」
「ええ、心配をかけてごめんなさい。もう大丈夫だから、あまり心配しないで」
カイルはあのパーティーでフィオナがアロイスに会ったことを知っているだろう。
あんなにも人目のある場所で起こった事件だったため、知らないのはあり得ない。
しかし、彼はそのことを追及しなかった。
それに対してフィオナもまた、悲しくはなかった。
――その事実が、二人がお互いに抱いている感情を如実に表していた。
フィオナと目を合わせるカイルの瞳が、彼女と同じように揺れている。
そのような瞳は、心に迷いが生じている者にしかできないことだった。
そういえば、最近噂で何度か聞いたことがあった。
カイルの元婚約者が、頻繁に彼の邸を訪れているのだと。
もし、それが事実であるのならば、きっと彼もまた――
「君が無事でよかったよ……これからは、あまり無理はしないでくれ」
「……そうするわ」
アロイスと向かい合ったときとは何もかもが違う。
たしかにカイルはフィオナにとって良き婚約者であったし、大切な友人でもあった。だけど、彼を前にしても彼女の胸が脈打つことも、愛おしいという感情が腹の底からこみ上げてくることも無い。
それが意味することはただ一つ。
「…………ごめんなさい」
「……フィオナ」
――カイルは、彼女の涙の意味に気付いたようだった。
当然だ、彼もまた似たような感情を抱いていたのだから。
彼はソファから立ち上がり、涙を流すフィオナをそっと胸に抱きしめた。
年下ではあるが、同じ傷を分かち合った同士であり、親友のような存在のフィオナの泣いている姿を見ていられなかった。
彼女は黙ったまま、彼の胸に抱きしめられていた。
「フィオナ、私が最初にした約束を覚えているか?」
「……ええ」
フィオナは彼の胸に抱かれながら、頷いた。
「絶対に浮気をせず、君だけを見つめ続けると……」
「覚えているわ、カイル」
彼は愛は誓わなかったが、絶対にフィオナを不幸にしないことを誓った。他の女性と関係を持たないということも。
もちろん、フィオナも彼のその言動を疑ってはいなかった。
「――私たち、きっと温かい家庭を築けると思う」
「……」
ちょうど、フィオナ自身もカイルと同じことを考えていたところだった。
彼となら、幸せになれるのではないか。人並みの生活を送り、可愛い子供を産み、穏やかな関係を築いていけるのではないか。
彼女はそう信じて疑わなかった。
たとえ、そこに愛が無かったとしても―――
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