67 彼の優しさ
アロイスはフィオナの腕を掴んだまま、人混みをかき分けてグングン進んでいく。元より、彼に触れられることなどほとんど無かったせいか、トクンと胸が高鳴った。
(違う……こんなの私じゃない……)
彼女はその胸の鼓動に、気付かないフリをした。
そのまま人目のない会場の外へ出ると、アロイスはようやくその手を離した。
(わぁ、星空がとっても綺麗……!)
夜空で無数に輝く星の下に、フィオナはアロイスと向き合った。
彼の黒い髪が、夜の空と同化していた。青い瞳は美しく、空で光り輝くどの星よりも綺麗だとフィオナは感じた。
「アロイス……どうしてここに?」
――セレシアの元へ行ったはずでは?
そう聞きたいのに、喉がつっかえたかのように声が出ない。
彼本人にセレシアのことを聞くのは、フィオナにとっていつも勇気がいることだったのだ。
「……キースとは昔からの知り合いだし、俺も来たかったんだよ。まぁ、招待はしてもらえなかったから……ちょっと人には言えないような方法で中に入ったけどさ」
「……」
アロイスはシーッと人差し指を口元に当てながら、照れ臭そうに笑った。
前世でよく見た貼り付けたような笑みではなく、幼い少年のような笑顔だった。
まだ、フィオナが彼と仲が良かった子供の頃によく見せていた笑みだ。
どうして今になってそんな顔をするのか、とフィオナは彼から視線を逸らした。
これ以上いたら、もしかすると危ないかもしれない。そう思ったフィオナは、すぐにでもこの場から立ち去りたかった。しかし、何故か足は動きそうになかった。
結局、フィオナは逃げ去ることもできないまま、アロイスと向かい合っていた。
周囲に人は誰もいない。お互いがお互いだけを見つめている、二人だけの世界に入り込んだかのような気分だった。
フィオナは、頭一つ分大きいアロイスを見上げた。
いつの間にか、自分よりもずいぶん背が高くなったものだ。時の流れというのは恐ろしいなと、いつも思う。
「……さっきは助けてくれて、ありがとうね」
「……あれくらい、どうだってことはない」
アロイスは嬉しそうに笑いながら言葉を返した。
前までは敬語だったのが、今は砕けているのがよほど嬉しいようだ。こんな風に話していると、まるで仲の良い友人だったあの頃に戻ったようだった。
「お前が望むなら、いつでもヒーローのように目の前に現れてやろう」
「……そんな、ただでさえ忙しいんだから」
アロイスは数年前に父親から爵位を受け継ぎ、フェンダル公爵家の当主として家の全てを担っていた。
彼をサポートする公爵夫人の座も空席であり、毎日忙しい日々を送っていると聞く。
そんな彼に、余計な苦労をかけるわけにはいかない。
しかし、アロイスは遠慮するフィオナに気にするなと笑いかけた。
「今までなかなか気にかけてやれなかった分……今度は俺がお前を助けたいんだ」
「アロイス……」
それくらいは大目に見てくれないか?と、彼は切なげな表情で付け加えた。
たとえフィオナが彼の気持ちを受け入れようが受け入れまいが、彼は彼女に恩返しをしたかった。そのような心情に、フィオナ自身も気付いたのだろう。
「気持ちだけでも、とっても嬉しいわ……」
フィオナはそう答えるので精一杯だった。
あの日のように、彼を拒絶することもできず、だからといって受け入れることもできない。
そんな自分が情けなくてたまらなかった。
あんなに辛い目に遭い、絶対にアロイスと一緒にならないと誓ったにもかかわらず、何故こんなにも心をかき乱されるのか。
――もしかして、私は未だに彼を愛してるというの?
あんな目に遭ったのに?あんなに惨めな思いをしたのに?
どうして、私はいつも―――
そのことを考えると、とても辛い気持ちになった。
「ウッ……ウウッ……」
「フィ、フィオナ!?」
我慢の限界を迎えたかのように目から大粒の涙を流すフィオナに、アロイスは狼狽えた。
自分が何かしてしまっただろうか、と酷く不安になる。彼女はそんな彼のことなど無視し、ただ泣き続けた。
「この馬鹿!どうしてそんなに私のことを翻弄するのよ!三十年前からずっとあなたはそう!」
「さ、三十年!?俺たちが出会う前だし何なら生まれる前だけど……」
フィオナは子供のように泣き喚きながら、彼の胸をドンドンと拳で叩いた。
殴られるたびに体が痛んだが、彼女が受けた痛みに比べればそんなものはどうだってこともなかった。
むしろ、そうすることで彼女の心が楽になるのならば、好きなだけ殴り続けばいい。
アロイスは何も言わず、ただその拳を受け止めた。
しばらくすると、フィオナの攻撃は突然止んだ。
かと思いきや、今度は突然彼のシャツを握り、胸に顔をうずめた。
「あなたのこと、本当に好きだったのよ、私……」
「フィオナ……」
震える声で紡がれたその言葉に、アロイスまで泣きそうになってしまった。
彼とて、彼女の気持ちに気付いていないわけではなかった。ただ、知っていながら知らないフリをしていたのだ。
「でも、あなたは別の女性を選んだじゃない……私になんて目もくれなかったでしょう?」
「そんなことは……」
ない――とは言い切れなかった。
たしかに彼はセレシアだけを一途に見つめていた時期があった。今思えば何故あそこまで彼女に夢中になっていたのかわからないくらいに、熱烈な恋をしていた。
アロイスは震えるフィオナの体を抱きしめた。
彼よりもずっと華奢な体で、どれだけの苦しみに耐えてきたのだろうか。想像することもできず、ただただ胸が締め付けられた。
今はただ、抱きしめることしかできない。
自分にはそんな資格すらないのではないかと思うが、それでも泣いている彼女を放っておくことなどできるはずがない。
「フィオナ……」
「アロイス、私はあなたを……」
ひとしきり彼の胸で泣いた彼女は、だんだんと遠のいていく意識を何とか保っていた。
しかし、相当疲れが溜まっていたのか。遅いかかる疲労感に耐えることができなかった。
「私は、もう二度と……あんなに惨めな思いは……したく…な……」
「―――フィオナッ!!!」
アロイスは、倒れる彼女の体を受け止めた。
最後に感じた温もりを最後に、彼女は完全に意識を手放した――
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