ぼくのおねえさま7
仕込みは上々……といったところだろうか。
この後に起こることを思い浮かべて、僕はゆるりと微笑んだ。
計画にあたって、まずどうしたらお姉様と一緒に寝られるのかというのが重要な点だった。
ローズ嬢の秘蔵本曰く、これを既成事実という。
それをするためには、まずどうあれ「一夜を過ごす」というのが肝心だった。
「お泊まりしてもいいですか?」なんて十六歳になった僕が公爵家にお願いしても同室にはなれないし、お姉様に単純に王宮に泊まってもらうには理由がないし……。
どうしようかなと思っていたときにふと王家主催の舞踏会があるのを思い出した。
そういえばヴァーノンが、お姉様がワインに酔って云々とか言ってた。
そうだ、お姉様にワインを飲ませよう。
確か、お酒は飲みすぎると眠くなるんでしたっけ。
でも、お姉様がどれくらいお強いのか分からないし、お酒の好みも分からないし。
上手く飲ませるにはどうしたらいいか……。ヴァーノンに聞くわけにはいかないし。
つらつらと考えていて思い付いたのが、セザール兄上に相談するってことだった。
そういえば、お兄様はワインがお好きなので女性におすすめのワインを知っていらっしゃるかもしれない!
わざわざお時間を取らせるのは手間だったので、手紙を書いた。文面はこう。
“セザール兄上へ。
お忙しいところ失礼します。突然ですが今度の舞踏会のとき、僕も立派にお姉様をエスコートしたいと思っています。何事も万全に迎えたいと思っています。つきましては兄上に教えていただきたいことがございます。もし女性にお飲み物を差し出すとき、どういったものが良いのでしょうか。僕はお酒がまだ飲めません。お姉様はお酒がお好きだと聞いたのですが、お姉様が好きそうなお酒を教えてほしいのです。後、出されるお酒の見分け方なども教えてくれたら嬉しいです。舞踏会までもうあまり時間はありません。急なことですから、お忙しい兄上がお手透きのときでいいのでお返事くださると嬉しいです。”
手紙を出したら即日返事が帰ってきた。
“可愛い末弟イレールへ。
手紙をありがとう。気遣ってくれて申し訳ない。本当は会って話した方が良いのだろうが、あいにくと時間をとるのが難しい。別紙に今回提供されるワインのリストをつけておく。上から順に女性に人気の高い物に並べかえてある。なお名前の横にかいてあるのは度数だ。度数が高いほど酔いやすくなるから気を付けるように。それとさらにその隣に書いてあるのは、当日そのワインを給仕する担当者の名前だ。参考にするといい。お前にとっては初めての舞踏会だ。アンリエット嬢をそうやって気遣おうとするのはとても紳士的だから、これからもその心意気を忘れないように。”
……最後の一文で思わず目をそらしてしまったのは悪くないと思う。
ごめんなさい、兄上。
イレールはお姉様を陥れるためにこんな回りくどいことをしているのです。
なんともいえない罪悪感に支配されながらも、とにかくこれで「偶然、お酒に酔われてしまったお姉様を介抱する」という体裁が整えられる。
これで計画の初動は上手く行く。
次に浮上する問題はムーリエ公爵への言い訳。
仮にもご令嬢を王宮に泊めるので、公爵にはきちんとお伝えしないといけない。
うーん、と腕を組み、首を捻り、視線を巡らせたけれどなかなか妙案は浮かばず。
あの厳しい公爵をどうやって納得させるか……なおかつ、お姉様に叱責が飛ばないようにする必要もあるわけで。
……無難に僕がお酒の加減がわからず飲ませ過ぎたという姿勢で行くべきか。この際少しくらいのお小言は甘んじて受けるしかたないと腹をくくった。
部屋の方も変に疑われないようにその時空いているゲストルームを使う。口も固くて計画に協力してくれる侍女を一人選んでおいた。何かあったときにサポートしてもらわないといけないですから。
ここまで考えて、僕は笑いが込み上げそうになる。
後は実行するだけ。
臨機応変にはなりますが、計画はそれなりのものだと思ってます。
「……殿下、顔がゆるんでいる。その様子なら、初の社交界でも余裕で終われるか」
ヴァーノンに言われて、表情を引き締めた。いけないいけない、気を抜いていました。
もう後数刻で舞踏会が始まる。今は衣装を着替える前の一服の時間だった。
このお茶が終われば、いよいよ初めての舞踏会用の盛装に袖を通すことになる。緊張しない訳じゃないけど、計画に意識を取られていたのが幸いかガチガチに固まるってことがなかったのが救いです。
声をかけてきたヴァーノンをちらと見る。いつもの青の騎士服ではなく、白の騎士服を着ていた。青雲のときと違って、眩い白が彼の落ち着いた黒髪を映えさせて、金の瞳を装飾めかしている。
癪にさわるので本人には絶対に言わないけど、その顔立ちとあいまって、十中八九周囲からは美丈夫だと思われるに違いない。
その姿を見て溜め息しかでない。
どうしてヴァーノンがこの格好でここにいるんでしょうか。
「何故、私の顔を見てため息をつく」
「ヴァーノンが護衛の顔をしてここにいることが解せないなぁと」
「午後からは舞踏会があるから非番扱いでな。青雲も警備に忙しくしているだろうと、彼らの手が空くまでは好意で護衛を交代しただけだ」
「これ何て言うんでしたっけ、越権行為でしたっけ? 僕の護衛はもうヴァーノンのお仕事じゃないでしょうに」
僕は呆れてぼやくように言ってやる。
つい数日前、叙任式があった。
その叙任式でヴァーノンは青雲騎士団から白陽騎士団へ移動、さらには騎士団長への抜擢までされたのだ。
白陽騎士団のお仕事は王都の治安維持と周辺地域に出没する魔獣の討伐。貴人の護衛は青雲騎士団の仕事であって、白陽騎士団の仕事じゃない。
曲がりなりにも騎士団長クラスの人間が直接護衛にあたるのは王である父上か、王太子であるセザール兄上くらいだ。騎士団が違えども、僕にヴァーノンとか不釣り合いになる。
「兄上のところへ行かなくていいんですか」
「あいつの所にはパトリックがいるからな。挨拶は舞踏会が始まってからでも十分だろう」
「そうですか」
僕が何言ってもヴァーノンはどこ吹く風な様子なので意味がない。前から知っていたけど。
もう一つため息をついてヴァーノンを見る。
息もつまるので、さっさと本題にはいってもらいましょう。
「……それで、なにか思うことがあって来たんじゃないですか。青雲騎士団も忙しいとはいえ、僕の護衛ができなくなるほどじゃないでしょう。わざわざ護衛を引き剥がしてまでごり押しして僕の護衛についたのはどうしてですか」
叙任式の前に僕の護衛の引き継ぎはとっくに終わっていた。今はカルヴィンが僕の専属護衛だ。
ヴァーノンのことだ。青雲騎士団の忙しさに見兼ねてなんて優しさで手を差しのべるわけがない。例年やっていることだから、人手が足りなくて火の車なんて状況ではないことは知ってるはず。
それならどうしてわざわざ護衛を買って出たか。
こんな忙しい日に面会の手続きをとるなんて、それこそ青雲騎士団の負担になりかねないのを見越した暴挙なのではと思う。つまり、僕に会うために裏技を使ったってことじゃないのかな。
「大したことじゃないんだがな」
「大したことじゃないならここまでしないでしょう」
今度こそ本当に呆れて僕はヴァーノンを見やる。自室のソファに腰かけてお茶を飲んでいたけれど、零れないようにティーカップはテーブルに戻した。
ヴァーノンは護衛らしく、でも話しやすいようにソファから適切な距離をとって立っている。
「……予想はしていると思うが、アンリエット嬢についての話を、な」
ヴァーノンにしては珍しく歯切れの悪い言葉。
何が言いたいのか察してはいたけれど、僕はゆっくりと彼の言葉を待つ。
一つ大きく深呼吸をして、ヴァーノンは意を決したかのような真剣な表情になった。
「俺はこれを気に、アンリエット嬢とは線を引くつもりだ。異動も決まり、アンリエット嬢と会う機会もなくなる。殿下のお陰で、予定よりも長く彼女と過ごせたが、ここが潮時だ。彼女は貴方の婚約者だ。今まで散々貴方を蔑ろにしてきたことを、改めて謝罪する」
膝を折り、深々とヴァーノンは頭を下げる。
僕に向かって。
僕はそれをじっと見つめた。
謝罪なんて本当は必要ない。それでも改まって言うのは彼なりのけじめなのだろう。公的に謝罪することも出来るけど、それをしないのは僕がお姉様の立場をおもんばかっているからこそ。
「……顔をあげてくださいヴァーノン」
でも、だからこそ、僕はその謝罪を受け入れたくない。
「ヴァーノンに問います。僕は貴方の口からまだ聞いていない言葉があるのです。ヴァーノンは、お姉様を愛していましたか」
ヴァーノンがゆっくりと顔をあげる。
動揺の色は見えない。
泰然と構えて、僕を見据えてくる。
その言葉を聞くのが怖い気がした。
それでも問うたのは僕だ。
じっと身を固めて彼の言葉を待つ。
たっぷり三十は数えただろうか。
ヴァーノンが、僕の問いに答える。
「……一目惚れだったのだろうな。誰にも見えていないかのように声をかけられずに、それでも美しく佇む彼女が妖精のように見えた。彼女に会うたびに常に彼女が消えないように見つめ、妖精の世界に帰らないようここに繋ぎ止めるのが自分の使命と思うようになった。彼女から愛を請われれば、彼女を繋ぎ止められるんじゃないかと錯覚するほどに」
普段は揺らがない金の瞳に、熱が浮かぶ。
同性の僕でもどきりとするくらいの色気が、滲み出す。
「彼女の愛を請おうとした。彼女を満たすために自分の全てをかけて恋をした。それだけだ」
ヴァーノンは再び口を閉じた。
僕は目を細める。
「それは、答えになっていないですよ」
「知っている。だが、俺はその言葉を言うつもりはない。彼女にすら一度も囁かなかったその言葉。それを囁くのは俺じゃない。───貴方だ、イレール殿下」
なんて良い笑顔で笑えるのだろう。
その言葉だけで十分だった。
ヴァーノンは、僕が想う以上にお姉様を愛しているに違いない。それは確信だった。
お姉様がヴァーノンに惹かれる理由の一つなのかもしれない。ヴァーノンは言葉にしなくとも、その身をかけてお姉様を満たそうとした。
お姉様がヴァーノンに絶対の信頼を預けているように見えるのは、ヴァーノンがお姉様を全身で愛したから。
僕は、ヴァーノン以上にお姉様を愛し、満たさなければならない。
その覚悟に震え、膝の上に置いたこぶしを握りこむ。
───やっぱりまだ、ヴァーノンには敵わない。
彼はこのまま身を引くつもりだ。
僕は一度目をつむる。
そうはさせない。
勝ち逃げは許さない。
貴女に傾いたお姉様の心を、全て僕に向けてもらうためにも、僕は彼から学ばないといけないことがまだまだあるのだから。
「……ヴァーノンの言いたいことは分かりました。人を愛するということはとても複雑なんだということも」
もう一度ティーカップを引き寄せて唇を湿らせた。
熱い紅茶。お姉様の熱い吐息を思い起こす。
「ただし、僕はお姉様の悲しむ顔を見たくありません。なのでお姉様がヴァーノンに目移りする間は付き合ってもらうので、そのつもりで」
有無は言わせない。
謝罪なんかで終わらせない。
ヴァーノン、貴方の前で僕がお姉様を誘惑するのを楽しみにしていてくださいね。




