ぼくのおねえさま6
お姉様の唇はふっくらと柔らかくて。
舌先でなめとった蜜は芳しくて。
ヴァーノンに侵されるその恍惚とした表情には背筋に言いようもない衝撃が走った。
ぺろりと舌で、触れたはずの唇を湿らせる。お姉様の吐息はとても熱かった。
「……おい、誰かこれ変わってくれ! おっさんにはきつい!」
「せんぱーい、頑張って下さーい。まだ三十路じゃないからいけるでしょ」
「くっそマテュー、裏切りやがって!」
一瞬、マテューへの罵倒に気をとられたカルヴィンに向かって一歩踏み込んだ。
急所に向かって木剣を突きだす。
昔は重く感じた木剣も、今では自分の体のように軽く感じられる。
突きだした木剣は、カルヴィンがかろうじて体を横へ傾けることで避けられ、さらに下から跳ね上げられるように剣を弾かれる。僕はその動きに会わせて後退した。
「誰かヴァーノン呼んでこい!」
「先輩~、ヴァーノン先輩はセザール殿下にお呼ばれしてるのでまだ戻りませんよ」
「知ってた!」
カルヴィンが涙目になりながら剣を防御のために構えた。
そんなに警戒しなくてもいいのに。
木剣を軽く振って持ち直すと、僕はもう一度カルヴィンに飛び込む。
力業では体格いいカルヴィンには勝てないので、手数を増やして打ち込む。
剣を何合か打ち合って、ふと師匠の言葉を思い出す。体を使え、全身が武器だ。
頭の片隅にある冷静な部分が試してみろと判断する。
剣を打ち込み、視線はカルヴィンの手元を見ながら、流れる動作で足払いをかける。
「チッ!」
カルヴィンが舌打ちをして重心を保つ。
足払いが失敗して、僕が体勢を整える前にカルヴィンの剣が僕の首もとでピタリと止まった。
「……負けました」
残念、やっぱり僕の腕じゃ、騎士にはまだまだ届かないですね。
「お手合わせありがとうございました」
今日はヴァーノンがセザール兄上に呼ばれて朝の鍛練ができないからと、青雲騎士の知り合いを呼んで模擬試合をするように言われていた。
相手になってくれたのはカルヴィンなんだけど、やっぱり現役騎士。経験の差か、なかなか一本とれなくて悔しい。
「殿下、お強くなりましたねー」
「まだまだです。カルヴィンから一本取れなかったから」
「いや、十分お強い。ローラン殿下はともかく、セザール殿下すら越えてるんじゃないか?」
「本当ですか?」
お世辞だとは分かってるけど、カルヴィンの言葉は素直に嬉しい。カルヴィンは青雲騎士団でも五指に入るから、その言葉には価値がある。
「ったく、驚いた。久しぶりに手合わせしたが、ここまでとはな。油断したら一本取られちまう。さすがヴァーノンの教え子だな」
「足払いが決まってたら、体勢は崩せたんですけどねー。殿下、今度狙うときは脛を狙うといいですよ、脛。先輩みたいにガタイのいい奴は体重も重いから足払い程度じゃ重心を崩さないんですよー。だから嫌がらせのごとく脛を狙うんです。骨に響いてめっちゃ痛いんで」
「分かりました!」
タオルと水筒を渡してくれながらマテューが助言をくれた。なるほど、脛も急所だ。
心に書き留めて、僕は二人を振り返った。
「ヴァーノンに勝つには後どれくらい強くならないといけませんか」
水筒の水を飲み下して聞くと、カルヴィンがタオルを首もとに巻いて顔の汗を拭きながら唸る。
「ヴァーノンかぁ……あいつ前線に出てた頃は敵無しだったからな。ここ数年も武術大会に出てこねぇし……実際のところは分からんが、まぁ殿下があいつに稽古つけてもらってる内は勝てねぇだろうよ」
「それじゃぁどうやったら勝てますか」
「別の人に師事するしかないだろ。殿下が勝てない理由の一つに、稽古をつけているうちに殿下の癖をあいつが網羅してるってのがあるからな」
「癖、ですか」
カルヴィンの言いたいことは分かった。
つまり、僕のことをよく知っているから手の内を読みやすいということ。それじゃ確かに、ヴァーノンに師事している内は勝てない気がする。
でもそれじゃ駄目なのです。
僕は、ヴァーノンよりも強くならなければ。
見た目だけではなく、内面も磨いて、ヴァーノンのように、いえ、ヴァーノンよりも格好よくならねばならないのです!
「はぁ……ヴァーノンより格好よくなるには後どれくらいかかるんでしょうね……」
「殿下、ヴァーノン先輩に憧れてるんですか?」
「まさか」
マテューがとても的はずれなことを言ったので、すっぱりと否定する。
確かにヴァーノンは容姿は素晴らしい方だと思うし、剣の腕もあるし、仕事もしっかり出来るしで尊敬は出来ると思う。
でも憧れはしません。
お姉様があまりにもヴァーノンばかり甘えるので、その座を奪い取るためにヴァーノンを目指してるだけなんですから。
「先日、お姉様から昔話をされたのです。話によると、僕は昔ヴァーノンみたいに格好よくなると約束したみたいで。今の僕ではまだまだヴァーノンには及ばないというのが分かったのが悔しいのです」
「なるほどー。それでヴァーノンより格好よく、強くなるですか」
「これは密かな僕の計画なので、ヴァーノンには内緒ですよ」
唇に指を当てて、マテューに内緒の合図をする。マテューは「いいですよー」と笑って流してくれた。
「まぁ、確かにヴァーノンを目指せばアンリエット様の好みには近づけるだろうがなぁ……」
ぼそぼそとカルヴィンが複雑そうな表情で何事かをぼやく。
でもすぐに僕をまっすぐ見据えると、カルヴィンはポンっと頭に手を乗せてきて、小さい頃のようにぐしゃりと豪快に頭を撫でてきた。カルヴィンの握力、腕力が無駄にあるせいで、頭がゆーれーるー。
「殿下、何でもかんでもヴァーノンに師事するよりもなぁ、どこかで出し抜けるようにならんといかんぞ」
「出し抜く?」
「そうだ。このままだとずっとヴァーノンの後ろだぞ? 最終的にはヴァーノンより前に行きたいんだろ? ヴァーノンが苦手なこととか、まだやってないことでアンリエット様にアプローチしてみればどうだ?」
「カルヴィン天才ですね!」
そうですよ!
なんでもかんでもヴァーノンを追いかけるようにお姉様にアプローチしても新鮮味はありません!
それならば僕にしかできないことをして、お姉様に意識してもらうのも一つの手ですね!
「カルヴィン、どうやったらお姉様に男として見てもらえるでしょうか」
「そうだなぁ、俺も恋愛とはとんと無縁だったからなぁ。おいマテュー、なんか良い方法はないか」
「うぇぇ?」
カルヴィンがマテューに話題を振ると、マテューが気の抜けた返事をする。彼を見ると、ちょっと混乱しているように首をかしげていた。
「えーっと、ヴァーノン先輩を倒す話からなんでアンリエット様を落とす話になってるんです?」
「……話の流れ的に?」
カルヴィンが苦々しく告げた。
そうだった、ヴァーノンとお姉様の秘密の関係は内緒のお話なのです。
普段なら話題がころころ変わっても気にしないのに、どうしてマテューはこんなときに限って目敏いんだろう……。
「それでマテュー、殿下になにか良い助言はないか」
「助言っていったって……自分も先輩同じく恋愛経験値低いんですから、聞くだけ無駄ですよー」
「お前結婚してるだろうが」
「結婚してますけど、政略結婚ですしー」
「まさに殿下とアンリエット様と同じ状態じゃないか」
「いやいやいや、お二人ほど仲良くないですー」
マテューがぶんぶんと首を振って答える。そういえばマテューは去年結婚したんでしたっけ。カルヴィンが「先を越された」と結婚式の二次会でやけ酒して泣き叫んでいたってマテューから聞いたなぁ。
「政略結婚でも、お前ら仲良いだろ。何かきっかけとかはなかったのかよ」
「きっかけ……あ、そういえば」
マテューが何かを思い出したようににこりと笑った。それはそれは、とても楽しそうに。
「初夜の後からは打ち解けましたー。夫婦の力ってすごいですねー、自分のお嫁さんが可愛く見えます」
「ちょ、おまっ、真っ昼間から何言ってやがる!」
「えー、先輩が教えろ言ったんじゃないですか。ね、殿下?」
「少なくとも殿下の前で言うには下世話過ぎるわ!」
ごつんっとカルヴィンの拳骨がマテューに飛んでいった。マテューが頭を抑えてうずくまる。
それを横目に、僕は顎に手をやって考える。
ふーむ、初夜。
「……初夜を迎えると、相手に対する意識はそんなに変わりますか?」
「変わりますよー。自分だけに許された、特別な時間ですから」
「殿下! マテュー! 話題を選べ!」
「一通り初夜の作法は教えてもらっていますが……そんなに良いものなんですか?」
「だって想像してくださいよー。夜、二人で親密な時間を過ごして、朝には二人で体温を感じながら目覚めるんです。好きな相手じゃなきゃそんなの無理でしょ。朝、お嫁さんが恥じらいながらも微笑んでくれたときには、自分は心から受け入れてもらえたんだって思いましたね」
マテューはしゃがんで頭を抑えたままだけど、顔だけこちらに向ける。にこにこと満面笑顔で、幸せそうだ。
僕はまだ婚姻前なので、お姉様との初夜はまだまだ遠い。
あんまり参考にはならないかなぁ。
「マテュー、猥談はや め ろ」
「どこが猥談ですかー。こんなんで猥談とか言ってると、恋人と手を繋いだだけでも卑猥とか思っちゃいますよ。あっ、分かった。先輩もしかしてその年で童貞ですか? だからこっちの話題恥ずかしいんですかー?」
「よーし、マテュー。次はてめぇの番だ。ぼろ雑巾になるまでしごいてやるから構えろ」
「ちょっ、先輩それ真剣! 訓練なら木剣使いましょうよ!」
「うるせぇ覚悟しろ!」
わぁわぁとあっという間にカルヴィンがマテューに斬りかかる。マテューはすんでのところで自身の腰の剣を引き抜くと応戦をし始めた。
それを眺めながら、頭の中で計画を立てていく。
実際の初夜を迎えるのは難しいけど……それっぽいことをすれば、お姉様の意識もがらりと変わるはず。
以前ヴァーノンから借りたローズ嬢秘蔵の女性向けの物語の中に度々あった一場面を思い出す。実現不可能じゃないから、やるだけやってみる価値はある。
そうなると後はその機会をどこで設けるかと、どうやってその場面に持っていくかですかね……これはなかなか入念に下準備が必要です。
それに、ヴァーノンを出し抜くので彼の手は借りれません。
題して「朝、目が覚めたら大人の君が隣にいた」作戦。
お姉様、待っていてください!
もうすぐ大人の僕が迎えにいきますので!




