ぼくのおねえさま3
「……考えるまでもなく、俺に利があるか」
お姉様を誘惑する方法を教えてもらう代わりに、お姉様とヴァーノンの関係を秘匿する。
ヴァーノンはどうやら取引に応じてくれるようで、ソファに深く腰かけたままちらりとこちらを見た。
「で? 誘惑の方法を教えろというがどうやって教えればいい」
「ヴァーノンがお姉様と二人きりの時に何をしているのかを教えてくれればいいですよ」
それを参考に、僕なりにお姉様を誘惑する方法を考えればいい。そっくりそのままでは味気ないし、僕はヴァーノンではないから。
ちゃんと分かっているんだ。お姉様は「ヴァーノンだから」ああいった可愛らしいところを見せるんだって。
ヴァーノンは、ふむ……と腕を組んで視線を宙へと投げ掛ける。
「沢山あるが……全て語ると時間がかかる。手短に彼女が悦ぶことを教えよう」
「それは何です?」
喜ぶことか。それは是非とも教えてほしい。
ヴァーノンは宙へ視線を投げ掛けたまま、泰然と構えて話し出す。
「彼女は耳元で囁かれるのが好きだな。二人で話しているとき、不意に彼女に囁きかけると、嬉しそうに声を返してくれる」
「囁くだけでいいんですか?」
「とびきり甘くな」
ヴァーノンが唇の端を吊り上げて挑戦的な笑みを浮かべる。む、何が言いたいんですか。
「言葉も選べ。女性が好きそうな物語に出てくるような歯の浮く台詞は効果的だな。その辺りは普通の女性の好みと変わらない」
え、そんな恥ずかしい台詞をヴァーノンはお姉様に言ってきたの?
「……そういう台詞が思いつかないんですけど」
「女性の好む物語を読めばいい」
「……読んだんですか」
「昔、世話になっている伯爵の末娘にせがまれてな」
ここは触れてほしくなかったのか、ヴァーノンは殊勝に肩を竦めてしまった。
必要に迫られてというか、せがまれてってどういう状態なんだろう。
ヴァーノンが世話になっているという伯爵といえばクラヴェリ伯爵だろうか。その末娘は僕より五つも下……あ、もしかして読み聞かせとかをしてあげたとか?
ヴァーノンが女性の好きそうなロマンチックな物語を読み聞かせ……そ、想像するだけで面白い。いったいどんな顔をして読み聞かせてあげたんだろう。
ヴァーノンから目をそらして口元をおさえる。こうでもしないと歪む口をみられてしまいそうだ。
「……ほう」
氷のように冷ややかな声が響く。お腹にずしりとたまる低い声は、ヴァーノンの心情をこれでもかと物語る。
「殿下、俺のことを師匠と呼んだな」
「え。ええ、そうですが」
「アンリエット嬢に関して、指導してほしいとも」
「はい」
「二言はないな?」
「……」
「ないな?」
…………なんだろう、嫌な予感がします。
そっとそらしていた視線をヴァーノンに戻せば、彼は長い足を組んで、意地悪そうな笑みでこちらを見ていた。顔は笑っているけど、目が笑っていない。
ごくりと息を飲むと、ヴァーノンは面白そうに僕に告げた。
「───次の非番に、ローズ嬢お気に入りの物語を持ってこよう。それを音読していただく」
僕は顔がひきつる。
この顔をしているときのヴァーノンは、本気だ。
◇◇◇
コンコンコン、とノックをして入ると、簡素な部屋の奥の執務机で仕事をしているセザール兄上の視線が上がり、目が合った。
兄上は微笑むと再び手元に視線を移す。
「よく来たな。これで終わりだから少し待ってくれ。そこのソファに座っていろ」
「はい」
言われたソファに腰かける。ヴァーノンがソファーの少し後ろに控えた。
セザール兄上は書類に目を走らせ、何事かを書き込んで、ようやく椅子から立ち上がった。首をぐるりと巡らせながら副官に仕事の指示を出し、こちらの向かいのソファへ座り直した。
副官がお茶を出して、セザール兄上のこなした書類を抱えて部屋を出ていく。王太子の執務室にはセザール兄上、僕、ヴァーノンの三人が残る。
兄上に呼ばれ、ヴァーノンによる日課の朝稽古を切り上げてきたばかりで少々喉が渇いていた。早速、注がれたお茶をいただいた。
ようやく春へと移り変わろうとする季節だからか、外はまだ肌寒い。鍛練後で体が温まっているとはいえ、それは表面的なこと。注がれた熱いお茶を口にすれば、体の芯まで温め直してくれた。
「さて……稽古中、呼び出してすまなかったな」
「いえ。何かご用があるから呼び出したんですよね?」
「そうだ」
セザール兄上は神妙に頷く。なんだろう、何か重要なことなんだろうか。
いや、セザール兄上がわざわざ事前に連絡もなく呼び出すくらいなんだ。だからきっと重要なことに決まっている。これは気を引き締めなければ。
姿勢をただしてセザール兄上の言葉を待っていると、兄上は重たげに口を開いた。
「イレール、今年からお前も社交界に出ることになっているだろう」
「あぁ……はい、そうですね」
「社交界に出るということは、すなわち大人になるということを意味する。社交界デビューに合わせ、お前にも仕事をしてもらうようになる。その引き継ぎ、人事の異動などについて話しておこうかと思ってな」
社交界デビューはまだ数ヶ月先のことだ。かといって半年もない。
遠いようで近い将来のことに、自然と背筋が伸びる。
王族といえど、今まで僕は子供だった。難しい国の話は勉強していたから聞き齧っていたけれど、いざ自分がその枠組みの一つに混じるとなると緊張もする。
今、この国の王子は僕を含めて三人。
王位継承権一位のセザール兄上は王太子としてもう既に立太されている。
継承権第二位で第二王子のローラン兄上は外交官の取りまとめ役として国家情勢の面からセザール兄上の補佐をしている。
ようやく大人になる僕も、ローラン兄上同様、将来的には何かしらセザール兄上の補佐につけるような役職につけるように手配がされると思う。
王位争いとはほぼ無縁な今の情勢ではそれが当然のように受け入れられるし、僕としても兄上を支えたいから文句はない。
セザール兄上の手助けができる期待が半分、緊張半分で、ごくりと喉をならした。
「そんな堅くならなくていい。イレール、お前には白陽騎士団に入ってもらう。そこで騎士の基本を学べ。俺が国王となる暁には、騎士団統括の座に相応しくなれるように、日頃から励んでおけ。これは父上の意向でもあるから、王命だと思って励め」
「は……はい!」
てっきり僕もローラン兄上と同じく文官として何かしらの補佐をするのだと思っていたけれど……まさかの武官で面食らった。
文武両道というように、僕はそれなりに自分の頭脳を信頼してるし、剣の心得もそこそこあると思ってる。お姉様に少しでも格好いいところを見せたくて勉強を頑張ったし、毎日毎日ヴァーノンには鬼のようにしごかれてるし。
だから武官としてセザール兄上を支えるという選択肢がなかった訳ではないけれど……ちょっと驚いた。
僕は武官のトップとして、この国をまとめあげられるのだろうか。
少し不安になる。
「白陽ですか……僕、魔獣と戦ったことがありません。少し、不安です」
「知っている。万が一もあるから、俺の一存でイレールは前線には出ないようにする。融通を聞かせられるように、父上にも進言済みだ。それに伴い、ヴァーノンに辞令がでる。お前を白陽騎士団団長に任ずることが決まった。正式な拝命はいつ頃になるのか後日伝えるが、そのつもりでいろ」
僕の騎士団入団に伴って、ヴァーノンが騎士団長に……なんという職権濫用かと思い、思わず苦笑してしまった。
「そんな突然の人事、反発が出ませんか?」
「突然ではない。白陽騎士団長にヴァーノンを据えるのは前々から考えていたことだ。そのためにお前付きにして箔をつけさせてやったんだ」
「……俺よりも相応しい奴がいると思うがな」
今まで無言を貫いていたヴァーノンが苦虫を噛み潰したような表情をしながら言う。珍しい、ヴァーノンがこんな顔をするなんて。
「白陽ほどの実力主義の騎士団のお眼鏡に叶うやつはそうそういないから諦めろ」
「パトリックがいるじゃないか」
「残念だな、英雄は青雲騎士団長に任命する予定だ。活発だった魔獣の動きもここ一年で落ち着いた。近い内に青雲騎士団に移動させる」
騎士団長の任命には父上───セーヴル国王の王命が必要だけれど、一騎士の移動程度なら、騎士団統括であるセザール兄上の一存で決められる。
兄上の脳内では将来的に、僕を騎士団統括、ヴァーノンを白陽騎士団長、英雄パトリックを青雲騎士団長にするための布石が描かれているんだろう。
英雄パトリック。
六年前に現れた大型魔獣を筆頭に、ここ数十年……いや百年単位で稀に見る魔獣の異常発生に終止符を打った人。
僕と同じでヴァーノンに師事していたというから、つまりは僕の兄弟子だ。
そこでふと疑問が浮かぶ。
「兄上、ヴァーノンが青雲騎士団長、パトリックが白陽騎士団長じゃ駄目なんですか?」
今現在、ヴァーノンは青雲騎士団、パトリックは白陽騎士団に所属している。わざわざ、所属を変えてまで騎士団に任命する必要はないと思うけれど。
「色々と理由がある。一番は私にとって都合が良いというのが理由にあげられるがな」
そう言って、兄上は理由を指折り数え始める。
「一つ。青雲と白陽の気風の違いだ」
青雲騎士団は近衛の役割を果たすので、実力はもちろん、それなりに家柄も重視される。自然と騎士団長も家格がそれなりにある方が軋轢が小さくてすむ。
反対に白陽騎士団は魔獣討伐や王都警備が主任務となり、なかなか荒事が耐えない。そのためか完全実力主義と言っても良いほど、騎士団内での実力が重きに置かれる。
そうなると、実力はあるけれど没落してしまった田舎貴族であるヴァーノンは青雲での評判が悪いため、青雲には向かない。パトリックはその辺り、伯爵家というそこそこの家格をもっている上、貴族間の顔も広いため、王族や貴人の警護に対する対外的な安心感も得られるということだ。
あまりよろしくはない風潮だけれど、家に対する信頼が必要なのが、青雲騎士団というところだ。
「二つ。騎士団の事務仕事の差だ」
これは前々からセザール兄上がぼやいているという話だ。
白陽騎士団はその実力主義のために平民でも騎士になれるし、それなりの武勲を立てれば騎士団長にまでなれてしまう。ただし、事務処理能力が圧倒的に足りないらしい。
事務員を雇うほどの事務仕事があるわけではない。
ただ、必要な書類や報告書が他の騎士団と比べて悪目立ちしてしまうほどにひどいものが多いらしい。
その点でいうと、ヴァーノンは書類仕事もそつなくこなせるし、一人でなんでもできてしまう。パトリックは文字は美しく書けても書類全般の事務仕事が苦手らしいから、事務には向いていないらしい。
つまり、ヴァーノンを白陽騎士団に放り込めば、白陽の事務関係の悩みをひとまず抑えられるし、パトリックも青雲騎士団ならば文官としてもやっていけられるような優秀な副団長を補佐に事務関係を片付けられるのではないかというのが、セザール兄上の考えらしい。
「三つ。イレール、お前の事はヴァーノンが一番よく知っている。騎士団での方針は、それに合わせられるから、王族としてあり得ないというほどの無茶をすることはないだろう」
僕が入団するのに合わせてヴァーノンが騎士団長になる。
さっきも兄上が仰っていたけれど、融通が利かせられるのが一番大きな利益なのかもしれない。
なるほど、兄上はよく考えているなと思った。
これくらいだろうか。
主だった理由はだいたい上げられた気がする。これ以上思いつかない気がするけれど……でもまだセザール兄上は理由があるようで、指をもう一つ折った。
「それから四つ。今は私が騎士団統括だが、ゆくゆくはイレール、お前が騎士団統括になる。その時、どっちの方がやりやすい?」
言われて、はたと考える。
どっちの方がやりやすいって……。
ヴァーノンが白陽騎士団でパトリックが青雲騎士団。
ヴァーノンが青雲騎士団でパトリックが白陽騎士団。
……青雲騎士団に不安はないけれど、白陽騎士団はどうだろう。
英雄を担ぎ上げて血気盛んな騎士たち。士気は高いけれど、魔獣の大量発生も落ち着いた今、そのやる気の矛先はどこにもない。
生きた英雄がそこにいる。それだけで士気は上がるけれど、戦争に備える訳じゃないから、士気をあげすぎてはいけない。
つまりは、そういうこと。
パトリックを、血の気の多い白陽から引き離すためでもあるということかな。
僕はほぅ……と息をつく。
「さすが兄上です。沢山考えていらっしゃるのですね」
「はは、この年になるともうそんな風に誉めてはもらえないからなんだか新鮮だ。イレール、お前もいずれはこうやって物事を決める立場になる。感心するだけではなく、実際に下した俺の判断についてもどうしてこうなったのかとよく考えておくことだ」
「はい」
セザール兄上の一挙一足をよく見て学ぶ。王太子という以前に、兄上は現在進行形で、セーヴル国騎士団統括の地位にいる。
いずれ、僕が辿り着くであろう場所に、兄上はいらっしゃるのだ。
僕ももうすぐ大人になる。
これは、大人になるための準備運動。
大人になったら何が変わるのだろう。
あまり実感はわかないけれど……大人になったら、お姉様は僕のことを子供のように扱わなくなるでしょうか。
セザール兄上から聞いた今後の展開を反芻しつつ、僕はその片隅で愛しい人のことを想った。




