ぼくのおねえさま2
闇のように黒い髪を一つにくくって、獣のような金の瞳でこちらを静かに見ている騎士に、僕はソファに座るようにすすめる。もちろんお茶も。
騎士は訝しげにこちらを伺った。
「急にどうされたのですか」
「かしこまらないでいいですよ。今は護衛のヴァーノンじゃなくて、個人的にお話ししたいだけです」
公私の区別をしっかりと分けるヴァーノンに笑いかける。
昔はもっと砕けていた気がするけど、気がついたら護衛の時になると敬語になっていた。鍛練の時は師匠なので堅い口調にはならない。厳しくするためなんだろうけど。態度でもわかる通り、鍛練中のヴァーノンは容赦がないから。
ヴァーノンを座らせて、人払いをして、見張りにカルヴィンを付けて。
そこまでは簡単だけど……さてここからどうやって切り出そう。
今日はもう夜遅い。カルヴィンにお願いして、お姉様を送った後、確かに騎士団にも寄っていたヴァーノンを呼んで貰った。本来なら夜番じゃないヴァーノンはこれで帰宅だったわけなんだけど……ちょっと残業してもらう。
僕との取引って言う残業をね。
「ヴァーノン、今日のお姉様も可愛かったですね」
カップに指をかけながら、にこにこと笑えば、ヴァーノンは嘆息する。
「それがどうした。明日の鍛練の時にでもまた聞いてやる」
僕の望み通り砕けた言葉で答えてくれるヴァーノン。幼い頃からの付き合いなので、私的な空間ではお願いすればこうやって気軽に話してくれる。
「明日にするよりも、今日お話したいことがあって」
「なんだ」
「んー、お話というか、お願いというか」
「だから何を」
煮え切らない僕に、ヴァーノンが目を細める。睨むような威圧感はない。たぶんこれは面倒くさがってるかな。
だから僕はそのままずばりと言ってみることにした。
「ヴァーノン、取引しましょう」
にっこりと微笑んでやれば、ヴァーノンは眉間に皺を寄せる。
「……取引?」
「そうです、取引です」
「取引と言われても、俺には差し出す物などないが……」
「嫌だなぁ。引き合いに出されるのは形あるものだけじゃないですよ」
情報だって価値がつけば取引材料になる。そんなの、政界では当たり前だ。父上だって、兄上だって、そんな不確かな取引を毎日のようにやっている。
僕はゆらゆらとティーカップを揺らす。中身がたぷんと揺れて波紋が伝わっていく。
心当たりがないのか、分かっているのかは分からないけれど、ヴァーノンは顔色を変えずに黙っている。じっと僕の顔を見つめて、こちらの様子をうかがっている。
むー、そんなに警戒しなくても良いと思うんですけど。
でもたぶん、ヴァーノンからはあの事には絶対に触れないと思う。
だって他に知られたらとんでもないことだと分かっているはずだし。際どいことをしていたけれど、他に見られても問題ないように計算している余裕がありそうだし。
だからこちらから取引材料を全て提示していこう。
僕は無邪気に笑って見せる。
「僕が取引してほしいのはお姉様に関することです」
「アンリエット嬢?」
「そうです。ヴァーノンって、お姉様と特別親しいですよね。僕なんかよりも」
「気のせいだ」
顔色一つ変えずに答えるヴァーノンに、僕は頬を膨らませて抗議する。
「嘘です。それじゃなきゃ、お姉様が退出した後のアレはどう説明するんですか」
「アレとは?」
「中庭に面した回廊で、ヴァーノンがお姉様に口付けているのを見ました」
「あれは目に入ったゴミを取ってやっただけだ」
やっぱりヴァーノンは逃げる。
ふふ、それは予想済です。
それに、他の人ならともかく、僕の前では取り繕う必要なんてないから、このことはさらりと流してもらって構わないし。
「まぁ、ヴァーノンがお姉様に本当に口付けたのかどうかはさておいて」
「……」
カップをテーブルに置き直す。
まっすぐとヴァーノンを見つめれば、彼は無表情にこちらを見ていた。
すごいポーカーフェイス。僕もあれぐらい感情を消せれるようになればいいんだけど……僕には似合わないから、今まで通り腹の内を隠して笑みを浮かべるのが一番かな。
そんなことを頭の片隅で考えながら本題を口にする。
「どうやったらお姉様にあんなお顔をさせられるのか教えて下さい」
「……顔?」
こっくりと頷く。
「ヴァーノンといるとき、お姉様は僕には向けない表情をされるでしょう? 僕はそのお顔が見たいのです。お姉様がされる表情、仕草、全て余すことなく見たいのです。こんなに長くいても、僕の知らない表情をお姉様はヴァーノンの前でしていらっしゃいました。それを僕はもっと見たいのです」
うっとりと、夢見心地に浮かべていたあの表情。いつもお優しくて、しっかりとしているお姉様が、ヴァーノンには甘えたようなお顔をされていた。
それが、羨ましい。
「ヴァーノンにだけ見せる表情なら、今まで通りお姉様に接してもらって構わないです。僕に内緒にしていたことはこれ以上追求しませんけど、その代わりに、僕の前でも同じように振る舞ってくださいね。外でやられると大事になったときに困りますし」
「……それは、どういうことだ」
ようやくヴァーノンが言葉を返した。
さっきまでにはなかった威圧感が滲み出てきてるけど、これくらいは平気だ。鍛練中の殺気の方がよっぽど怖い。
「僕はお姉様がヴァーノンに甘えるお顔が見たいのです。それに、二人の関係が明るみに出てお姉様が僕の婚約者から外されたり、ヴァーノンがお城に来れなくなったら困ります。だからお姉様とヴァーノンが一緒にいられる場所を提供するので、僕にヴァーノンが知っているお姉様の可愛らしいところを教えてほしいのです。それが取引です」
とびっきりの笑顔を浮かべてみる。
これが、僕の本音。
お姉様を、ヴァーノンを、不道徳だとか不誠実だとかで断罪するのは誰でもできる。でも、そうやってお姉様が僕の側からいなくなってしまうのは嫌だし、ヴァーノンが糾弾されて、何かしらの処分を受けて、あの可愛らしい顔をしなくなってしまうのも嫌だ。
それなら、僕が保護して、僕の前で思う存分可愛い顔をしてもらいたいじゃないか。
ヴァーノンによって引き出される表情なら、ヴァーノンがいないとしてもらえないんでしょう?
「僕はお姉様の可愛いお顔が見られ、お姉様もヴァーノンも危ない橋を渡る必要がなくなる。一石二鳥ですね!」
念を押すように言い募れば、ヴァーノンは大きく息をついた。膝の上に肘を置いて、下を向いている。
「どうしました?」
「いや……少し前まで俺のことを狡いと言っていた殿下はどこにいったのかと」
「ふふ、大人になったんですよ。僕にとっての最大限の利益が何かを考えた結果です」
僕にとっての最大幸福、最大利益。
それはお姉様という存在。
彼女の側にいられるなら、僕は手段なんて選ばない。
「……嫉妬は、しないのか」
「嫉妬していたから、今まで邪魔をしてきたんじゃないですか」
できるだけお姉様と僕だけが二人きりになるように、ヴァーノンに命じてあれこれと応接室から退出するように仕向けた。
昔、それをやって「力がないうちは護衛のために聞き入れられない」と叱られたけれど、今はなんとか頷かせることができる。僕だって、遊びで剣術を習っていた訳じゃないからね。いざとなったらお姉様を守りつつ、自分の身を守ることくらいできる。
「ならば、なぜ今ごろ」
「さっき言ったじゃないですか。お姉様がヴァーノンにだけ見せる表情が見たいって。現場を目撃して危機感を覚えたのはありますけど、それはヴァーノンに対してではなくてお姉様がいなくなってしまうかもしれないということに対してです。それに、お姉様は僕のお姉様です。駆け落ちなんてしたら、それこそ最果てまで追っ手をかけますが……」
しないですよね?
笑って牽制をかける。
駆け落ちの可能性はあるけれど、普通の貴族と違ってお姉様は公爵家の出身だし、僕は王族だ。
やろうと思えば、世界の果てまで追いかけることができる。
逃げ場なんて無いことは、たぶんお姉様がよく知っているんじゃないかな。
ヴァーノンがソファに深く座り直す。背中を預けて目をつむった。
「元々期限付きだ。殿下に知られたのなら、ここが潮時だ。そんな提案をされずとも、俺が身を引けばいいだけだろう」
「え、駄目です」
ヴァーノンの眉がぴくりと動く。
片目だけ開かれて、何を言っているのかと言わんばかりにこちらを射ぬいてくる。
「ヴァーノンがいないとお姉様の可愛いお顔が見られないじゃないですか」
「ここは普通、他の男を排除するべきであり、己の力で好きな女性を口説くべきなのではないか?」
言外に非難を含むような声音。
確かにヴァーノンの言葉も一理あるけれど、僕にはそれが難しいんだ。
「お姉様は僕のことを男として見てくれませんよ。ヴァーノンがいる限り」
男、という役割はヴァーノンが果たしている。もちろん、お姉様は僕が婚約者であることは忘れていないと思うけれど、普段の様子を見ているといつだって子供扱いだ。年が離れているから仕方ないけれど。
今の僕にはそこから脱する術が思い付かない。
キス程度なんて、いつも挨拶がわりにしかしてないから、そこで意識してもらうのも難しいし。一足飛びで大人の階段を上るには飛ばしすぎるし。
「……俺がどうこうではない。殿下の姿勢の問題だ」
「僕もできるだけお姉様の気を引こうと思っていますよ? いずれはお姉様がヴァーノンにだけ見せる表情を僕に向けてもらうのが目標です」
だから。
僕はヴァーノンに頭を下げる。
「お姉様を誘惑する方法を教えて下さい、師匠」
先人の言葉を大切にしなさい、人生の先輩の話はよく聞きなさい、年上に倣いなさい、と皆言う。
だから恋愛の作法も、師匠に倣うのが道理だ。




