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騎士と猫のような妖精11

「それでは殿下、失礼しますね」


アンリエット嬢が退室してくる。

普段なら待機している護衛のうちの誰かが送っていくが、今日くらいは俺が行かせてもらう。


「私が送っていこう。他の者は引き続き護衛を」


目配せすればマテュー含め、護衛は何も言わずにこっくり頷く。心なしかマテューの顔がひきつっているような気もするが、気のせいか。


「では行こうか」


護衛達から視線をアンリエット嬢に向ける。視線が一瞬交わるが、彼女は表情を変えなかった。さすが公爵令嬢、仮面の被り方が徹底している……いや、それこそ俺が見ていたものが愛想という仮面だったのかもしれないが。


黙々と歩くと、様々の感情が浮上しては沈んでいく。


貴女は誰のものだ───殿下のものだ。

貴女が想うのは誰だ───殿下のはずだ。

あの夜の言葉は───幻聴か。


あの夜の出来事は本当は夢だったのではないかと、そればかりが思考を支配する。


もやもやしたままでいると、ふと魔が差した。

この廊下は美術品として石像が並び、客をもてなす仕様となっている。

この辺りに誰の気配もない。


今なら。


彼女の腕を取る。

少し強引に彼女を石像の影に連れ込み、彼女の姿を隠す。

意識の片隅では常に気配を探り続けた。誰にも、これを見られてはならないと戒めるために。


「ちょっと何……っ」


彼女を上向かせ、首に巻かれたスカーフをほどく。しゅるりとした衣擦れの音が耳に心地よい。


スカーフに隠されていた、俺の証を暴く。


日が経っていることと、化粧でだいぶ薄れてはいるようだが、そこにはあの夜の出来事の証明がしかと刻まれていて。


「良かった、夢ではなかった……」


ほっと安堵する。

あれは夢じゃない。確かにあの瞬間、俺たちは想いあった。その事実があった。


一人で満足していると、彼女はこちらを睨み付ける。あぁ、怒った表情も愛らしい。


「いきなり何をするのよ! こんなところで、人に見られでもしたらどうするの!」


彼女の頬が怒りからか赤く染まっている。

人に見られるようなヘマはしないが……謝罪と共に本心を伝える。


「すまない。貴女があまりにも平然としているから、あの夜、懇親会の夜が幻のように思ってしまった」

「全く、何を言うかと思えば。お父様に知られないように誤魔化すの大変なのよ。こんなうっかりすると見えるところにつけないで」


……見えないところなら良いのだろうか?


そう思い、彼女の髪を掬う。

見えないところ───うなじならどうだろう。


たっぷらとした金糸をすくう。

ふんわりと彼女の香りが広がった。ワインの香りがしない、純粋な彼女の匂い。


気がついたら、すくった彼女の髪を顔に近づけて、胸いっぱいに吸い込んでいた。あぁ、彼女の匂いだ。アルコールの香りがなくとも、酔ってしまいそうになる。


「ちょ、ヴァーノン……っ」

「見えないところならば、付けて良いのか」

「そ、そういうわけにはいかないでしょう! 後、においを嗅ぐのもやめなさい。恥ずかしいわ」


恥ずかしいのか……頬を紅潮させて懇願する彼女を見下げれば、理性が砕けそうになる。駄目だ、それだけは。


渋々、彼女の髪を離す。そんな表情をさせて、俺の理性を破壊されたらたまらない。


髪を離すと、彼女はスカーフを俺から取り上げて巻き直し始める。俺の証が、隠されていく。


「貴女は酔っていたときの方が、素直で愛らしいな」

「ごめんなさいね。素面(しらふ)の時は理性がきちんとあるもの」


ふと、彼女はどこまで俺を受け入れてくれるのか気になった。

理性があるから俺を拒絶する。それは仕方ない。彼女にも立場がある。


だが、彼女の言葉を聞いてしまった俺に、それを堪えろというのは残酷ではないか?


俺だって、貴女を想っているのだから。


だから、その線引きギリギリまでを見極めさせてほしい。

その他大勢と同じは嫌だ。かといって殿下を越えようとは思わない。


だからせめて、貴女の中に俺だけの立ち位置を。


「一つだけ、確認させてほしい」

「なぁに」


口にした言葉は思っていたよりも低かった。

彼女がこちらを見上げる。


「貴女はどこまでなら、俺を受け入れてくれる」


俺の言葉に、彼女は一瞬驚いたようだった。

そしてゆるゆると表情をゆるめ、うっとりと夢見心地な表情をする。


あぁ、その表情。そんな表情をしないでほしい。胸が苦しくなる。

貴女に、俺はどれ程の夢を与えられるのか、願いを叶えてやれるのか……まだ、分からないのに。


与えてやりたくなる。

叶えてやりたくなる。


そして、その先に俺を選んでほしいと欲が出る。


……苦しさのあまりに冗談だと流そうとしたとき、彼女が思いもよらない───だが俺が願っていた言葉を紡いだ。


「火遊びをするならもっと上手にしないと」


彼女が俺の首に腕を回す。背伸びをする彼女が辛くないように、腰を屈めた。彼女の顔が近づく。


そっと頬を撫でられる。少女と思っていた彼女の白く細い指が、やけに艶かしく頬を這う。


「誰にも、何も見つからないなら、私はあなたに何をされてもいいわ。でもそれは殿下が大人になるまで。これでどう?」


衝動的に、彼女の手首を捕まえた。

人を惑わす妖精のように、綺麗に、艶やかに、彼女が微笑む。


彼女のエメラルドの奥に潜む熱に囚われる。


「あなたに火遊びをする覚悟があるなら、私はそれを受け入れましょう。覚悟がないなら、二度と私と関わらないで。私だけがこんなにドキドキして、切なくて、苦しくなるのは、不公平よ」


あの夜の続きを夢見ているようだ。


直接的な言葉ではない。

そんな言葉を言ってしまえば、いつか手離すときに未練が残る。


だから婉曲的に、彼女の気持ちを、俺の気持ちを、一つ一つ、共有していく。


「俺にドキドキするのか」

「ええ。今もずっと」

「切なくなるのか」

「あなたと別れた後の寂しさはひとしおよ」

「苦しいのか」

「本当の意味で私とあなたは結ばれることはない。当然でしょう?」


彼女の腰をそっと引き寄せる。すっぽりと収まる彼女は、俺の腕の中で微笑んだ。


「俺と、同じ気持ちだ」

「あら光栄ね。それなら私も一つだけ確認をさせて。私と火遊びをしても、後悔はしない?」


そう、これは一種の遊戯だ。

時間制限があり、一つ間違えると全てを失う秘密の遊戯。


願ってもいいのなら、彼女がそれを許すなら、俺がそれを受け入れない理由なぞない。


殿下に対して不誠実だとは知っている。

だが、それ以上に俺は彼女に惹かれてしまっている。


だからせめて、殿下が彼女に相応しい人間になるまでは。


そう思って、頷く。


「こうして心が通じあったのだ。これ以上を望めば、互いに不幸になるのだろう?」

「完璧ね」


彼女が悪戯が成功したように笑んで、私を誘う。


「誓えるならキスをして。痕が残らないように」


後の言葉を食べてしまうように、彼女に口づけた。


唇から伝わる熱。

彼女の唇は、殿下のもの。

しかし今この瞬間は、俺の、俺だけのもの。

貪るように口付ける。


あぁ、俺はこの瞬間を望んでいた。

いつから望んでいたのだろうと考えるが、そんな事、分かりきっていた。


この熱に浮かされる前に、どちらからともなく唇を離す。

彼女を捕まえていた腕をほどけば、彼女も俺を捕まえていた腕を離す。

俺は腕をさ迷わせて、おもむろに口元に手をやり上を見上げる。


唇から伝わっていた熱が、俺の頬に集まってきている。こんな情けない顔、彼女に見せられない。


「ヴァーノン、どうしたの?」

「いや……こうも上手く物事がいくとは思っていなくてな……戸惑っている。これは現実か?」

「現実よ。これから私とあなたは一蓮托生、堕ちるときはどこまでも一緒に堕ちていってあげる」

「悪魔だな、お前は」

「あら、狩人のような目をしていたあなたに言われたくないわ。逃がす気、無かったでしょう」

「違いない」


彼女の物言いに、笑ってしまった。彼女も小さく笑う気配がする。


「行きましょう。あんまり遅いと怪しまれるわ」

「そうだな」


彼女がそう言うので、俺は一つ頷いた。いつまでもここにはいられない。殿下も待たせているしな。






俺はようやく、あの日見つけた妖精を捕まえることができた。

彼女はいつか、俺の目の前から姿を消す。


悪戯に俺の心をかき乱して、彼女は何事もなかったように俺から離れていく。


それでいい、それで。


これは遊戯だ。

騎士である俺と、妖精である彼女の。



───いつか彼女が幻の妖精となるまで、気まぐれに俺の元で遊んでくれればいい。










【騎士と猫のような妖精 完】

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