騎士と猫のような妖精10
鳥が運んでしまったという殿下のハンカチを庭園の高い木から器用に外してメイドに渡す。
「ありがとうございます、騎士様」
「問題ない」
ハンカチを手に取り頭を下げるメイドに適当に返事をして、やっと息をついた。
もうとっくにアンリエット嬢が来ている頃だ。殿下の護衛は通りがかりのマテューに任せた。
こういった些末なことは暇そうにしている侍従でも見つけて彼らにさせるべきではあるが、殿下の「命令」とあれば俺がしないわけにもいかない。
最初はクローゼットの下に入り込んでしまった留め具をとってくれというものだった。
登城してまっすぐ殿下の部屋に向かうと、衣装部屋で侍女が困り顔だった。
殿下に「命令です! こまってる人を助けてあげてください!」と言われ、用件を聞き、手助けをしている内に殿下がさっさと退室してしまった。
待てと言う間もなかった。俺が何も言わない内にタイミングよくマテューが通りがかり、何かを察して「俺行きまーす」と言っていたのもあり、彼に任せたのはいいが……。
マテューは今日、別の仕事が入っていたはずだ。城下の巡回だったはずだから、内容的に殿下の部屋を通るわけがない。あれは確信犯か?
その後も応接室に行くすがら、あちこちで殿下付きのメイドやら侍女やらに声をかけられて今に至る。口々に彼らは「殿下より困ったらヴァーノン様に頼るようにと申されておりまして……」と申し訳なさそうに頭を下げていた。
それにしても庭園とは……応接室とは離れたところに来てしまった。
空を見上げれば、殿下と別れてからもうだいぶ経つことが分かった。そろそろ、いい加減、戻りたい。
人に会わないように意識して気配を消しつつ、移動する。またメイドや侍女に声をかけられては堪らない。
応接室の前までたどり着くと、扉の外にマテューがいた。他にも今日の護衛予定だった者が並んでいる。
「マテュー、交代だ」
「えっ、もう来ちゃったんですか」
「もう?」
多少驚いている様子のマテューに、繰り返すように言葉を拾えば、目をそらされる。
「いや、何でもないです」
「何でもないということはないだろう。何か知っているなら吐け」
「吐くも何もないですよう。俺、普通に護衛していただけですしー」
「……今日お前は朝から巡回だったはずだろう。運良く殿下の部屋の前を通るわけがない。持ち場はどうした」
「うげ、なんで先輩俺のスケジュール知ってるんですか」
「アンリエット嬢来訪に会わせて護衛の調整をしたのは私だ。お前は先に仕事が入っているようだったからアンリエット嬢の護衛から外したはずだからな」
マテューは悪戯がばれてしまったようなばつの悪い顔をする。
きつく問い詰めるような視線を向ければ、マテューはがっくりと項垂れた。
「殿下にお願いされたんですよー。だから仕事を非番の奴に変わってもらいました。団長の許可も貰ってます」
「俺は聞いていない」
「言うなと言われたので」
「誰に」
「殿下です」
やはり確信犯か。
だが、こんなに大袈裟に距離をとられる心当たりがない。何故だ。
「……私は殿下の護衛だ。御身に流れる血の貴さを思えば、護衛から離れるということの意味も分からないはずがないだろう。何故こんな手の込んだことをしたのか知っているか」
「んー、心当たりはあるっちゃありますけどー。でもこれ俺から言っていいんですかね? ぶっちゃけ私情ありまくりですし?」
「言え」
「ひゃいっ」
目を細め、語気を強めて言えば、マテューは姿勢をただす。気のせいかもしれないが他の護衛騎士たちも姿勢が伸びていた。
「二人きりでプレゼントを渡したいと言われました! ヴァーノン先輩ばかり自分がいないところでアンリエット様と仲良くなるのがずるいと仰せられていたので!」
「……」
なんだ、それは。
子供らしい嫉妬か、それとも一人前に男らしい嫉妬をしているのか。
どちらにせよ、アンリエット嬢のことに関して、殿下が俺を妬んでいることからくる行動だということは分かった。
とりあえず明日からの訓練メニューをもう少し追加しておこう。護衛なしで部屋に二人きりになりたいのなら、二人になってもどうとでもなるくらいの腕前になってからだと理由でも付けて。
殿下の我が儘に笑っていると、護衛の気配が僅かに固くなった気がした。
「どうした」
「いえ」
護衛に声を投げ掛けるが何でもないと返される。
「……先輩が極悪な笑みを浮かべていたからですよー……」
ぼそりとマテューが何事か呟くが、もごもごとしていたため聞き取れなかった。
……ともかく、こうして戻ってきたことだから一度殿下に戻ったことを告げねばなるまい。
「マテュー、今日のお前の勤務はここの護衛で良いか? ならばそのまま待機せよ」
「了解です」
ぴしっとマテューが騎士の礼を取る。団長の許可があるなら俺から言うことはない。
「一度中へ入る」
メイドの件も報告もしなければならないと念のために言い訳を用意し、一言言いおいて応接室へと入室した。
内ではアンリエット嬢と殿下が歓談されている。
入室して声をかけると、殿下はマテューが言ったように堂々とアンリエット嬢独占宣言をされた。
「ぼくがお姉さまをひとりじめするためです!」
………………ため息しかでない。
護衛の関係から、それは出来るだけ避けたいのだが……ちらりとアンリエット嬢を見やれば、心底嬉しそうに殿下の頭を撫でている。
だが、こちらの視線に気づいた瞬間、顔をこわばらせた。
愕然とする。
何故。
何故、そんな顔をする。
その表情は、まるで拒絶のように感じられた。
あの、懇親会の夜に聞いた言葉はやはり幻か夢だったのか。
「そうか、分かった。私は外に出ている」
今は仕事中だ、私情を挟むなと己を叱咤する。突然の彼女の態度に戸惑ってはいられない。
分かっていたことだ。彼女は高嶺の花、視界の端に住まう妖精なのだと。
今さらそんな現実を知らされたところで、どうということでもないはずだ。
つまりそうになる心臓をなんとか宥めるように口を引き結ぶ。
退室すると、扉の脇で立つ。隣のマテューが僅かに場所を譲るように横にずれた。
「何だかんだ言って、先輩も追い出されてるじゃないですかー」
「勤務中だ、黙れ」
「ひぇ……」
無駄口を叩くマテューを睨み付ければ、こくこくと壊れた人形のように頷いた。




