30.彼らには一生敵う気がしない
ずっと引っ掛かっていたヴァーノンと殿下の間に交わされていた「取引」や「約束」といった言葉。殿下もヴァーノンもついには教えてくれなかったけれど、きっとそれは私に関することだったのだと何となくわかっている。
そうじゃなきゃ、私とヴァーノンが浮気してることを殿下に知られた上で、二人して私を虐めるなんて発想には飛ばないはずだもの!
まぁ結局、殿下がデビューされた先日の舞踏会で私はヴァーノンと遺恨なく別れることができた訳ですが……
「やっぱり納得がいかないわ!」
「どうしましたか、アンリエット?」
「殿下、この状況に違和感ないと思っているのは間違いですよ」
殿下が私をにこにこと見つめながらしれっと仰っているけど、どうしましたか、じゃありません。
私はテーブルを挟んで真向かいにいる男に目をやった。
黒い髪に、金の瞳。二十代半ば相応の精悍な顔立ちをした青年。
見慣れた青を基調とした衣装でも、先日から着用し始めた白を基調とした衣装でもなく、今日は正装でありながらもどこぞの所属を示すようなものではない、明らかに私服というような衣装を身にまとっている。
公爵令嬢らしからぬとは思いつつも、ジトッと睨み付けてやる。
「どうしてあなたがここにいるの、ヴァーノン」
ゆっくりと紅茶を嗜んでいた男───ヴァーノンは口元からカップを離すと、ニヤリと口の端をあげて意地悪そうないつものあの表情をした。
「あなた、もう殿下の護衛でも指南役でもないでしょう」
「単純に殿下に招かれただけだ。問題はない」
「問題大有りでしょう。仕事はどうしたの。騎士団長の仕事は多いと聞いているけれど」
「今日はちょうど休暇日だから仕事に行く必要はない」
のらりくらりと返答するヴァーノンに、私は頭を抱えたくなった。
先日、ヴァーノンの事を忘れて殿下だけを一途に愛すると誓ったばかりだ。それなのに……
「殿下、どうしてヴァーノンを招かれたのです」
「どうして、と言われても」
殿下が肩をすくめる。
「アンリエットは、もうヴァーノンに目移りしませんよね?」
「しません。そう殿下に誓いました」
きっぱりと言えば、殿下は眉尻を下げてにっこりと微笑んだ。
「目移りしないなら、ヴァーノンがいても良いでしょう? アンリエットは僕だけを見てくれるんでしょう?」
殿下の言い分は、分からなくもないけれど……いや、それでも納得はいかないわ。
「分かりました。殿下が私とヴァーノンを引き合わせてもよいと仰る理由は分かりました。質問を変えます。何故、今日、私が来ると分かっているのに彼を呼ばれたの?」
「アンリエットはヴァーノンがいるのが不満ですか?」
殿下の言葉に、私はぷいっとそっぽを向いて、できるだけ小さな声で囁く。
「殿下と二人きりだと意識しなくてすむのは嬉しいけれど……」
殿下を「そういう」対象として見るにはいささか気恥ずかしいから、他人が一人でもこの場にいてくれるのは嬉しいわ。
ただし、ヴァーノンは除く。
「殿下、アンリエットはどうやら恥ずかしがっているようだ。殿下と『そういった仲』になったのを俺に知られたくはないのでは?」
くくくっと肩を震わせるヴァーノンを睨み付けて黙らせる。でもヴァーノンは「そんな顔しても可愛いだけだ。またマーキングされたいのか?」とか言ってて全くといっていいほど自分が私に責められている自覚はないみたい。
ヴァーノンじゃ、話にならないわと私が殿下の方を見ると、殿下はテーブルにティーカップを置いて、ぴっとりと私にくっついてその腰に腕を回してきた。
「今さらじゃないですか。アンリエットは王宮の廊下でキスするくらい容易いのに、こういった話題は恥ずかしいのですか?」
「そ、それとこれとは別で……それに一応、人目を盗んでましたし……」
「六年もあんなことをしていたのに、本当に今さらだな。いつ、あそこを人が通るか分からないというのに」
いつの間にかヴァーノンが立ち上がって、私を挟んで殿下と反対のソファーの空いているところに座ってきた。さらりと後ろへと流している私の髪がすくい取られる。
「ヴァーノン駄目ですよ、アンリエットはもう僕のものなんですから」
「髪ぐらい良いだろう……だが取引しようか、殿下。彼女の髪に口づける権利と引き換えに、彼女の髪に関する小話を一つ教えよう」
「良いでしょう。一回だけですよ」
「いや、今日一日だ」
「今日だけでそんないっぱいキスをするつもりですか」
「では回数を増やしてくれ。他日に持ち越す」
「むぅ……では三回でどうでしょう」
「それでいい。交渉成立だな」
私が殿下とヴァーノンのやり取りに呆気にとられていると、ヴァーノンがすくいとった私の髪に口づけ、さらには思い切り息を吸い込んだ。
「なっ、なっ……!?」
「相変わらず、貴女は芳しい香りをしている」
「ヴァーノン、匂いを嗅ぐのは反則です! その分の対価を要求します!」
「これぐらいおまけぐらいしてもらってもよいと思うが」
「だーめーでーすー! アンリエットが減ります!」
いや、私は減りませんけども!
そう言いたかったけれど、私はそう言う気力がなりなかった。どういうことなの、この状況。
慣れたようにされる取引に、私はなんとか思考を張り巡らせるけれど……導きだされる答えは一つしかないわ。
きっと私の知らないところで同じような取引が繰り返されてきたのだと思うと、自然と目が遠くなってしまう。あぁ、紅茶の香りがとてもいいわ。
私が考えることを放棄して、ぼんやりとクッキーに手を伸ばそうとすると、ヴァーノンがその手を抑えた。
何? とヴァーノンの方を見れば、くいっと、優しい力で殿下が私の顔だけを自分の方に向ける。
クッキーをくわえた殿下が、熱を孕んだ瞳で私を待っていた。
「えっと……?」
「食べろ」
耳元でささやかれる、私が愛したハスキーボイス。有無を言わせないその口調に私の顔が若干ひきつった。
食べろって、もしかして。
殿下のお顔が近づいてくる。頬に指を添えられて、上向かされる。殿下がくわえたクッキーが、私の唇をつついた。
「食べろ」
もう一度ヴァーノンが命じる。
ヴァーノンに逆らえないとこの六年で知っているから、私は頬に集まる熱を意識しないように、サクッとクッキーに口づけた。
あぁ、もう……殿下だけでも手一杯なのに、ヴァーノンと手を組まれてしまっては、私に逃げ場なんて無いわ。
私は観念して、殿下に与えられるままクッキーをかじり、最後は殿下とクッキーの味がする濃厚な口づけをした。もちろん、ヴァーノンに殿下の唾液を含んだクッキーの欠片を嚥下するまでを見守られながらだった。
◇◇◇
私は、自分の行動の責任のなさをいつも後悔している。
ヴァーノンのこと然り。
ワインのこと然り。
殿下との誓いのこと然り。
その時々はこれで良かったのだと、私はいつも思っていた。
丸くおさまったと。
これが最善だと。
でも結局私は、自分の身勝手で他人を振り回すどころか、全てヴァーノンと殿下の手のひらで踊らされていたということに気づいたのはだいぶ後になってから。
私と殿下が婚姻を結び、初夜を迎えたその日だ。
その時殿下が何て言ったと思う?
「アンリエットの『初めて』を頂きますね」
その言葉に違和感があった。どういうことなのかしら、と。
だって私と殿下の初めての夜は、既に彼のデビューパーティーで終わっていると思っていたんだもの。
だからこそ、殿下に告げられた言葉には心底呆れてしまった。
「だってああでもしないと、アンリエットはずるずるとヴァーノンに引きづられて全部持っていかれちゃうと思ったんです。お陰様で、今日までアンリエットの心を独り占めできましたし、これからはずっと僕だけのアンリエットになるので嬉しいです!」
あの舞踏会の夜、どうやら私は廊下に出て少し歩いたところで眠ってしまっていたらしい。
メイドを呼んで、私を着替えさせて、お父様に連絡する際にちゃっかりと外泊のことも知らせて、同じベッドでただ眠ったというのが真事実。
計画自体は舞踏会が始まる前から決めていたらしく、度が強めのお酒を持って回る給仕の顔まで確認する丁寧さ。それから起きた私を誤解させれるように、言葉をよくよく選んでもいたらしい。その余力を別のところに使って欲しかったわ殿下。
この日に決行を決めたのは、ヴァーノンの異動に合わせようと思ったから。
殿下は「そうした方が、すっきりするでしょう?」と言いながら、にっこりと底知れない微笑みを浮かべていたわ。
なんか……私一生、殿下に敵わない気がしたし、その殿下と対等な関係にまで持ち込んで取引までして婚姻直前まで殿下と一緒に私を弄んできたヴァーノンにはもっと敵わない。
きっと、私とヴァーノンがあの個展の日に出会っていなかったら、きっとここまでこじれた関係にはならなかったのかもしれない。いいえ、個展であっていたとしても、私がきちんと自制していたら……
そう思うことがあるけれど、過ぎたことはもうどうしようもないわね。
自分が蒔いた種だもの、私は彼ら二人が満足するまで付き合わないと。
……でも時々、二人の愛情は熱くて火傷しそうになる。泣いて赦しを乞うて、自分の愚かさを罰してほしくなる。
そんな時は、その度に自分が犯した過ちを神に懺悔するのだけれど。
───本当に、火遊びはいけないことだわ。
【本編 完】
ここまでお読みくださりありがとうございます。
ブクマ、評価、レビューありがとうございました。
本編はここで完結です。
今後はご意見として頂いた「ヴァーノン視点」「パトリック外伝」等の番外をゆるゆるとではありますが更新していこうと思っています。




