29.懺悔の朝
つきつきと頭が痛む。
ふわふわと顔を何かがくすぐる。
ん……もう朝なのね。
ぽかぽかと体を包みこまれて、私は微睡みの中で寝返りを打とうとした……けれど。
「んぅ……?」
がっちりと何かが、正面から私の体を抱え込んでいる。壁かしら……? それにしても弾力あるし、温かいし……?
恐る恐る目を開けると、ぱっちりと海色の瞳と至近距離で目が合った。
私は信じられない思いで目を見開く。
「で、でんか……?」
朝だからか、頭痛ゆえか、体調不良なのかは分からないけれど、声がかすれる。
「はい、アンリエット。気分はどうですか?」
ひぁっ!?
なっ、なっ!?
「だ、だいじょうぶです……」
ぜ、全然大丈夫くないのですけど! 頭痛いし、何でか私は殿下にベッドの上で抱かれて眠っているし!
と い う か。
抱かれている? 私殿下に抱かれたの?
密着した体を恐る恐る見下ろす。
殿下はシャツのボタンを全開にして、細いながらも逞しくなったその肉体を露にしているけれど、足元の感触からしてきちんとズボンをはいている。なんで分かるかといえば、私の素足に殿下の足が絡まっているからです。
対する私は、全裸とまではいかずとも、着ていたドレスもコルセットも下着も全部脱がされて、薄手のワンピース一枚を着ているだけの状態。髪はくしゃくしゃに絡まりながらも飾りの類いを全て外されておろされていた。
………………………………………………………………………………何が起きたの!?
「で、殿下、これはいったい……っ?」
「殿下じゃないです。イレール、と呼んでくださいアンリエット」
私は混乱のあまり上ずった声で聞くけれど、目元は色っぽく、声は甘ったるく、真っ白だったお砂糖をコトコトと煮込んでカラメルソースにしたかのような殿下のこの変わり様。
もしや、もしかしなくとも、まさかっ?
さぁ……と血の気が引いていく。さ、昨夜私はいったい何をしたの!
確か、舞踏会に来て、殿下とダンスを踊って、何人もの貴族の方々のお相手をしているうちにヴァーノンに言外でフられて、それからまたお酒を飲みながら貴族の方々と話をして……
お酒を飲み過ぎて眠くなったのは覚えているわ。でも、殿下に支えられてホールから出た後の記憶が、ない。
この頭痛も二日酔いかと認識すれば、寝起きで緩かった痛みが、ガンガンと鈍器で殴られている程の凶悪な痛みになって増した。
でも大事なのは頭痛ではなくて。
殿下に抱かれて眠っているというこの状況よ!
か、考えたくないわ……ま、まさかな、この私が……酔った勢いで殿下に無体を働いてしまったのかもしれないなんて……!
そこまで考えて、ふと一瞬の光を見いだす。
いやでも待つのよ私! 私も殿下も服を着ているわ! そーゆー大人な階段を上った時って、服を着直すほどの体力がないってマリーも言っていたし!
ぐるぐる回る思考の中で、私はなんとか声を絞り出す。
「あ、の……殿下」
「イレール、です。アンリエット、ちゃんと名前で呼んでください」
……前言撤回をしたいわ。殿下、今まであれほどお姉様お姉様と言い続けていたのに、どうしてそんなに流暢に私の名前を呼んでいるのですか。
「イレール、様……?」
「イレール、ですよ。もう呼んでくださらないのですか?」
今「もう」って言った! 殿下、今「もう」って言ったわ!
私が飛ばした記憶の中で私は彼をそう呼んだのね! しかもそんな風に呼ぶ場面なんてきっとあれなんでしょう!? 私と殿下、大人の階段を上ってしまったの!?
「い、イレール……あの、その。この状況はいったい……」
嫌な予感しかしないけれど、私はなんとかこの状況を把握するために殿下に尋ねる。
殿下はくすくすと笑って、私を抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。
「お酒を飲んだアンリエットはとても可愛くて……介抱だけするつもりが、ついつい抱いて寝てしまいました。これって既成事実……と言うんですかね」
抱く。寝る。既成事実。
この三単語だけを拾い上げて、私は絶望した。
やっぱり私やらかしてるぅぅぅぅぅぅ!!!
しかもなんてこと!! 殿下が社交デビューをされたその日の内に! しかも婚約の儀すらまだ終わっていないのに! 殿下もまだ未成年なのに! お酒に酔った勢いでとか私最低じゃない!
ヴァーノンとの浮気といい、今回の事といい、私は自分がこんなにもふしだらな女だったことに気づいて死にたくなった。
「で、でんか……」
「イレールですって。大丈夫です、アンリエット。僕の言うことをきちんと聞いてくだされば、悪いようにはしませんから。たとえ世間体が悪くとも、僕としてはアンリエットに一晩中触れられていて役得でしたから」
もう、殿下が優しすぎて泣きたくなる。こんな駄目な大人でも見捨てないで手を差しのべてくださるとか……殿下にはもう頭が上がらないわ。
朝日に輝く殿下の青みがかったシルバーブロンド。
あぁ、なんて神々しいのかしら。
悔い改めよと、とくに信仰もしていないはずの神からのお達しが聞こえてくるようだわ。
私は殿下の腕を叩いて外すように促す。殿下は少し残念そうに眉を潜めながらも腕を外してくれた。
二人で、寝台の上で上体を起こして、向き合う。
これは私の中途半端な気持ちが招いたことなのだと思う。
それならきちんと、けじめをつけないと。
私は一つ、深呼吸をした。
ちゃんと、言わなきゃ。
「殿下……いいえ、イレール様。こんなことになってしまい、私のあさましさをよくお知りになられたかと思います。それなのにこんな私に慈悲を与え……あまつさえ一夜の過ちさえ起こしても笑って許しを与えてくださる。私は、私のことが恥ずかしいです。私では、殿下に相応しくありません」
年齢とかそんな些細なこと以前に、私は人間として殿下に相応しくない。そんな私がのうのうと殿下の婚約者の座にいるなんて……私は私を許せない。
「全て父に話し……婚約を破棄させてくださいませ。昨夜いらっしゃっていたご令嬢の中にはきっと殿下に相応しい方がいらっしゃいます。私なんかよりもずっと……」
自分で言っておきながら、私は自分が言っている残酷さに吐き気がした。ここまで来て、逃げるの? いいえ違う、身を引くのだと、自分に言い聞かせる。
殿下の優しい眼差しが私を見つめる。私は見ていられなくて視線を下へと向けた。短い丈のワンピースの下から伸びる、私の細く白い足が目に入る。
残念ながら私は酔っていたせいか、殿下との情事を覚えていない。殿下はどんな気持ちで私を抱いたのだろう……役得とかいうくらいだからきっと嬉しかったのだろうけれど、でもそれは道徳的にしてはいけなかったのよ。
「アンリエット」
衣が擦れる音がした。殿下が体をずらす振動が伝わる。
殿下がワンピースからのぞく私の足に触れた。くるぶしから太ももまでをさわさわと優しく撫でる。
「イレール?」
「罪滅ぼしというのなら、酔っていたアンリエットに手を出した僕も同罪です。僕の理性が弱かったことも、罪ではありませんか? ですからアンリエット、共に神に贖罪をしましょう。そのためにも婚約破棄なんてしません。なので……僕の言いたいことが分かりますね、アンリエット?」
殿下が私の太ももをゆっくりと撫でながら、ねっとりとした蜜のように甘い声でささやいた。
私は、私はもう殿下に逆らえない。
こんな私と一緒に贖罪の道を歩んでくれるとおっしゃる殿下……私は自分の身勝手でこれ以上殿下を悲しませるわけにはいかないわ。
だから今、ここで誓います。
「イレール、私は二度とあなたから目をそらしません。私はあなたのもの……ヴァーノンの事は忘れ、あなたに一生この身を捧げると今一度、誓います」
「アンリエット……」
真っ直ぐと殿下を見つめると、殿下は眩いほどに嬉しそうに微笑んだ。
それから「目を閉じてください」と艶のある声で囁かれる。私はゆっくりと瞼を落とした。
唇に触れる、優しい感触。
何度か啄むように口づけを落とされた後、私はそっと目を開けた。
海のように青い瞳には、爛々と殿下の欲のようなものがかいま見えた気がして。
でもそんなの私の勝手な解釈だわ。
だから私は、殿下が満足するまで、彼に身を委ねた。




