26.六年越しのダンスホール
私は確かに手紙を出した。出したわ。
でもヴァーノンは仕事が忙しいようで、結局私と会ってくれる時間を作ることなく舞踏会当日を迎えてしまった。
半日もかけてドレスアップをして、私は殿下の元へと訪れた。ドレスはもちろん、殿下が私のためにと用意してくださったスカイブルーのドレス。
裾からのぞくフリルを揺らして、私は殿下の隣に立った。
「緊張します……!」
「大丈夫、すぐに慣れるわ」
大広間の階段の袖で、私たちは待機する。
今日の舞踏会は殿下の社交界デビューも兼ねているから、特別だった。
王族の名前が次々と挙げられていく。
国王陛下と王妃様。第一王子と王太子妃。第二王子とその妃。
そして。
「第三王子イレール殿下、並びにムーリエ公爵令嬢アンリエット様!」
内々には婚約者とはなっているけれど、実はまだ本格的な婚約の儀を交わしていないため家名を呼ばれる。いつになったら「妃アンリエット」になるのかと考えて苦笑する。
───浮気してるのに、こんな思考はずるいわ。
やっぱり早々にこの問題を解決せねばと考えていると歩き出すタイミングが遅れたようで、ホールに出る直前に殿下から心配そうな目を向けられる。私は大丈夫、という意味を込めて微笑んだ。
ホールに出る。階段から見下げる色とりどりのドレスの花。あの中に私よりも殿下に見合う女の子がきっといるのかもしれないと思ってしまうと、ちょっと気が滅入った。
王族の席に着席すると、国王陛下のご挨拶が始まる。形式に乗っ取った口上はそんなに長くない。
陛下は挨拶の最後、いつもの形式から少し言葉を付け加える。
「さて……本日より我がせがれがまた一人この場に、加わる。いっそう賑やかな夜を楽しんでいってくれ。───セーブル国、乾杯」
陛下がワインの入ったグラスを掲げると、わっと拍手が沸き起こる。
それと同時に短めの音楽が流れだし、作法にのっとって第一王子夫妻、第二王子夫妻、そして私と殿下がホールへと移動した。
緊張しているのか、口を真一文字に引き結んだ殿下。エスコートしてくれている手を、私は少しだけぎゅっとした。
「お姉様?」
「殿下、笑いなさい。そんなに肩に力をいれていると、後から兄殿下達に笑われてしまうわ」
「は、はい」
小さくうなずくけれど、それでも肩の力は抜けていない。まぁ、最初から緊張するなというほうが無理よね。でも、慣れて貰うしかないわ
ホールには王族が三組だけ。
その一挙一足を、大衆に注目されている。
緊張するのが当たり前ね。
ゆっくりと曲が流れ出す。
この曲は、いつかヴァーノンと踊ったときに殿下がヴァイオリンで独奏してくれた曲だった。
殿下のリードに私は身を預ける。
いち、に、さん。いち、に、さん。
「懐かしいですね、殿下」
「はい?」
「ヴァーノンと踊れと仰った時、殿下が弾かれた曲ですよ」
ステップを間違えないようにすることで手一杯だったのか、殿下がようやく流れ出した曲に気がつく。曲目リストは一応渡されていたはずなのだけれど……もしかして気づいていなかったのかしら。
「言われてみれば……この曲ですね」
「練習ではなくて、こうやって皆の前で踊れて……殿下を待ち続けた甲斐があるわ」
「お姉様、嘘はよくないですよ。お姉様にはヴァーノンがいたじゃないですか」
あぅ……痛いところついてくるわね殿下!
私は上目遣いで、少しだけ身長の高い殿下を見やる。
「遊んでいたのは悪かったと思うけれど、年頃ゆえの過ちよ。許してちょうだい」
困ったように眉尻を下げれば、殿下はにっこりと微笑み返す。
「僕は構いません。そのお陰で、ヴァーノンと取引できましたし……お姉様の可愛らしいお顔をたっぷりと見られるので」
唐突に、殿下の声質が変わる。殿下が私に迫るときに出す、あの妖艶な甘ったるい声が耳朶を打つ。
この声を出す殿下は、「弟」ではなくて「男の人」に見えてしまうから、どう接すればいいのか分からない。気恥ずかしくて目をそらせば、殿下はそれ以上なにかを言うこともなく、ゆったりと余裕のあるステップを踏み始めた。
殿下の緊張がほぐれたのはいいけど、今度は私が緊張するじゃないの!
添えた腕や、腰に添えられた手のひらから殿下の熱がほろほろと移ってくるみたいで妙にそわそわする。
じんわりと伝わる熱に意識をそらしながらステップを踏んでいると、ようやく一曲が終わった。
それを区切りに、何組もの男女がホールへと踊り出す。
私たちは彼らと入れ替わるようにホールの中心から外縁へと移動した。
「イレール殿下、お初にお目にかかります」
「殿下、ご機嫌麗しゅう……」
「これはこれは、アンリエット嬢と仲睦まじいようで、初々しいですなぁ」
ホールの中心から外れれば、殿下は一気に貴族達に囲まれた。礼儀をわきまえているゆえか、丁寧に一人ずつ声をかけては来るけれど、その、対応する人数が多いわ……。
殿下に寄り添いながら、なんとか彼らをさばいていると、途中で一組の男女が割り込んできた。
「やぁやぁ、イレール~。お兄ちゃんとお話ししないかい?」
声の方を向けば、金髪に榛の瞳をもった殿下によく似た顔立ちの男性と、栗色のやわらかな髪にふっくらとした体型の女性が立っていた。
「ローラン兄上! クララ義姉上!」
殿下は今までの辟易していた様子を微塵にも感じさせない目映い笑顔を見せた。
ローラン殿下は周囲に目配せをすると、名残惜しそうに群がっていた貴族の方々が離れていく。彼らがほどよく散っていったところで、ローラン殿下はくふふ、と顔をゆるめた。
「いやぁ~可愛い弟が見事に肥えた肉塊の餌食になってると思って助けに来たよ」
「兄上、助けてくれるならもう少し早く助けてほしかったです……」
「皆とおる道だからね。イレールにも成長してほしいとお兄ちゃん思うんだ~」
うんうんと頷くローラン殿下に、ぐすんと涙ぐみそうなくらい絶望の声でイレール殿下は肩を落とした。
殿下はポジティブな人見知りだからね……全然平気そうに見えて、初対面の人と話すときなどは必要以上に緊張しちゃうから。
そんな兄弟二人を横目に、私はローラン殿下の妻であるクララ様へと挨拶した。
「お久しぶりですクララ様」
「お久しぶりですわ、アンリエット様」
ドレスをつまんで頭を軽く下げる。それだけの動作で、クララの豊満な胸がたっぷんと揺れた。
……いつも思うけれど、同じ女としてこの差はなんだろうと思ってしまうわ…………。
顔をあげると、クララ様は口元に手をやって微笑んでいた。なにかしら。何か面白いものでも見たのかしら?
「いかがされました?」
「いえ……そのペンダントはいかがされたのですか?」
「数年前、私が体調を崩してしまったときに殿下から頂いたのですよ」
私は胸元で揺れるラピスラズリのペンダントを見下げた。
クララ様は私の言葉におかしそうに声をたてられる。
「ふふふ、とても綺麗な宝石ですわ。深い青はまさしくイレール殿下のお瞳のようです」
「私も気に入っておりますの。奇しくもこの宝石の石言葉が健康という言葉で嬉しく思いましたわ」
「まぁ、アンリエット様、石言葉をご存知だったのね」
「殿下からお聞きしましたから。どうやら体調を崩した私へのプレゼントの相談を、ローラン殿下にされたようですよ」
初めての殿下のプレゼント。普段は外側につけたり、服のなかにしまったりとまちまちだけれど、今までは社交界でつけることはなかった。だって、ドレスとの相性があるんだもの。
だからこういった公の場でこのペンダントをつけているのは初めてだし、ペンダントのためだけとも言えるようなドレスを仕立てた殿下はさすがとも言えるわ。
「ローラン様が……ふふ、あの人ったらなんて気障なことをしているのか……確信犯かしら?」
クララ様が口元に手をやったまま微笑むと、ちょいちょい、と隣で話し込んでいるローラン殿下の袖を引いた。
「なんだいクララ。僕とダンスを躍りにいく?」
「行きたいけれどまた後でね。それよりもねぇ、あなた。殿下にはこれの意味、教えて差し上げたの?」
これ、というのは私のペンダントのこと。ローラン殿下はぱちくりと目を瞬き、たっぷり数十秒かけてようやく思い出したように手を打った。
「あぁ、ラピスラズリ。思い出した。昔、イレールにやったっけ。あの時はまだ子供だと思っていたからねぇ~」
ローラン殿下はにやにやと顔を弛めると、ちょいちょいと殿下に耳を貸すようにという仕草をした。
殿下は何の警戒心もなくローラン殿下に耳を貸す。それからごにょごにょと何やらローラン殿下が何事かを耳打ちすると、みるみるうちに殿下の顔が真っ赤に染まっていった。
「ちょ、ちょっと待ってください兄上! これを頂いたとき、そんな事教えてくれなかったじゃないですか!」
「だって~、イレールはまだ小さかったから~」
「それだったらもっとロマンチックで綺麗な石を選んだのに……!」
「でも君が欲しがってたのって健康が石言葉な鉱物だったでしょ~? 健康が石言葉である宝石って少ないんだよ?」
「うぐぐ……」
殿下が頬を真っ赤に染めたまま口を真一文字に噛み締める。そ、そんなに変な言葉が石言葉にあるの……?
ハラハラしながらクララ様を見れば、クララ様は安心させてくれるようににっこりとする。
「アンリエット様」
「は、はい」
「イレール殿下と仲良くしてくださいませね」
どういうことかしら。私はいつでも殿下と親しくしているつもりだし……まさかヴァーノンとのことが知られたということでもないはず。
クララ様のお言葉の意図が分からなくて、私は曖昧に笑い返した。




