23.お母様のありがたいお言葉
ぼんやりと毎日を過ごしていると、お母様が私をお茶に誘ってくれた。
病気療養で田舎の別邸に行かれていたお母様。十年ほど田舎で療養されていたけれど、ご病気が完治されたらしくすっかり元気になって二年前に帰っていらっしゃった。
弟と妹が生まれてからはあまりお母様にお世話されることもなくて、病気療養で別邸に行かれたときも私だけ置いていかれた。恨むような気持ちはないけれど、私にとってはあまり馴染みのない人……という印象なのよね。
だから王都のお屋敷に戻って来られて、二人でお茶をしましょうと誘われたときも遠慮した。私は口下手で、話すことなんてあんまりないと思っていたから。
お母様がそれに気づいたのかは分からないけれど、少なくとも、私と二人だけでお茶をするようなことは決してなかった。
それが今日、二人でお茶をしたいと誘ってきた。気分がすぐれないからと断ると、強引に部屋に入って来るという押しの強さで。
「お、お母様……如何されたのですか」
「ほほほ、可愛い娘の気分が優れないというから、お見舞いよ。外に行くのが億劫なら、ここでお茶をしてくださる? 二人でお話ししましょう」
病気で一時期死にかけていたとは思えない行動力に呆れるしかないわ。なんで一人にしておいて欲しいときに限って来るのかしら。はっきり言って、いい迷惑よ。
でもそんなことお母様に言えるはずもなくて、私は表面上は取り繕ってお母様をソファに案内した。
お母様は貴婦人らしく優雅にソファにお座りになるとぽんぽんっと自分の隣の空いたスペースを叩いた。えっと、座れということかしら。
そろそろとお母様の隣に座ると、お母様は満足そうに微笑み、メイドにお茶を入れさせて、退出させた。私の身の回りの世話をしていたマリエルすらも。
お母様がこのお屋敷で二番目に偉いので、使用人であるマリエルは逆らえるわけがなかった。うぅ……私は一人でお母様に立ち向かうしかないのね。
「今日は急にどうされたのですか。今日に限ってこんなにも強引にお茶など……」
「だって、こうでもしないとアンリエットはお話ししてくれないでしょう?」
お母様は困ったように頬に手を当てた。私はティーカップに手を伸ばす。
「アンリエット、今悩んでいること無いかしら。最近、暗い顔をしているわ」
「気のせいです。お化粧をしているから、普段からこの顔よ」
悩んでいること。お父様にも言えないのに、お母様に言えるわけないじゃない。
「もしかして殿下との婚約の儀が間近になって、急に大人びたように見えた殿下にどう接していいか……みたいなことを悩んでいるのではなくて?」
お母様は遠からず、近からずな事を言ってくる。
私はすました顔で甘い香りのする紅茶を一口頂く。珍しい、ストロベリーの紅茶だわ。
「違いますし、お母様に相談したところで状況は変わりません。余計なことに関わる前に、ご自身の体の心配をしてくださいませ」
「ほほほ、アンリエット。人に話すと少し楽なるかもしれないわ。ほら、遠慮しないで?」
「相談相手ならマリエルで間に合ってます」
きっぱりと言いきる。
お母様は私のことを気にするよりも、ご自身の事を心配するべきなのよ。
療養から帰ってきてもう二年経つとはいえ、お母様は一日のほとんどをベッドの上で過ごしていらっしゃる。こうやって私のために時間を割くことは無駄だし、お体の負担になるわ。
だから私は口調を強める。
「お母様、そんな事をお話しするのは時間の無駄です。お体に障りますから、お部屋にお戻りください」
「もう、アンリエットは素直じゃないんだから。お母様のお願いを聞いてくださらない子はこうよ」
ばちっ。
……いったぁぁぁぁいっ!!?
額に放たれた、いわゆるデコピンに私は額をおさえながらふるふると震える。お、お母様のどこにそんな膂力があるのよ!?
「なっ、なっ」
「ごめんなさいねぇ、アンリエット。お母様がこんなだから、貴女には色々無理をさせてしまったわ。一番大事な時期にいられなくて、ごめんなさいねぇ」
ほぅ……と頬に手を添えたお母様の言葉に、どきりとした。
私は、別に……
心の奥底にある、忘れかけていた感情の箱を揺さぶられたきがした。
「マリエルから聞いたのよ。貴女が今、とても苦しんでいるって。私には理解できない苦しみで、その解決法も分からないから、なんとかしてあげてって、マリエルに頼み込まれたのよ」
マリエルが、お母様に?
どうして? マリエル、誰にも内緒にしてくれるって言ったじゃない。私を、裏切ったの?
「……マリエルに、何を言われたのですか」
ふつふつと彼女に対する怒りがわいてくる。彼女は、何を言ったの。よりにもよって、お母様に。
「えい♡︎」
「いたっ」
先ほどではないにしろ、またデコピンが飛んでくる。なんで私、お母様にデコピンされてるのよ……理不尽だわ。
額を隠しながら眉をひそめてお母様を見ると、お母様は「ほほほ」と笑ってティーカップに手を伸ばしていた。
「マリエルを恨むならお門違いですよ。彼女は貴女のためを思って私に相談してきたのですから。それはもう、決して人には聞かれないようにと入念に人払いをした上で……今も彼女はこのお部屋に誰も近づけまいと見張っているんじゃないかしら」
マリエルの心遣い……なのかしら。
でも、誰にも内緒という約束を破ったのには違いないでしょう。
「……それで、マリエルにはどこまで聞いたのですか」
まだ納得はしていないけれど、マリエルが私のためにと段取りしてくれたのだもの。諦め半分で、私はお母様に尋ねた。
お母様はにっこりと微笑んで、ティーカップを傾ける。
「それがねぇ、ほとんど何も教えてくれなかったのです。とても感情的なお話だから、お嬢様を責めないでとは言われたわ」
マリエル……。
私ははぁ……とため息をついた。どこまでいっても、彼女は私に甘いわ。話すも話さないも、私次第ってこと?
「さ、アンリエット。お母様にお話しして頂戴」
朗らかに笑うお母様に、私の心が揺らぐ。この六年間、ひた隠しにしてきたこの秘密。話したい、話したいけど……!
たとえ血を分けたお母様でも、こんな事を話すべきじゃないわ。公爵令嬢としてたしなめられるに決まっているし、それにこういうのを話すのはなんだか恥ずかしいし。
ティーカップを見つめながら閉口する。
するとお母様が私をそっと抱きしめた。清潔な、石鹸の淡い香りがほのかにくすぐる。
「貴女があまりにも聞き分けのいい子だったから、この二十年、貴女に我慢ばかりさせてきたわね。私がこんなだったから、貴女は一人で抱え込んで……貴女は公爵令嬢の前に、私の娘でもあるのだから。その責任に押しつぶれちゃう前に、私に相談して頂戴?」
「お母様……」
よしよし、と幼子にするようにお母様が私の背中をゆっくりと撫でる。
今さらそんな事を言われたって困る。
私、お母様にどうやって話したらいいのか分からないんだもの。
だって六年も隠し続けていた秘密よ? 何から話せばいいのか……困る。
よしよしと撫でられるたびに、肩の力が抜けていく。程よく力が抜けたところで、お母様の体を優しく押しやった。
「私、もう二十四ですから幼子のようにあやすのはやめてください」
「ほほほ、私にとってはいつまでも幼子よ。話してくれるまで抱きついてあげるんだから~」
「分かりました! 分かりましたから離れてください!」
私は手を突っぱってお母様との間にほどよい距離感を作る。小さい子に抱きつかれるのは好きだけれど、お母様に抱きつかれるのは趣味じゃないわ!
病床の身だったからか、お母様はすぐに人肌を求める癖がある。そのせいで子供のようなスキンシップが多いのよね。弟妹たちはお母様と暮らしていたことが長かったからか違和感なく受け入れているみたいだけれど、離れていた私にはあんまり馴染みがなくて気恥ずかしかった。
どうせならヴァーノンに抱き締めてもらいたいものだわ。
比べるように心の中で悪態をつくけれど、比較した対象が悪かった。ヴァーノンとはもう、気軽にそういうことができないのに。
ほぅ……とため息をつくと、お母様が慈愛に満ちた目で私を見ていた。
「アンリエット。誰の事を考えているの?」
「誰って……」
本当の事は言えなくて、視線をそらす。
お母様は何か分かったかのように「ほほほ」と口元に手を当てた。
「アンリエットに良い事を教えてあげるわ。誰か大切な人……恋しい人を想うとき、女という生き物は一番美しくなるのよ」
私はちらりとお母様を見た。お母様は相変わらず口元に手をやったまま笑っている。
「少女だった貴女が、いつの間にか大人の女の顔をしていることには気づいていたけれど……今一番美しい顔をしているわ。貴女が今顔を思い浮かべた殿方はどなた? 教えてくれる?」
か、顔? 顔を見ただけで分かるの?
私はむにむにと自分の頬を触る。普通の顔、よね?
「お母様は占い師か何かですか……?」
「ほほほ、お母様はお母様ですよ。子供の事ならなんでも分かるわ」
お母様に隠し事は難しいらしい。隠そうにも、隠している事があると知られている今、その内容を話さない限り解放してもらえそうにないわ。
私は観念して、お母様に話すことにする。でも、最初の一言はどうしましょう。あまりにも隠していた時間が長過ぎて、伝え方が分からないのは変わらないわ。
私は愛している人がいるのだと伝えるだけなのに……名前を告げるだけなのに。喉に言葉がひっかかる。
お母様は相変わらず微笑んだままだ。
お父様と政略結婚をされたのに、日々幸せそう。だから私も殿下との結婚に対して今まで不満を持ったことなんてなかった。政略結婚でも育んでいく愛があることを実際にこの目で見てきたから。
病床の身で田舎に療養していた頃、お父様に会えないのが寂しくないのと子供ながらに言ったことがある。確かあの時お母様は……
「お母様。お母様は恋をしたことがある? お父様と婚約される前に」
療養先に遊びに行った時。お父様に会えないことが寂しくないの? と聞いた私に、お母様はこう仰った。
『むしろ私、はじめてあの人に恋をしているようでとっても胸がときめくわ。私、あの人を愛することはできたけれど、恋はしなかったから。私は彼を愛しているのに、彼は遠くにいて自分の事を見向きもしない……まるで片想いみたいでしょう? そんなあの人を必死に振り向かせたくなります。振り向かせるために、私は早く元気になりたいわ』
お母様がとても楽しそうに笑っていたのを覚えている。
お父様に恋をしたことのないお母様。
別の誰かに恋をしたことはあるの?
お母様は目を細める。
「ありますよ」
それからごくあっさりと答えてくれた。それはもう、私が拍子抜けするくらいに。
「……あるの?」
「当然。女子としての嗜みですよ」
女子としての嗜みなの?
だって、恋をしても報われないことが多いのに?
フリーの人が恋をするのは自由だけれど……それが嗜みとまで言えるかは難しいわ。
「お母様はその人の事、いつまで好きだったのですか?」
「ほほほ、今でも好きですよ」
え。
今何か聞き捨てならないことを聞いてしまった気がする。
お母様はにっこりと微笑んだ。
「私は私が恋をした人を嫌いになったわけじゃないですもの。結婚して疎遠になってしまったけれど、私はあの人を想っていた瑞々しい気持ちを忘れることはないわ」
お母様はびっくりして目を見開いている私の口にクッキーをひとつ放り込んだ。むぐ……美味しいマーマレードジャムのクッキー。
お母様は面白そうに眉を下げる。
「貴族の娘として結婚は義務みたいなものですけれど……それでも恋をしてはいけないということではないわ。自分の中で折り合いをつけられればね」
クッキーを飲み込むと同時、トンっとお母様が私の額をつついた。私は反射的に目をつむる。
「大丈夫。貴女は賢いもの。その内ちゃんと答えを見つけられますよ」
私はそろりと目を開く。
ふふ、お母様には敵わないわ。
いつかヴァーノンへの思いは溶けていく。
今だって熱く激しかった思いがびっくりするぐらい穏やかになっているんだもの。
きっと大丈夫。
時間をかけて、この思いは思い出になっていく。
つらいのは今だけなのだと、お父様と結婚して幸せそうなお母様を見て、そう思った。
あぁもうすごい遠回り!
私のすることなんてもう決まっているのだから、引きずる必要なんてないのだわ!
ヴァーノンとの関係は期限付き。
そう決めたのは私なんだから、反故にしてはいけないの。




