22.ときめきで殺されないためには
いつかのようにぐったりとして馬車に乗って帰る途中、お父様に言われた。
殿下の社交界デビューと、婚約の儀、それから結婚について。
私は殊勝に頷くことしかできなかった。
最近白髪が目立ち始めたお父様。お母様の療養について行っていた弟もお父様のお仕事を学ぶために帰って来ていた。当然、馬車には弟も一緒に乗っていた。
私が窓の外を見てほぅ……とため息をつくと、弟が「王子様の妻になるなんて大変ですね」とかからかうので睨み付けておいたわ。
本当に大変なのは、そこじゃないのよ。
何故か、殿下とヴァーノンが共謀してるっていうのがね、すごいね、ネックなのよ。
ほんともう、意味がわからない。
知られてしまったのは仕方がないわ。だからといって、どうして二人で共謀して私を追い詰めてくるのよ……ほんと……意味がわからないわ……。
そう思いながら悶々と馬車でお屋敷に帰る。お夕食を食べて、体を清める。夜、いつの間にか習慣になってしまった日記を書いていると、マリエルがハーブティーを持ってやってきた。鼻孔をくすぐるのはカモミールね。
「お嬢様、どうぞ」
「ありがとう」
私は日記を閉じると、ソファの方へと移動する。ゆったりと腰かけると、マリエルはティーカップを渡してくれた。
一口飲んでほっとする。あーもー、ようやく張っていた気がゆるんだわ。
「今日はいつにも増してお疲れですね」
「分かる?」
「ええ。何年一緒にいると思っているのですか」
そうね、確かに。
私はティーカップを揺らすと、もう一口頂く。
「殿下にね、ヴァーノンとの関係を知られちゃったのよ」
「えっ」
さすがのマリエルも驚いたようで小さく声をあげる。
私もびっくりよ。しかもどういうわけか、ヴァーノンは知られているらしいというのに開き直って堂々としているし。
本当、意味がわからない!
マリエルにその事を伝えると、彼女も不思議そうに眉尻を下げた。
「殿下はヴァーノン様とお嬢様の事を許されたのですか?」
「許しているとはまた違うような……」
一瞬だけど、殿下の瞳に映った暗い色を思い出す。
あんな目をするのに、許したとは思わないわ。
私はティーカップに口をつけながら、殿下とヴァーノンと、どうしてあんなことになったのかと思案するけれど、あれだけ馬車で悶々として答えがでなかったのだから無駄よね。ため息がこぼれる。
「なんか……二人して私をからかっていると言うか……ううん、ヴァーノンはからかっているみたいだったけれど、殿下は真剣そうだったから違うわね」
「ヴァーノン様、そういうところありますよね……」
この六年間で、マリエルもヴァーノンの性格を把握したらしい。呆れたようにぐりぐりと額のしわを伸ばしているわ。
「ねぇ、どうしましょうマリエル。ヴァーノンにも殿下にも悪戯されると、さすがの私も身が持たないわ」
「お嬢様がご自分で引き起こしたことですよ、どうにかなさってください」
じろりと睨まれる。
うっ……そうなんだけれど……!
今日みたいに退路を断たれて、二人に挟まれるなんて想像してなかったものー! これは不可抗力じゃない!?
後ろのヴァーノンに前の殿下。
二人の顔の良い男性に囲まれるなんて女性冥利に尽きるけれど。
これ本当に殺人級の攻めだからね!?
「マリエル……ときめきで殺されないためにはどうしたら良いのかしら……」
「馬鹿なこと仰っていないで、まずは期限が来たヴァーノン様の方をどうにかした方が賢明かと」
「そ、それもそうね」
私のために吐かれるあのハスキーボイスがもう聞けなくなってしまうのは悲しいけれど、元々そういう約束だったものね。
未練がないかと言われたら嘘になるけれど……でもヴァーノンをこれ以上縛り付けておくわけにもいかないから。
だって、ヴァーノンって私の二つ上なんですって。つまり現在二十六歳。そろそろ結婚を考えないと遅いくらいなのよね。
私が奪ってしまった彼の青春に見合うだけのものを、彼に与えることができたのかは分からない。私は彼に甘えて夢を叶えてもらっていたけれど……彼はそれで満足できていたのかしら。
彼との関係を絶つにあたって、それが真っ先に頭に浮かんだ。
私は、私のわがままに彼を付き合わせてしまったから。
「……ヴァーノンって、好きな人いないのかしら」
中身が空になったティーカップをのぞき込みながら、ぽつりと呟く。
マリエルが心外そうな顔をする。
「それはあり得ないでしょう」
「昔はそうでも、もう六年よ? 私だって彼に対する愛情が段々と変化したんだもの。こんなめんどくさい女、飽きてしまわれていてもおかしくないわ」
「あのヴァーノン様ですよ。飽きた女にべたべたと構い倒すほど暇じゃないかと」
「そうかしら……乗りかかった船で付き合ってくれていたのかもしれないわ」
そうよ、そうに決まっているわ。若くしてエリートコースを爆進中、しかもあんなにも格好いいんだもの。最近は騎士として着実に地位を固めて、社交界にもよく顔を出している。女性が放っておくわけないわ。
そう思ったらなんだか情けなくなってきた。ほんの一時の感情で、私はヴァーノンを巻き込んでしまったのかもしれない。彼が本来得るはずだったはずの未来を、私が引き留めてしまったせいで台無しにしてしまったもかもしれない。
はぁ……と私はうなだれる。
「お嬢様、現実逃避も大概になさいませ。非常に身勝手で、めんどくさいですよ」
マリエルの言葉に、私はムッとした。
「私は真剣にヴァーノンの事を憂えているのに」
「それは傲慢と言うものです、お嬢様」
咎めるようなマリエルに、私は彼女を見た。
彼女は怒った顔で私を見ている。
「もう少しヴァーノン様を信頼なされたらどうですか。この関係を決めたのはお嬢様だけではなく、ヴァーノン様もなのですから。強い意思がなければ、これまで隠しとおせはしませんでした」
マリエルの言葉は正しい。正しくて、私は視線をそっとはずした。
「実際に、ヴァーノン様の理性は称賛に値するものがございます。一時期はヘタレを通り越した不能なのではとも心配しましたが、そんな事はないようですし」
「マリエル、不能って?」
「いえ、こちらの話です」
マリエルが一人言のように呟いた言葉を拾い上げれば、彼女は一刀両断して話をそらす。え、なんなの。気になるじゃない。
ごほん、と咳払いをして、マリエルは言葉を続ける。
「ヴァーノン様は立場をわきまえておられたからこそ、この六年、後戻りのできないことは、お嬢様が困るようなことは、されなかったのです。間違いなく、ヴァーノン様はお嬢様を愛していらっしゃいますよ」
彼はギリギリの一線を踏み越えることは決してなかったのだと……その事がお嬢様を想う証拠だと言いきったマリエルに、私は戸惑った。
あんなに大反対していたのに、どうしてそんな事を言えるのよ。
「どうして、マリエルはそう言いきれるの……?」
本音がころんと転がった。
マリエルが微笑む。
「この六年間、ただ協力していただけではありませんよ。ヴァーノン様の身辺調査を継続的にしてきましたから。だから断言いたします。この六年、ヴァーノン様の周りにお嬢様以外の女性はおりませんでした。ヴァーノン様の愛は、間違いなくお嬢様にのみ注がれております」
じわり、と視界が歪む。
どうして、どうして今さらそんな事を言うのよ。
本当は違う言葉が欲しかったのに。ヴァーノンに私の他に好きな人がいたら、きっぱりと私はヴァーノンを手放せたのに。
「駄目よ、マリエル。そんなこと言ったら、私はヴァーノンを諦められなくなっちゃうわ」
「お嬢様、だからこそけじめをつけるべきなのです」
マリエルは声は柔らかに、でも厳しいことを言う。
「この六年が夢だったのです。本来なら、叶うことのない夢だったのです。ずるずると先伸ばしにできる問題でもないのですよ」
マリエルの言う事は正しい。私もそれを分かっているはずなのに。
それでも、身を焦がすほどの熱はなくなって、ゆるやかな愛情を培ってしまった今、それを手離したくないと思ってしまうの。
私はティーカップをマリエルに渡すと、寝台に潜り込んだ。
愛しい、愛しいヴァーノン。
どうしてあなたは、別れを間近と知っておきながら私の名前を囁くの。
この夢はもう覚めると言うのに、あなたの声が、私を繋ぎ止める。




