20.婚約者の自覚
私は可愛いものが好き。
例えばふわふわとしたドールの髪や、可愛らしい花の刺繍がされたハンカチ、知り合いのご令嬢が生まれてくる赤ちゃんのために用意したベビー服。そのどれもが可愛らしくてたまらない。
ただ最近、お気に入りだった可愛いものコレクションから一つはみ出したものがある。
私の婚約者。
「お姉さま、お姉さま」と私の後を追いかけていた、小さくて可愛らしいイレール殿下。
小さい子はいずれ成長するのが道理。
殿下もまた、十六歳という年齢相応に凛々しく成長なされた。
さらさらの青みがかった銀髪に、深い青色の瞳。睫毛は長く、眉は切れ長。透き通るような鼻筋と、淡い唇。
女の身である私が嫉妬するくらいに、美しい少年へと変貌してしまった。
するすると身長も伸びて、今では頭半分くらい私より高い。私の生涯のパートナーとしてもったいないくらいよ。
美しさを手に入れた代わりに、可愛らしいを無くしてしまったのは勿体ない。……そう思いつつも、私はやっぱり十六歳になった殿下を可愛がるわけですが。
「殿下、お久しぶりです」
「お姉様、お久しぶりです。前回会われたときよりお痩せになりました? お美しいけれど、イレールは心配になります」
「ふふ、ありがとう。殿下こそ、三ヶ月会わなかった内に凛々しくなられたわ」
ドレスの裾をつまんで挨拶をすると、殿下が部屋の入り口にいる私をエスコートしてソファに導いてくれる。
昔とは違って、身長も見合うようになって、エスコートがうまくなられた。
ソファに座ると、メイドが紅茶とクッキーを置いて退出する。珍しく部屋に二人きりになった。いつもはメイドかヴァーノンがいるのに。
「今日はどうされたの? ここ最近、忙しかったのでしょう?」
「そうなんです。でも、ようやく一段落がつきました。なのでお姉様をお呼びしたのです」
イレール殿下が柔らかく微笑む。とても美しい微笑みで、私は思わず目が潰れるかと思ったわ。たった三ヶ月、会わない内にこんなにお美しくなられて……!
内心感激してるのを抑え込んで、私は微笑みかえす。
「そうだったの。お疲れ様でした。何をしていたのか伺っても?」
「もちろんです。というか、それをお話しするためにお姉様をお呼びしたのです」
殿下は真剣な表情になると、膝の上に添えていた私の手をぎゅっと握った。
私を見つめる静かな瞳の中に、いつか見た熱を垣間見た気がした。
殿下が私の目を真っ直ぐに見据える。
「お姉様、僕と結婚してください」
殿下と、結婚?
……私は一瞬、何を言われたのか分からなかった。
だって、そんな予兆、何もなかったんだもの。
殿下は先の言葉を補足するようにつけ加えた。
「一週間後から始まる今シーズンの社交界で、僕はデビューします。社交界が終わる夏には、正式な婚約の儀をして、再来年の春に式を挙げられるように動いています。僕の婚約者として……社交界でダンスを踊ってくれますか?」
殿下の告白に、私は目を瞑った。
ついに、この時が来たのね。
殿下をお側で見守って十六年。とても長い道のりだった気がする。それが、ようやく。
私は目を開くと、とびきり極上の笑みを浮かべた。
「もちろんです。私はあなたの婚約者。常にあなたの隣に侍りましょう。お約束しましたものね。大きくなったら、ダンスをすると」
「ありがとうございます、お姉様」
ほっとした表情の殿下の頬を、私はそっと撫でた。
もう、殿下ったら! 急に言われたらびっくりしちゃうじゃないのっ。
でも、嬉しいわ。ようやくこの時が来たのだと思うと。
「それにしても唐突ね。少し驚いたわ」
「すみません。少し思うことがあって……ムーリエ公爵には、お姉様には僕から言うと内緒にしてもらっていたのです。それよりも」
殿下がこそばゆいのか、撫でる私の手をそっと包み、自分の頬から離した。
「これからは、婚約者なので。子供扱いはやめてくださいね」
「あら」
そんなこと言われても。
「私はずっとあなたの婚約者でしたよ?」
「そうなんですけど……婚約者なので、お姉様には男として見てもらいたいのです」
拗ねたように唇を尖らせる殿下に、私はくすくすと肩を震わせた。
だって、婚約者だったら、ね?
「殿下、婚約者として扱ってもらいたいのなら、まずその『お姉様』というのをやめましょうね」
「あっ……」
殿下は今気がついたかのように目を大きく見開いた。あはは、気づいていなかったんですか。
殿下はきょろきょろと目を右往左往される。それから少しだけ頬を赤らめて、私をちらりと見た。
「……あ、アンリエット」
───ずきゅうんっと心臓が撃ち抜かれそうになりました。
ああああ!! 美少年の! 流し目!
ちょっと恥じらいを残しながら、その美しい瞳が細められつつもしっかりと私を見ている。殿下、私が知らない内にそんなお強い武器を獲得されていたとは……! 本当に子供の成長とは早いものねっ。
射ぬかれそうになった心臓を何とか宥めて、私は年上の余裕を見せつける。むり、心臓どきどきする。でも、我慢できないほどじゃないわっ!
「はい、殿下」
殿下は恥じらいながら、私を見る。私の指を握る手に力がこもった。
「あ、アンリエット、聞きたいことがあるのです」
「はい。殿下のお望みなら何でもお受けいたします」
そんなめで見られたら、私じゃなくても殿下のお願いを聞いてしまうわよ!
答えれば、殿下はおずおずと私に話を振ってきた。
「僕が社交界にデビューするとき、どんなドレスを着られますか」
「なにぶん急なことで、まだどのドレスを着るのかまでは決めていないわ」
「僕がドレスをプレゼントしてもよろしいですか」
「光栄です。ずっと一緒にお話をしてきた殿下なら、きっと私に似合うドレスを殿下と対になるように仕立ててくれると、期待してもいいかしら?」
「もちろんです!」
殿下の顔が輝く。それはまだ子供のように無邪気で、私はこれがまた微笑ましく感じた。
殿下は舞踏会のドレスから始まり、結婚式の雰囲気や進行、ウェディングドレスなどの話もしてくれた。
私はその都度、殿下の意思を尊重しつつも、しっかりと私の意見もいれてもらう。
「披露宴は王家として盛大に行いますが、どんなことがやりたいとか、ありますか?」
「特には。王家にはしきたりが多いと窺っております。当日は私も緊張しているでしょうから、それ以外にも、となると難しいわ」
「それならドレスは? 色や形はどうされます?」
「また追い追いと決めていきましょう。腕のよいデザイナーを知っていますから、その方の意見も聞きながら素敵なドレスを考えたいわ」
なるほどなるほど、と殿下は頷く。
私はその姿も微笑ましいと思うけれど……でもね、殿下。一言言わせて? まだそれは二年も先の話よ。まだ気が早いわ。殿下が楽しそうに話しているから、水を差す気にはならないけれどね。
結婚式より先に婚約の儀があるのよねぇと思っていたら、それよりももっと気が早いことを殿下は仰ってくる。
「気が早いですが、アンリエットは子供は欲しいですか?」
「子供……ですか?」
さすがの私も面食らってしまった。
まさか、殿下なら、子供の話が出てくるなんて。
急に話が現実味を帯びてきた。
「僕らが結婚する頃、お姉様は……じゃなくて、アンリエットは二十歳後半です。どんなに子供が好きでも、沢山は産めませんよね? ごめんなさい、僕が産まれてくるのが遅くて……」
殿下は私が子供が好きなのを知っていたらしい。だからたぶん、子沢山を望んでいるのだろうと勘違いしていらっしゃる。
その勘違いすらも微笑ましくて、私はまたくすくすと肩を震わせてしまった。
「子供は一人いれば十分ですよ」
「本当ですか?」
「ええ」
「僕が沢山ほしいと言っても?」
「そんなに沢山いても、愛情を皆平等に与えられませんから。自分の子供は、一人か二人で十分ですよ」
殿下は第三王子なので特に世継ぎを気にする必要はない。王位継承権は発生するけど、無駄に多く子を作る意味はないもの。
「それを聞いて安心しました」
「ふふ。気が早いことを言うと思ったら、年齢を気にしてくださっていたのね。ありがとう」
「いいえ、当然です。子供を産むのは大変だと、先日タチアナ義姉上が仰っていたのです」
そういえば、タチアナ王太子妃が先日、第三子を出産されたのだっけ。同じ王宮に住んでいるんだもの。当然、殿下の耳にも入るわよね。
年齢で言えば、タチアナ様と私はほぼ同年代。それは、心配されるわよねぇ。
でも私は、本当に子供の数なんて気にしていないのよ。殿下もいたし、ローズちゃんもいて、かわいい子供を十年以上可愛がっていたんですもの。もう十分だわ。
「子供を産むのはとても大変なことだと、女の身なら誰でも覚悟しています。だから殿下は、そんなにお気になさらないでいいのよ」
「女の人の体はすごいですね」
殿下が不思議そうに私のお腹に手を当てた。よしよしとへその辺りを撫でられて、少しくすぐったい。
「お姉様はこんなに細いのに、いつか子供ができれば、お腹は大きく膨らむんでしょう?」
「そうですよ」
またお姉様に戻っていらっしゃるけど、私は訂正しなかった。こういうのは、順に慣れていけば良いのだしね。
不意に殿下が不安そうに顔をあげた。
私は「どうしましたか」と声をかける。
「産後のひだちが悪いと、女性は死んでしまうときがあると聞きました。怖くは、無いのですか?」
「ちっとも。愛しい我が子を産むためなら、女はなんでもできるのですよ。それに、一人で産むわけではありませんから」
タチアナ様にはセザール殿下がいるように、女性は一人で子供を産む訳じゃない。
旦那様がいて、お産を手助けしてくれるお医者様もいる。平民でもそうだし、腕のいいお医者様を抱えている貴族なら当然、滅多なことでは母子ともに健康を損ねることはないもの。
さっきから不思議なことばかり聞いてくる殿下。まだまだ気が早いことなのはそうなのだけれど、他に本当は聞きたいことないのかしら。
「殿下、子供のことはまだ先の事ですから。二年後の話です。今から気にしていてもしょうがないわ」
「そう言いますが……もしかしたら近い内の出来事かもしれないじゃないですか」
殿下の声が、地を這うように低くなる。
その雰囲気の変わりように、私は目を丸くした。
「そんなことはありませんよ。子供を産むにはきちんとした手順があるのは、もう知っているでしょう?」
「知っています。僕はこの先、お姉様とその手順を踏んでいくことになりますが……お姉様は違うかもしれないじゃないですか」
「……それは、どういう」
殿下の声に、私を批難するような色が含まれていることに気づく。私は自分でも気がつかない内に、殿下から距離をとろうと腰を浮かした。
すると殿下が、私をソファに押し倒す。この力強さを、私は知らない。
ソファに座っていた姿勢からそのまま横倒しにされたように転がされる。影がさすと同時、殿下が私を閉じ込めるようにソファの背もたれと、寝転んだ私の顔近くの座席部分に手を置いて覆い被さってきた。
私は恐る恐る、殿下の顔を伺う。殿下は、真剣な表情で私を見ていた。
静かだけれど、どこか熱い視線。いつか感じたものによく似ている気がした。
「ヴァーノンとやっていたこと、全部教えてください。僕はもう、子供じゃないんです」
私は息を飲んだ。
どうして、殿下が、それを聞くの。
子供じゃないと言う殿下の瞳の奥にある感情を、私は思い出した。
これは、ヴァーノンがよく私に向けてくれていた目だ。
獰猛な、餓えた獣のような目。
私を獲物として定めた獣の目。
私は気づいた。殿下は、私がヴァーノンと特別な関係だということを知っている。その上で、自分が正当な婚約者だと自覚したのだと。
どくどくと心臓が早鐘を打つ。これは何、緊張? 喜び? 耳鳴りまでしてきて、私は殿下の顔をまともに見られない。
いつか来ると分かっていた。こんな時が来るとは。
でも、こんな形で迎えることになるなんて、思っていなかった。
───私は、どうすればいいの?




