第053話 絶命因子04
明日の登山計画を綿密に練る前に夕食をさっと平らげる。空いた皿を片付けてテーブルに地図を広げるのに充分なスペースを確保する。彼はテーブルの表面を撫でるように手を前後左右に動かす。するとB2サイズの地形図が浮かび上がる。色こそ単色だったけれど濃淡によって、かなりかっきりと地形が描き出されていた。
「精度はどれほどなのです?」
『低かったから仕事なんてまともに回してもらえませんよ』
「それもそうですね。それで登山ルートはどこをどのように行くのですか。最終的な目的地までの所要時間等も教えていただけると助かります」
そう伝えると地形図上に☆と★が色濃く目立つように現れ、☆から★へと→がうねうねと地形を選びながら徐々に伸びていった。
『登山ルートは概ねこのような感じです。近々の天候は問題ないとは思いますが、到達には少なく見積もっても3日はかかるかと。野営には慣れておられますか?』
「知識だけでしたら」
『かなり過酷な環境ですので、それなりのご覚悟を』
「ボクには無理だと判断された場合には遠慮なく計画を変更して下山させてください」
『もちろんですよ。事故や人死を出したとなると今後の仕事にも響きますからね』
「物資等はなにが必要でしょうか」
『御自分の食糧だけ確保しておいてください。必要な装備等は私の方で用意します』
「わかりました。お願いします」
『何か質問はありますか?』
「目的地にはなにがあるのでしょうか」
『廃棄場……になるんでしょうかね、魔象人形の。厳密には人似偶像なのかもしれませんが』
「わざわざそんな場所に?」
『理由はわかりませんが定期的に身投げする人似偶像が来るんですよ』
「どこから来ているのかまでは」
『残念ながら』
「あなたもそこに出向いたのではないのですか?」
『私自身の記憶は廃棄場からになりますので。それ以前の記憶もあるにはあるのですが私のものではありません』
「どういうことなのでしょうか?」
『この容姿の本来の持ち主ということになるのでしょうか。彼の記憶が私の中にあるのですよ』
「それがあなた自身の記憶と混ざっていると」
『引き継いでいると言った方が正しいかもしれません』
「その彼はどうされたのです」
『遺骨は私の中に保管されています。私が私を認識したとき彼の亡骸が傍に倒れていましたので。っと、こちらの都合で悪いのですがこの話に関しては山に入ってからします』
慌てたように彼は記すと即座に描いたばかりの文字列を消去した。
「トール、明日の準備はいいの?」
声のした方に目を向けるとそこにはボクに彼を紹介してくれた組合職員のお姉さんが立っていた。彼女の位置からは小柄なボクの姿が死角に入っていて見えていなかったらしく、彼女はボクの姿を目にするなり、慌てたようなわたわたとしていた。
「え、あ、違うんですよ。贔屓とかそういうあれで彼を紹介したとかそういうことはないんです。本当ですよ」
「大丈夫です。彼の持つ技能を実際に見せてもらって、その実力が組合の折り紙付きであるのは納得させていただいてますから」
「そ、そうですか。よかったです」
胸を撫でおろす彼女に優しげな眼差しを向けた彼は私の前に彼女について補足するように文字を描く。その文字は心持ち大きく描かれ、背後にいる彼女に見えるようにと配慮しているようだった。
『彼女、アリーシャは幼馴染で身寄りのなかった私を気にかけて幼い頃からよくしてくれているんです。私が声を失っても今の仕事を継続していられるのも彼女が手を尽くしてくれたおかげなんですよ』
「違うよ。トールの実力をみんなが認めてくれてるからだよ」
『こう言ってますが、彼女の橋渡しがなければ誰も私を雇おうとはしませんでしたよ。あの契約書類も彼女の発案ですからね』
「それで慣れているとおっしゃっていたんですね」
『そういうことです』
「トール、余計なこと言っちゃダメだよ。依頼人さんが不安になったらどうするの」
『彼女は大丈夫だよ』
彼の返答に彼女は眉根を寄せて何か言いたげにしていたが、ぐっと口を噤んでいた。
「えぇ、ご心配なさらないでください。彼との契約を破棄するといったことはありませんので」
そう告げると彼女は申し訳なさそうに肩を縮こまらせていた。
『アリーシャ、今日は少し疲れているんじゃないかい』
「そうなのかな?」
『彼女が審理鍛刻師だからと普段以上に張り切ってしまったんだろう。こんなチャンス滅多にないからね』
「そうかも」
『今日は早く休みなよ』
「うん、そうする。すみません、依頼人さん。お見苦しいところを見せてしまって」
「いえ、お気になさらずに。ご自愛なさってください」
「お気遣いありがとうございます。私はこれで失礼しますね」
「はい」
『おやすみ、アリーシャ』
「うん。おやすみ、トール。明日から気を付けて行ってきてね」
『わかってるよ』
とのやり取りの後、彼女は店の奥へと姿を消した。そんな彼女の背を見送っていると店を訪れている客のほとんどが彼女を暖かく見守っていた。彼と彼女との関係は周知のことなのだろう。もうひとりの当事者である彼の方へと目を向けると彼はさらりと一文記してみせる。
『この食堂は彼女の実家なんですよ』
その言葉だけで充分に店内に漂う和やかな雰囲気が理解出来た。




