第四十九話 共謀の夜
毎日投稿予定。
その夜、キヤラが残りを全部話した。
集まり方はいつも別々だ。リサは水汲みを装って井戸を回り、ナイアは薬草の在庫を確かめる体で棚の間を抜けた。アレックとクルは夜の見回りの列に紛れるという、誰にも咎められない口実を持っている。別々の影が別々の廊下を通って同じ扉の前で合流した。
深夜の小部屋だった。物置を兼ねた、誰も寄りつかない部屋だ。灯りは蝋燭が一本きり。リサとナイアが床に座り、空いた棚の縁にメイルが腰掛けている。扉の外にはアレックとクルが控えていた。誰かが近づけば、クルが先に気づく。二日続いた襲撃がこの集まりの形を決めていた。もう、別々に動いていい段階ではない。
床に手をつくと伝わってきた。
あの振動だ。ただ、以前より深い。以前より速い。眠っている何かの寝息が目覚める前の呼吸に変わりつつある。
ナイアの背筋が伸び、声の色が静かに変わる。
「ベルーヴァのこと、残りを全部話すわ」
キヤラだった。
「あれには乗る場所がある。そしてそこに座った者の人格を……心のありようを世界に投影する」
「投影……?」
「座る者の心に憎しみがあれば世界中の者が憎しみあう。孤独なら、世界中が孤独に満たされる。あれは武器というより、心を増幅して世界に塗り広げる装置なの」
喉の奥がひどく渇いた。
「炎も放つし城壁も砕く、でもそれだけじゃない。乗る者の孤独が心の奥底に忍び込む。防具も城壁もその前では意味を持たない」
蝋燭の火が小さく揺れた。
「……本当に、世界中? 敵も味方も、区別なく?」
ナイアが自分の声で訊いた。
「効くわ。人の心を持つもの全部に」
「あと、どれくらい?」
リサの問いにキヤラは少しだけ間を置いた。
「掘り出しの速さから見て……あと数週間、かもしれない」
数週間。
秋の終わりにメイルは「季節がひとつ変わるかどうか」と言った。その冬が、もう終わろうとしている。
床の振動が急に意味を持って足の裏に響く。
(そうか。あの振動はそういうことだったのか)
帝都に来てから何度も感じた、あの振動。夜ごとに強くなっていた地鳴り。誰も口にしない発掘場の正体。バラバラだった欠片が一本の線につながった。
「王宮の奥のことは、あたしが視てきた」
メイルだった。姿を薄めて幾晩も塔に忍び込んでいたのだという。キヤラが石の中で眠っていた歳月の分を、この小さな天使が外から埋めていた。
「帝国は何のために掘ってるの?」
「ヴォルカ王は世界を制する道具だと信じてる。でも王を操っているヴァルディスの目的は違う」
キヤラの声が一段低くなった。
「人類の滅亡よ」
知っている言葉だった。秋の夜に、メイルの口から一度聞いている。あのときは輪郭のない話だった。守りたいと思い、怖いとも思ったのに、その恐れがどこから来るのかまでは形にならなかった。同じ言葉がキヤラの声で、震える床の上で言われると重さがまるで違う。輪郭が足元まで来ていた。
ナイアの手がリサの袖を握った。小さい頃、雷の夜にそうしたのと同じ握り方だった。リサはその手に自分の手を重ねる。
「……あのときから、ずっと分からない。悪魔はどうしてそこまで」
「分からない。悪魔族の時間は人間と根本から違う。数百年を一息で生きる者の心は私たち天使にも全部は見えない。ただ、あいつの中に深い欠落があることだけは感じる」
リサは目を閉じた。瞼の裏に帝都の風景が浮かぶ。整備された道、工科院、練兵場、その多くが蓮の知識を礎に築かれたものだ。そして、ベルーヴァを掘り出すための土木の技も。
(先輩の知識でできた帝国が先輩の知らないところで世界を終わらせる道具を掘ってる)
その捻れが胸の奥で鈍く痛んだ。痛みの底に、決意が固まっていくのが分かる。
「掘る手を止めるのも、あれに誰を座らせるかを決めるのも、今は同じ一人の手の中にあるの。発掘の全指揮権を握っているのはレオン。あの人が戻れば、掘る手を止めるどころかベルーヴァそのものを壊せる。ヴァルディスが一番恐れているのはそれよ」
キヤラが続ける。
「完全に洗脳された精神に私たちは直接入れない。メイルが楔を打つのが精一杯だった」
メイルが棚の縁で足を揺らした。
「蓮の記憶を揺さぶれるのはリサだけ。あたしはその後押しができるだけ」
「私……だけ?」
「ええ」
キヤラが話す。
「前に言った通りよ。中のあの人が自分で扉を開けたくなるまで、叩き続けるしかない。重いでしょうけど」
リサは部屋の中を順に見た。ナイアとその内側のキヤラ。棚の上の小さな天使。それから息を吸って、吐いた。
「……分かった」
リサの声は思ったより静かに出た。
「じゃあ、急がなきゃね」
キヤラが言った。
「急いで。でも、焦らないで」
メイルが軽く言った。矛盾した注文だと、リサにも分かっていた。
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扉の外の回廊でアレックは壁にもたれていた。
中の話し声は扉越しにくぐもって届く。
はっきりとは聞こえないが、リサもメイルも自分の知らないことを話しているのだけは分かった。
(リサとあの男の間にも、自分の知らない言葉があったな)
スパイン。グリップ。リム。あの日、工房で交わされた単語の一つひとつが、アレックには呪文に聞こえた。
あの男は呪文の意味を全部知っていて、リサと同じ国の言葉で話せた。
弓という技術の中でしか語れない絆が二人の間には確かにあった。自分には入れない場所だった。
(いいさ。入れなくて)
柄にもなく、すんなりそう思えた。
入れないなら、別の場所に立てばいい。リサが前を向いている間、横と後ろを見る。今朝の廊下でその持ち場は一度だけ本物になった。肩の傷が薄い熱を持っている。
自分はリサの盾になればいい。そう、盾に呪文は要らない。
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夜明け前の訓練場は霜の匂いがした。
空の端がまだ夜の色で吐く息だけが白い。誰もいない砂の上にアレックとクルがいた。
(右)
アレックが念じる。クルが右へ跳ぶ。
(左の奥)
跳ぶ。一度も違わなかった。
一人と一頭の間に、言葉より速く伝わる通り道ができあがっている。
ふいにクルが動きを止めた。
大きな頭がゆっくりと巡り、王宮の塔の方角で止まる。総帥の居室がある方角だった。
クルは喉の奥で低く、長く鳴く。遠吠えになる手前の、押し殺した声だった。
アレックはその隣にしゃがんで首筋を撫でた。
「……お前も切ないんだな」
クルは鳴きやんで目を閉じた。
小部屋の蝋燭も、回廊の壁にもたれた背中も、訓練場の白い吐息も、みんな同じ夜の底に沈んでいる。夜が明ける前の、全員が沈黙している時間だった。
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