第四十三話 実験場の夜
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「案内」と侍従は言ったが、連れ回された、というのが実際に近かった。
武官や貴族たちが入れ替わり立ち替わり声をかけてくる。どこで弓を覚えたか? 帝国の弓との違いは何か? あの炎は本当に消えたのか? 答えるたびに次の問いが来た。
軽食が出た。長い廊下をいくつも渡った。高窓から差す光が少しずつ傾いて、やがて色を失った。
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宮殿の案内が終わるころ、レオンが迎えに来た。
侍従と護衛に伴われ、リサはレオンの三歩後ろをついて行った。
途中、レオンの指示で先導の侍従も護衛の兵も下げられた。
廊下がだんだん狭くなり、装飾が減り、質素な石だけになっていく。王宮の表から裏へ。歩くほどに建物が正直になっていくように感じた。
レオンは一度も振り返らない。背中だけがずっと前にあった。昼の玉座でリサを検分した目とこの背中が同じ人のものだとは思えない。どちらが本物かではない。今はどちらもあの人なのだ。
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王宮の奥に弓の実験用の射場があった。
屋根のない細長い中庭だ。壁に沿って的が並び、距離を示す石が床に埋め込まれている。レオンが人払いを命じた。機密保持、という名目だった。
兵が下がり、扉が閉まる。松明の火が等間隔に揺れていた。夜空が壁の上に細長く切り取られている。星が見えた。王宮の中で星が見えるのはたぶんここだけだろう。
二人だけになった。
ここはレオンの場所なのだと入ってすぐに分かった。道具の置き方に使う人間の癖が出ている。矢立ての位置。弦の掛け方。手入れ油の小瓶の並び。工房や訓練場で見る時より、ほんの少しだけ肩の線が低かった。
「射て」
レオンが言った。
「昼と同じ精度で。距離は三十歩でいい」
リサは的に向かった。目に白い的が灯りの端に浮かんでいる。つがえて引いて放す。中る。続けて三射。すべて中心の周りに集まった。
矢を取りに行こうとするとレオンが先に歩き出していた。的の前で矢の間隔を指で測り、その数を頭に刻んでから黙って矢を抜いて戻ってくる。検証の手つきだった。
「サイトなしでどうやって落差を取っている?」
「矢の軌道を覚えています。距離ごとに視界のどこに的を置くか。それを体に入れてあります」
「風は?」
「肌で読みます。あとは矢が教えてくれます」
リサの頬に静かな夜風が当たる。
「夜は昼より条件が悪いはずだ。なぜ精度が落ちない?」
「むしろ上がります。夜は的しか見えないので余計なものが視界に入りません」
「矢はどう選んでいる?」
「硬さで選びます。弓の強さに対してしなりの合う矢を。数字では決められません。実際に射って、しなりの違いを確かめてから決めます」
レオンが軽く顎を引いて腕を組む。
「兵どもの命中率が上がった。最大の要因は何だ?」
「道具を体に合わせたことです。それから外しても罰がないことです」
「罰がないとなぜ中る?」
「怖さは筋肉を縮めます。縮んだ体から出る矢はまっすぐ飛びません」
レオンは黙った。自分の指導が裏返しに評価されたことに気づいていないはずがない。それでも問いは続いた。書き留めもせずにすべてを覚えていく聞き方だった。一を聞いて十を構造で捉える頭だ。その出来そのものがリサには懐かしかった。
「……理屈は通っている」
頷いて、また次を問う。質問は的確で、答えるたびに次の質問が深くなった。技術の言葉だけが行き交う。この人と自分の間でただ一つ途切れずに通じてきた言語だった。
昼の玉座とは空気が違っていた。
冷徹さが消えたわけではない。でも問いの間合いが、検分から対話に近づいている。火がレオンの横顔で揺れていた。
問いが途切れた時、松明が一本、音を立てて爆ぜた。
次に口を開けば、技術の話ではなくなる。聞いてしまえば、もう知らないふりには戻れない。この穏やかな問答の時間もたぶん終わる。それでも、この距離まで来られる夜が次にいつあるか分からなかった。
(聞くなら、ここだ)
リサは弓を矢立てのそばに立てかけて聞いた。
「ミズノとは誰のことですか?」
レオンが止まった。
矢を検めていた手が空中で固まる。
「……何の話だ?」
「前に工房で。弓を試された時におっしゃっていました。ミズノの言った通りだ、と」
沈黙が落ちた。
答えはなかった。探している目だった。自分の内側のどこかに確かにあるものを。あるのに取り出し方が分からないものを。
「知らん」
長い間の後でレオンは言った。
「そんな名前は知らん」
嘘だ。声が「知っている」という声色になっている。
声だけではない。知らないと言いながら、レオンは立てかけたばかりの弓を無造作に手に取った。
右手が無意識に弦を弾いている。弓を手にしたらまず弦を弾く、あの癖だ。動揺した時ほど、体は覚えた動作に逃げ込む。弾かれた弦が夜気の中で低く鳴る。嘘を打ち消す音のようにリサには聞こえた。
リサは一歩、踏み込んだ。口の奥が乾いていた。
「先輩は」
声が夜の実験場に落ちる。
「インカレを、覚えていますか?」
「インカレ」という言葉がレオンの体を固めた。
肩から指先までが一斉に止まった。松明の火だけが動いていた。
「インカレ……?」
レオンの唇がゆっくりと動いた。
「……大学の、全国……大会……?」
言ってからレオン自身が驚いていた。
目が見開かれる。自分の口から出た言葉に驚いた顔だった。
意味を知っている。知っているはずがないのに知っている。
「なぜ、私はそれを……?」
その時、レオンの顔が歪んだ。
「やめてください、無理に思い出そうと……」
言いかけてリサは言葉を飲んだ。
思い出させようとしているのはほかでもない自分だ。その矛盾が喉の奥に刺さった。
レオンが右手で額を押さえる。指が食い込む。膝がわずかに沈む。歯の間から押し殺した息が漏れた。
頭の中で何かが軋んでいる。
弦音を聞いた時のあの一秒とは違う。あれは浮かび上がろうとする記憶を探す苦痛。
これはせめぎ合いだ。出ようとする何かと、出すまいとする何かが、一人の頭の中でぶつかっている。
気づいた時には、二人きりの時だけの名前が口から出ていた。
「蓮君……!」
リサは思わず駆け寄った。手を伸ばす。
「近づくな!」
言いながら、レオンの手がリサの手首を掴んでいた。その手が、一瞬だけ強くなった。
リサは動けなかった。
突き放す言葉と引き留める手。同じ体から同時に出ている。
レオンの温かい手のひらの熱が伝わってきた。
リサの指は震えている。痛いほどの強さなのに、リサの心は満たされていた。
二人の間で空気が止まっていた。松明の火の粉が一つ、ゆっくりと落ちて、石の上で消えた。
レオンがゆっくりと顔を上げる。額に汗が浮いていた。目の焦点がリサに合う。
「……その名は」
かすれた声だった。
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