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第四十一話 炎の玉座

毎日投稿予定。

 王宮への道は上り坂だった。

 迎えの兵に挟まれてリサは石畳を歩いた。背には布に包んだ自分の弓がある。坂を上るほどに建物の質が変わっていく。石の切り出しが精密になり、目地が細くなり、壁面の直線が定規のように通っていった。

 すれ違う人が減っていく。代わりに立ち番の兵が増えた。兵たちはリサを見ない。迎えの兵も坂を上り始めてから一言も発していない。アレックは少し後ろを黙ってついてきていた。靴音だけが四人分、石畳を打っていた。

 (この精度……)

 道沿いの建物の扉の蝶番にネジが使われていた。掲示板に貼られた布告は手書きではない。同じ字形が整然と並ぶ、刷られた文字だ。紙もペルネアでは見たことのない白さだった。

 (これも蓮先輩が作ったのか?)

 製鉄、ネジ、紙、印刷、建築の精度。一つひとつは人を楽にする道具だ。村に持ち込めば暮らしが変わる。でもここではその全部が帝国の力になっていた。先輩の頭の中身がこの国の骨組みに流し込まれている。誇らしいと思ってしまう自分がいた。それが少し苦かった。


---


 門の前でアレックが止められた。


 「ここから先は招待された者だけだ」


 兵が言う。アレックは一歩下がってリサを見た。


 「……夕方になっても戻らなかったら」

 「戻るよ」

 「戻らなかったら、の話だ」

 「その時はナイアとクルをお願い」


 アレックは何か言いかけて、結局「分かった」とだけ言った。重い門が背中で閉まった。


---


 王宮の中は静かだった。

 廊下の幅がどこまでも一定している。歩きながらリサは無意識に歩数を数えていた。柱の間隔も等しい。設計図の上で割り切られた数字がそのまま建物になった。

 壁際に侍女が数人控えていた。金の縁取りの入った深い赤の衣装。同じ形に結われた髪。視線は床に落としたまま、誰も動かない。装飾品のように並べられた人たちだった。リサが通り過ぎてもまばたきひとつしなかった。

 一番端の侍女がナイアと同じくらいの年に見える。それに気づいた途端、自分が使った装飾品という言葉が急に嫌になった。


 控えの間でしばらく待たされた。

 椅子はあったが座っていいとは言われなかった。立ったまま香の匂いの中で待った。壁の燭台、磨かれた床、音のない時間。遠くで扉の開く音がして靴音が近づいてはまた遠ざかった。呼ばれるまでの時間が実際より長く感じられた。

 背中の弓の重さだけがいつも通りだった。重さを確かめるたびに呼吸が一つ深くなった。


---


 玉座の間は広かった。

 天井は見上げると首が痛くなる高さにあった。黄金と鉄。柱の装飾は金で、骨組みは黒い鉄だ。香の匂いと金属の匂いが冷たい空気の中で混ざっていた。リサは入口の手前で片膝をつかされた。石の冷たさが膝から上がってくる。


 「面を上げよ」


 声は奥から来た。玉座にヴォルカ王がいた。

 肉付きのいい体に重そうな衣をまとっている。年齢は読みにくい。脂の乗った頬とよく動く目。その目がリサを頭の先から爪先まで往復した。品定めとも違う。もっと無邪気で、もっと残酷な目だった。珍しい玩具が届いた時の子供のような目だ。

 指という指に宝石の入った環が嵌まっていた。声を出すたびに手が動き、手が動くたびに石が光る。よく通る声だった。命令に慣れた声、遮られたことのない声だ。


 「お前が噂の弓職人か?」


 ヴォルカ王が身を乗り出した。


 「弓兵どもの腕が上がったと聞く。総帥が引く弓まで直したそうだな。面白い。実に面白い」


 面白い、という言葉を王は飴のように転がした。


 「お前、どこで弓を覚えた?」


 問われたのは弓のことだけだ。それなら答えられる。リサは口を開いた。


 「ペルネアという村です。猟のための弓を子供の頃から」

 「村の猟弓上がりが総帥の引く弓を直すまでになるか?」


 王は笑った。信じていない笑い方ではない。どちらでもいい、という表情だ。真実より面白さの方がこの王には重要らしかった。

 玉座の傍らにレオンが立っていた。

 黒い外套。背筋の通った立ち姿。その目がリサを見る。何の温度もなかった。

 工房で言葉を交わした目でも訓練場で背中を見せた目でもない。物を検分する目だ。あの数日が全部夢だったのかと思うほどだった。


 「レオン」


 王が傍らへ顔を向けた。


 「この娘の腕、本物か?」

 「実用に足ります」


 レオンは即答した。声に何の起伏もない。


 「兵の命中率は上がっております。装備の改修案も有効でした」


 数字と事実だけを並べる。

 リサのことを話しているのにリサを見もしない。それなのに訓練場のことを全部知っている。視察の目は何も見逃していなかったらしい。


 「技を見せよ」


 ヴォルカ王が言った。


 「弓使いとしてその腕を余の前で示せ」


 武官が一人、進み出た。手に弓を捧げ持っている。


 「ドラヴァル製のリカーブを使え」


 差し出された弓をリサは見た。息が一瞬止まった。

 サイト、センターロッド、サイドロッド、リムの形状。どれも美月の時代の競技弓に肉薄していた。無いのは振動を吸収するダンパーくらいだ。ゴムの素材がまだないのだろう。逆に言えば、ゴム以外全てがここにある。

 (ここまで再現してたんだ)

 美月だった頃の感覚が一気に戻ってきた。この弓を誰が描いたのかは考えるまでもない。

 この弓は良い弓だ。それは認める。サイトを合わせれば、兵の誰でもある程度までは届くようになる。でも今日この場で求められているのは兵の弓ではない。自分の射だった。


 「これは使いません」


 リサは静かに言った。背には布に包んだ自分の弓と矢筒がある。

 武官の眉が上がる。玉座の間がざわついた。

 王の前で奴隷が断ったのだ。動揺が武官たちの間に走った。

 リサは背の布を解いた。中から自分の弓を取り出す。飾りのない、一つの曲線だけでできた弓だ。ロッド類はひとつも付いていない。ドロスと二人で、あの工房の材料だけで作ったベアボウだった。

 武官が失笑した。


 「あれでは精度が出ません」


 笑いは武官たちの間に薄く広がって、すぐに乾いた。誰も何も言わなくなった。

 奴隷が王の前で帝国の弓を断り、裸の弓を構えようとしている。図々しさを通り越して理解の外にある行動だった。

 静まり返った玉座の間でリサは弦を張り確かめた。指は震えていない。

 武官たちの視線が肌に刺さった。何百という目の中で味方の目は一つもない。一つもないはずなのに不思議と怖くはなかった。

 (緊張する時は思いっきり緊張しろ。そしてそれを楽しめ)

 水野監督の言葉が頭の中に浮かんだ。試合会場で緊張する部員にいつもそう言っていた。その後ろに、いつも蓮先輩の声が続いた。

 (気持ちのいい一射を放てばいいんだよ)

 王の隣に立つレオンの目がその弓の上で止まった。予期していたものを確かめ、すぐに元の無表情へ戻る。

 ヴォルカ王が玉座の肘掛けを指で叩いた。


 「面白い」


 三度目の、面白いだった。王は玉座の間をぐるりと見回した。天井、柱、磨かれた床。射るための場所は何一つない。


 「よかろう。裸の弓で余の前に立つか」


 王は肘掛けから身を起こした。


 「ならば、それに見合う支度をしてやる。今日はここまでだ。明日、射ってみせろ。的はこちらで用意する。……余を退屈させるなよ、弓職人」


---


 重い門が開いた時、アレックはまだ同じ場所に立っていた。日はもう傾いている。


 「明日、もう一度行く」

 「……射たなかったのか」

 「明日やれって。的を用意するそうよ」


 アレックは何も言わずに歩き出した。並んで坂を下りる。石畳が来た時より長く感じられた。



「面白かった!」

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